第16節② 酒場の主人と旅人

 そんな事があった昨日の今日は一日中、雨が降っていた。そのせいか客の入りは悪い。昨日が忙しすぎたからのんびりできるのはうれしい。そうは言っても暇すぎるのも困りものだが。

 注文がなく手が空いてるガイが炊事場から顔を出した。


「コーディ、あのガキまだいるぞ」

「雨なのに?」

「降り込まないところでじっとしてやがる。何とかしろよ。いつまでも居座られたら迷惑だ。……お前、施してないだろうな?」

「残ったパスティを渡しただけだ。捨てるよりいいだろう」


 やれやれだ、といった風に首を振られた。こいつ俺が雇い主だって忘れてないか?

 言いたい事はわかるがね。

 夜も深まり、これ以上忙しくなりそうもないのを見越してガイは帰っていった。客はおらず、店に一人。もう閉めてもいいだろう――

 そう思った矢先に駆け込んできたのはギル。たまに顔を出す旅人だった。


「コーディ。ずぶぬれなんだ。雨宿りさせてくれ」

「ギルか。しばらくこっちにいるのか?」

「いいや、数日で出る。少し骨休めするだけだ。それより、親父さんのパスティは再現できたか?」

「まだだ。丁度いい。食ってけ。これでも飲みながら待ってろ」


 ギルの前にエールを置いて店を閉める。こいつは親父の味を知っているからな。完成するまで食わせ続けさせてやろう。


「味は近いよ。でも何か足りないな」


 腹が減っていたのか、あっさり食べきったギルは首を傾げていた。


「足りないって、何が?」

「私は美味いものは好きだけど、舌が肥えているわけじゃない。悪いけど細かい事を聞かれてもわからないな」


 使えんやつめ。とりあえず汁がもれ出ないようにパイ生地を厚くするか。


「もう一回焼くから少し待て」

「まだ食わせる気か? 少し休ませてくれ」

「何言ってるんだ。これからだぞ。せめて味見くらいしてくれ」

「残したらもったいないだろう? もう止めないか?」


 そうだ! あのガキを使うか。残ったのを食ってもらおう。店の裏手に…… いたいた。板切れを使って上手く雨宿りしてやがる。

 手ぬぐいを渡してやったが固まったままだった。


「小僧、ちょっと来い。飯を食わせてやる。その汚れた面と手を拭いてから店に入れ。大丈夫だ、悪いようにはしない」


 店に招き入れ座らせた。黙って下を向くガキの隣でギルは何も言わずにエールを飲んでいる。何も聞かないのか。ま、ガキも聞かれたくないだろうしな。俺も興味はない。

 二人をそのままにして炊事場に入りパイ生地を広げる。今度は少し厚めに。その様子を見ていたガキが口を出してきた。


「……何をするの?」

「パスティを焼くんだよ。ちょっと待ってろ。食わせてやるから」

「……生地が厚すぎる」

「汁がもれ出ないように厚くしたんだ」

「でも、そのままだと膨らみ過ぎる」


 なんだ? やけに詳しいな。


「……確かに。汁がもれないように生地を厚くしたい。その上で膨らみ過ぎないようにする、か。難しいな」

「簡単……」


 なんだと?

 面白い、やらせてみるか。呼び寄せてやって見せろと促すと、生地をフォークで突き始めた。


「おいおい、穴を開けたらそこから出てくるだろう」

「深く刺さないから大丈夫。これで膨らみ過ぎない」


 なるほどな、これでやってみよう。鶏肉とチーズを包んで釜に放り込む。その背後で足元を見つめているガキが、少しだけ気になった。


「お前、名前は?」

「ジェシー」

「よし、ジェシー。焼きあがったら持ってきてくれ。俺はカウンターにいる」


 微かにうなずくのを見てからエールを二つ持ってギルの隣に座った。一つはギルの。もう一つは俺の。


「あの子は?」

「知らん。裏口に居座られているだけだ。たぶん孤児だ」

「どうする気だい?」

「残りを平らげてもらう」


 釜の前で微動だにしないジェシーを眺めていたギルは俺へと向き直った。

 なんだ?


「それだけか?」

「それだけだ。ほら、焼きあがったらしいぞ」


 おずおずと差し出されたパスティは良い焼き加減だった。汁も大丈夫。ギルとジェシーがかぶり付くが…… 駄目か。二人とも汁でベタベタだった。


「パイが厚くて食べづらいし、汁が零れるのは変わらない。汁が多すぎるんだ。ブランデーをしみこませてるんだっけ? 減らしたらどうだい?」

「減らしたところで大してかわらん」

「きっと……焼く時の火が弱いせい」


 ジェシーがつぶやいた。相変わらず視線を落としたまま。いけ好かない態度だ。


「おい、こっちを見ろ」


 返事も反応もなしか。


「怒っていない。話したいだけだ。話をする時は相手の目を見ろって親に教わってないのか?」


 親、その言葉に微かに反応を示した後、やっと顔を上げた。


「説明してくれ。火を強くすればどうなる?」

「強火で一気に焼き上げれば肉の旨味を閉じ込められる。汁気も」

「なるほど、その知識、どこで知った?」

「……お母さん ……料理、たくさん教えてもらった」

「親はどうした? 家は? 帰るところは?」


 ジェシーは首を横に振るだけだった。少し、少しだけ哀れに思えたのでカウンター席に座らせてやった。


「座ってろ。強火だな。やってみよう」


 今度は先にパイ生地を用意した。薄すぎず、厚すぎず。フォークで空気抜きの穴を開けるのを忘れずに。

 そして、釜土に薪を放り込み火を強くする。ソテーパンが十分に熱せられてから鶏肉を投入。香ばしい匂いと共に火が立ち上がった。言われた通り一気に焼き上げ、手早くパイ生地で包んで釜に放り込む。

 よし、後は待つだけ。


「どうだ? ずっと見てたんだろう? こんなもんでいいか?」

「たぶん」

「なあ、まだ食べるのか? もうそろそろ腹が厳しい」

「これで最後だ。親父の味を知っているのはお前だけだからな。頑張れ」


 うんざりしていたギルだったが、エールを前に置くと諦めたように肩をすくめた。

 ジェシーは…… お前はまだいけるな? と問いかけると「うん」と声に出してくれた。か細いが、しっかりした声で。


「さあ、食ってくれ」


 カウンターに三人並んで食ってみた……

 これは! いいぞ!

 パイのサックリした食感は残されている。肉の旨味を含んだ汁は口の中に広がる

だけで外にはもれなかった。しかも香ばしさがたまらん。


「これだ、これだよ。懐かしい。またこれが食べられるとは思っていなかった。コーディ、やったな」


 どうだ、やれば出来るんだよ。ジェシーには随分と助けられたが。


「……美味しい」

「そうか」

「うん」


 腹が膨れているだろうに食べ続ける二人を見て、もう一口食いつく。

 これがみんなが愛した親父の味か。ふむ、悪くない。


 翌朝、カーテンの隙間から射しこむ光で目を覚ました。

 

「おはよう」

「ああ、早いな」


 泊まる所がないギルのついでにジェシーも連れ帰ったのを思い出した。

 窓辺に立ち、覚醒しきっていない俺の目を見て声を発するこいつは、殻を一枚脱ぎ捨てたように見えた。

 半身だけ起こして親父が使っていたベッドに転がるギルはうつ伏せのまま動かない。

 昨日、あれだけ飲んでいればそうなるだろう。


「ジェシー。そこの棚にパンと干し肉、卵がある。朝食を用意してくれ。釜土と道具は好きに使っていい。出来るか?」

「うん」

「任せた。俺は水をくんでくる。食事までにギルを起こしてくれ」


 両手に水おけを持って戻ってきた時には、ほぼ用意が出来ていた。

 驚いたな。思った以上に手際がいい。ギルを起こすのは諦めたようだが。


「うちの店で働かないか? 寝床と食事は面倒を見てやる。仕事ぶりに応じて給金もだそう。お前さえ良ければ、だが」

「いいの?」


 こちらを向くジェシーに手を動かし続けろと促す。


「ああ、人手不足で困っていたんだ。頼めないか?」

「本当にいいの?」

「構わない。今日から頼む」

「はい!」


 そう真っすぐに答えられると照れ臭いじゃないか。ギルが寝てて良かったよ。


 開店前、ガイにジェシーを雇うと伝えたら、そうなると思っていたと笑われた。


「なぜ、そう思った?」

「気づいてないのか? コーディはお人よしなんだよ。荒れていた俺を雇ってくれた先代と一緒でな」

「それは、初耳だぞ」

「知らなかったのか? ほら、焼けたぞ。持っていけ」


 カウンターでじっとしているオリバーの前にパスティを置く。エールと一緒に。

 いつものように一言も発せずに無骨な指でつかんでかぶり付く。その様子を見守るのは俺だけじゃない。頬つえを突くギル。盆を抱えるジェシー。炊事場から顔を出しているガイ。

 老人はパスティを全て平らげると、次はエール。喉を鳴らしながら一気に飲み干した。


「お代わりだ、小僧。いや、店主。パスティとエール。両方とも」

「ええっと、つまり?」


 オリバーは頬をかきながら視線を逸らした。


「ああ、合格だ。さっさと持ってこい!」

「わかりました。ガイ! 追加だ!」


 ギルは親指を立て、ガイは手を振って奥に消えた。オリバーの前にエールを置いたジェシーが顔を綻ばせて寄ってくる。


「良かったね。お父さんに追いつけて満足?」

「まさか。追いついたら、追い越さないとな。俺たちはこれからだ。だろう?」


 表情を探られないように、ジェシーの頭を押さえて髪をかきまわした。

 俺とガイ、ジェシーがいればもっと先まで行けるさ。

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