第16節① 酒場の主人と旅人

 その日、俺の酒場はいつにも増して騒々しかった。顔を赤らめた鉱夫がテーブルをたたきながら叫ぶ。


「店主! 揚げジャガイモだ! それとエール二つ!」

「はいよ! ガイ! 揚げジャガイモだ!」

「揚げジャガイモ、了解!」


 ああ! 忙しい。二人じゃ足りん。

 たるの栓を抜いてエールを注ぐ。黄金色の酒に細かい泡が広がり、実に美味そうだ。仕事でなければ俺が飲みたい。

 鍋より剣を振る方が似合いそうな大男のガイが炊事場から大声を上げた。

 落ち着く暇など与えてたまるか、と言わんばかりだか俺だって忙しい。


「コーディ! 駄目だ。ジャガイモが足りん!」

「何日か前に仕入れたばかりだろう? いや、いい。知り合いの所で分けてもらう。店は任せた」

「お、おい! 俺一人で回せるわけないだろう!」

「すぐ戻る」


 エールを運んでから前掛けを外した。ガイ一人では負担が大きすぎるのはわかっている。急がないと。

 勢いよく裏口の扉を開けた時、視界の隅で何かが動いた。灯りの差し込まない裏路地は暗い。物陰でうずくまっているのは…… ガキか?

 何だかは知らんが構っている暇はない。足早に知人の店へ向かった。



「ガイ、お疲れさん。今日はいつにも増して大変だったな」

「まったくだ。こんなんじゃ体が持たん」


 落ち着きを取り戻しつつある店を見回す。俺たちの戦場は凄惨たる有様だった。汚れたテーブルや床を見ると憂鬱な気分になる。親父は毎日こんな思いをしていたのか? 店を継いで五年は経つが、こればかりは慣れそうもなかった。


「今日はもういいな? 帰るぞ」


 親父の代から働いていてくれるガイが伸びをすると、コキッと骨がなった。

 ふむ。残る客は数人。騒ぐでもなく静かに楽しんでいた。今日はこんなもだろう。


「ああ、後は片付けるだけだし上がっていいぞ。明日も頼む」

「任せろ、と言いたいが、そろそろ人を増やしてくれ。どう考えても二人じゃ手が足りん。そのぐらいはわかってるだろう?」

「すまない。何とかしようとは考えている」

「頼むぞ。それと裏にガキがいる。知ってたか? 何とかしとけよ、店主」


 さっきのガキか。まだいたとはな。


「ああ、わかっている。それと、こんな時ばかり店主と呼ぶのはやめろ」


 ガイは手を振りながら裏口から消えて行った。

 どうにか、ね。殴り飛ばして追い払うのも性に合わんし、困ったもんだ。

 店の切り盛り、閉店後の清掃、昼間は買い付けに仕込み、ただでさえ忙しいのにガキの相手なんかしている暇はない。それに……

 ほらおいでなすった。

 親父と仲が良かった老人。もう引退してはいるが優秀な鉱夫だったらしい。現役時は親父の料理を好物にしていたという。彼はカウンター席に着き、つえで床を二回、ゴンゴンと突いた。


「来たぞ、坊主。一週間経った。答えを見せてみろ」

「オリバーさん、坊主は止めてください。これでも店を切り盛りしているんですよ」

「だったらわしを納得させてみろ。それまではいつまでたっても坊主のままだ」

「わかりました。今作りますので少し待ってください」


 彼が求めているのはパスティ。パイ生地で具材を包んで焼くだけの料理。たったそれだけの料理。しかし、俺は、親父の味を再現できずにいる。そもそも俺は親父のパスティを食べた事がない。ガイも知らなかったらしい。それもそう、店で扱っていない品書きだ。最低限の助言から具材は鶏肉とチーズだけだとわかっているが、一度としてオリバーの首が縦に振られる事はなかった。

 しかし今回のは自信がある。鉱夫を納得させるには酒だ。そして鶏肉に合うのはブランデー。それに漬け込んだ鶏肉を焼き上げ、たっぷりの削ったチーズと一緒にパイ生地で包んだ。

 膨らんだ卵型のそれを釜に放り込めば焼き上がるのを待つだけ。

 今日こそ認めてくれるだろう。彼に店主と呼ばれるところを想像したら笑みがこぼれた。


「その顔だと手応えありか? 楽しませてもらえそうだな、え?」

「今日こそは合格を出してもらいますよ」


 オリバーの前にエールを置くと顔を綻ばせながら半分ほど流し込み、口ひげに残る泡を拳で拭い取った。深く、長い息を吐きだしてから、今度はゆっくり味わうように楽しんでいる。

 本当に美味そうに飲む人だな。おっと、そろそろ焼ける頃だ。膨らみ、焼き目のついたパスティを釜から取り出してオリバーの前に置く。

 湯気をあげる焼き上げたばかりのそれは、見た目は今までと同じだが、中は大きく違っている。


「では、頂くとしよう」


 オリバーは、太く、硬くなった指でパスティをつかみ、かぶり付いた。パイくずがカウンターにこぼれる。荒々しくもう一口。もう一口。パスティが半分ほどの大きさになった時、老人は顔を上げた。


「ブランデーか?」

「ええ、鶏肉を漬け込んでから焼きました。それとハーブを少し」

「美味い。ほぼ正解だ。しかし、これを見ろ」


 乾ききり、がさつく無骨な手は肉汁で汚れていた。その油をなめとりながらニヤッと笑うが、その目は優しかった。


「ブランデーを使った濃い味付けは正しい。しかし儂らは鉱山の中でこれを食っていた。手をこんなに油まみれにはできん。惜しかったな、小僧。ごちそうさん。また来る」


 オリバーはエールを飲み干し帰っていった。

 ブランデーで漬け込めば汁が出るに決まっている。汁を漏れないように? さっぱりわからん。

 自分で食べようと思って焼いたもう一つのパスティだったが、失敗作と思うと、とても食う気になれなかった。

 最後の客が店を出て片付けが終わってもパスティはカウンターに放置されたまま。

 さて、どうしたもんか。そうだ。

 帰り支度をして裏口から出る。あのガキはまだ物陰で両足を抱えて小さくなっていた。


「おい、小僧、食うか? 余ってるんだ」


 声をかけるとビクッと身を震わせていた。そんなに怖がらなくてもいいだろう。パスティを差し出すとおずおずと受け取った。

 本当に食べてもいいの? といった顔だな。構わないさ。

 首を縦に振ると、がっつき始めた。よほど腹が減っていたんだな。

 ふむ。こう見ると肉汁が多いのがわかる。あっという間に手がベタベタになっているな。

 食い終えて手をなめているガキに聞いてみた。


「美味いか?」

「……まあまあ」

「正直だな。いつまでもこんな所にいるなよ」


 目を伏せたままのガキをそのままにして帰路についた。今日は疲れた。さっさと寝たい。

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