第15節 裁判官と義賊と旅人

 雪が強くなってきました。この寒さと雪では現れないかもしれません。私が潜む隠れ家の外では商館が吹雪に溶け込みそうになっていました。今夜は諦めたほうが良いかもしれません。すっかり冷めてしまったホットウイスキーですが甘味の中にある刺激で手足に熱が巡りました。

 神よ。義を成すためとはいえ、あなたの教えに背いている事をお赦しください。

 ふう、お陰で温まりました。もう少しだけ見張るとしますか…… あれは?

 商館の前に人影。現れましたか!

 残るホットウイスキーを一気に飲み干し、外に出ました。それを阻むように吹きすさぶ雪のせいで目を開いているのがやっとですが私は確かめなければなりません。トルヴァルドが再び現れたのかを。

 その人影は商館の前で足を止めました。間違いないでしょう。押し入る前に取り押さえます! 距離を詰め、メイスを握りなおしました。


「そこまで! これ以上罪を重ねさせません!」


 その人は振り返りましたが、コートの襟を立て防寒スカーフで顔の半分を覆っていたので顔を確認できませんでした。しかし、雪が積もって重くなったつば広帽に見た覚えがあります。


「ああ、イェルドか。久しぶり。私だ。ギルだ。去年以来か? それはそうと温まれるところを教えてくれ。どこも開いていなくて困っていたんだ」

「ギル? なんでこんな時間に、こんな場所にいるのですか?」

「いや、迷ってしまってね。さっき街に着いたばかりなんだ」


 まったくこの人は。今まであった緊張感がすっかり失われてしまいました。

 ギルを隠れ家に引き込み暖炉に火を入れました。窓から見える商館は静かなまま。私たちが付けた足跡はすでに雪に埋まってしまいました。今夜はここまでにしましょう。カーテンを閉めギルにコップを渡しました。


「どうぞ。冷えてますが」

「ああ、助かる。去年もこうしてウイスキーをもらった気がする」

「気のせいではないですよ。あの時の怪我は?」

「かすり傷だったからね。すぐに直ったよ。それもイェルドが助けを呼んでくれたお陰さ」


 これが倒壊した礼拝堂内に埋まっていた人の言葉ですか?

 昨年の雪崩による事故。今思えば私が生き埋めにならなかったのが不思議でなりません。


「こんな時間にイェルドこそ何を? メイスなんか持って最近の司祭は押し込み強盗もするのか?」

「まさか! 逆ですよ。私は捕えたかったのですよ。かつて、義賊と呼ばれたトルヴァルドを」

「司祭が? 衛兵の仕事だろう?」

「この街は衛兵が少ないんです。私も共に行動することもありますよ。それに…… トルヴァルドは死んでいるはずなんです。私自ら裁判で判決を下し、私自らが刑を執行したのですから」


 トルヴァルド。彼はこの街にいた義賊。不当に財を蓄えた者から奪い、苦しむ者たちに惜しげもなく分け与えた。そして盗むのは金銭のみ。けして人を傷つけない犯行から彼を英雄視する者も多かった。そして現場に残されているのは刃が潰され剣身が黒く塗りつぶされナイフ。それがトルヴァルドのやり方でした。

 何度も追いかけて逃げられて、ようやく捕えました。そして神の名の下に裁判を行ったのも私。貧しき者へ施す彼に同情はしましたが、神の前では平等に裁かねばなりませんでした。

 彼に言い渡した刑は、三つやり霊峰へ流刑。冬の過酷な三つ槍霊峰を生き残る事は不可能です。

 私は衛兵と共に霊山に踏み入り、薄手の衣服しか身に着けていないトルヴァルドの拘束を外しました。

 最後に交わした言葉、彼の目に浮かぶ怒りの炎は忘れようがありません。


『お前に渡せるのはこのダガーだけです。辛さに耐えきれなければ使いなさい。最後の慈悲です。神もお許しになるでしょう』

『慈悲? 神が何をしてくれた? 貧しい者を見殺しにしているだけだろう! そんなものを俺は神とは呼ばない! 何とか言ってみろ、イェルド! 俺が神をおとしめているぞ! さあ! 神罰でもくれてみせろ!』


 その時、私は何も言えませんでした。背後からたたきつけられる怒りから逃げるしかできませんでした。彼がいなくなれば、また弱者が犠牲になる。それを防ぐ手段を持たない自分には向き合えませんでした。


『必ず生き延びてやる! 見ていろ! イェルド! 俺が世界の全てを奪いつくすところを!!』


 その日から三つ槍霊峰は猛吹雪で閉ざされ、トルヴァルドは二度と現れませんでした。


「それが最近になってから幾つもの商会が襲われています。残されているのはトルヴァルドのナイフ。街の者は彼が生き返ったのではと、うわさしていますが私は信じたくありません。彼は人を傷つける犯行はしていませんでしたが、昨今の盗みではためらわずに傷つけています。私は、本当に彼が犯行か確かめたいのです。本当に彼なのか? もし彼の名を語る者ならば許せません」

「イェルド」

「なんでしょう?」

「まるで、その義賊の味方みたいな話し方だ」


 ギルの言葉を受けて、返答につまりました。

 暖炉の火を受け、私の影が揺れています。それは私の心の揺らぎのようでした。

 私は……トルヴァルドの肩を持っているのでしょうか? 神の名の下、公平でなければなりません。しかし…… どうしてここまで心がざわつくのでしょうか?


「すぐに答えを出す必要はない。私はイェルドの味方だから」


 今は考える時ではありません。賊は捕え、裁く。トルヴァルドであろうと、なかろうと。


「迷い、考える。時には助言を求めてもいい。ただし、それを決めるのはイェルドだ。君の意思だ。神に逃げてはいけない。司祭様にこんな事を言ったら怒られそうだけどね」


 おどけて笑うギルにつられて私も笑ってしまいました。肩の力が少し抜けた気がしました。


「どうしたいのかはわかりませんが、私が捕えます。それが私の義務です」

「いいだろう。私も手を貸そう。イェルドには命を救われた。借りは返さないとな」

「助かります。正直な話、一人で見張り続けるのは辛くて」


 そうだろうな、と私の肩に手を置くギルが頼もしく思えました。




「こうして三日経つけど、現れないな。他が襲われたって話は?」

「いえ、ありません」


 ギルと交代で見張りを続けてますが、まだ現れません。前回の被害から今日で十日目。今までの犯行間隔からすると、とっくに現れてもいい頃ですが。

 今夜は良く晴れていて月が照らす街は白く輝いていました。これだけ明るいと今日も空振りでしょうか。

 目を伏せている私の腕にギルが触れました。彼の視線の先にあるのは商館の隣にある倉庫。何もありませんが…… いえ、あれは煙? 倉庫脇から煙が上がっています。煙の元は見えませんが、路地の雪は赤く照らされていました。


「火を放つとは卑劣な!」


 駆けだそうとする私をギルが制止しました。


「あの火は陽動だろう。今動けば思うつぼだ」

「だからと言って捨てておけません! 離してください!」

「待て、火は私が対処する。イェルドは目を光らせておいてくれ。賊の仕業なら、この混乱に乗じて必ず動く」

「すいません、ありがとうございます」


 表に出たギルが大声で出火を知らせていました。深夜にも関わらず人が集まり、消火に努めています。火は表通り近くの路地…… という事は、裏通りから逃げるつもりでしょう。こちらからは死角です。

 上着を羽織り、大急ぎで飛び出しました。目指すは商館の裏手。滑りそうな雪を踏み締め回りこむと、重そうな箱を抱えた男と鉢合わせしました。彼が賊で間違いないでしょう。幸い彼は一人、捕えられます! 


「動くな! 私は司祭イェルド・サリアン! 大人しく罪を認め、償いなさい!」


 その者は私に向かって箱を投げつけてきます。その箱は宙を飛び、私の前で金貨を吐き出しました。踏み固められた雪道を転がる金貨。それは月明りを反射して黄金色の輝きを放ちました。

 その向こうで走り去る盗人。金貨は後回しです。箱を飛び越えて追いました。

 いくつもの通りを抜ける最中、芽生える違和感。

 トルヴァルドはこの街ので育った。身軽であり、雪に慣れている彼が私に追いつかれ事はありません。この盗人はトルヴァルドではありません! 彼の名を語る小物。私一人でも捕まえてみせます!

 次第に距離が縮まり、あと少しというところでした。角を曲がった私に刃が襲い掛かってきました。確実に命を刈り取ろうとするそれをメイスを使って受けました。重い斬撃を何撃か防ぎましたが、雪を蹴り上げられ視界を奪われた隙に蹴り飛ばされました。

 しまった! メイスが!

 武器は転がった私の手元には無く、賊の足の下にありました。


「せっかくボロい稼ぎができてるのに邪魔しやがって、お前しつこいんだよ! 死ね!」


 振り下ろされる剣を転がって避けますが壁まで追い詰められてしまいました。私は立ち上がる隙も見つけられず、武器もない。賊は余裕の表情で武器を掲げています。


「これで終わりだ!」


 再び襲い来る凶刃でしたが、予想外の助けで私は無事。今度は賊が転がる番でした。


「よう、イェルド。こいつが俺の名を語るコソ泥か?」

「まさか! 生きていたのですか! トルヴァルド!」


 間違いありません。剣を持ちながらも命を奪わず意識を刈り取るに留めている彼は、トルヴァルドです。その姿は三つ槍霊峰へ流刑した時と変わっていません。いえ、今の彼には以前以上の活力が満ちていました。


「少し老けたんじゃないか?」

「あれから十年は経っています。そのわりに良く動けているでしょう? あなたは…… あの頃のままですね。どうやって生き延びたのですか? 神の御許に旅立ったはずです」

「あの時も言ったが、俺に神はいない。まあ、生きているのは呪い師の力だけどな」

「呪い師?」

「そうだ。俺は取引したんだよ。だから帰ってきた。イェルド、忘れるな。俺は汚い金を全てを奪う。義賊トルヴァルドの復活だ! イェルド! 止めてみせろ! 俺を止められるのはお前だけだ」

「待ちなさい!」


 去ろうとするトルヴァルドは振り返り笑いました。その自信に満ちた笑み。ああ、彼は本当に変わっていないのですね。


「焦るなよ。まだ、何も盗んじゃいない。追われるのは盗みを働いてからだ。これから楽しくなるぞ」


 トルヴァルドを追いかけようとしましたが、思い直し踏みとどまります。

 三つ槍霊峰へ流刑から生還した彼は罪を赦されています。それは神が定めた理。私が覆す事は出来ません。


 「イェルド! 無事か? 賊は?」


 ギルが来てくたようですね。これで賊が暴れても問題ないでしょう。

 気を失っている賊を拘束しているギルに問われました。


「こいつがトルヴァルドか?」

「いいえ。別人でした」

「その割にはうれしそうだ。トルヴァルドに生きていてほしかったんじゃないのか? それとも彼の名を語る賊を捕まえた達成感か?」

「私が、うれしそう、ですか?」

「そうさ」


 そんな顔をしていたのでしょうか? トルヴァルドが生きていたから? いえ、そうかもしれません。

 

「彼は生きていました。この先も盗みを働くでしょう。私はまた捕まえます。そして、また裁きます。何度でも。それが私と彼の宿命です」

「迷いはなくなったようだね」

「そうかもしれません。私は私の務めを果たすだけですから。まずは、ばらまかれた金貨を回収しませんと」

「金貨?」


 ギルは何を言っているかわからないといった様子です。ここに来る途中で見ているはずです。雪の通りに広がる金貨を。


「ええ、ありませんでしたか? 金貨」

「いや、見ていない。戻るついでに確認しよう」


 月明りに照らされた通りには一枚の金貨も残されていませんでした。あるのは……雪に突き刺された一本のナイフ。刃が潰され、剣身が黒く塗りつぶされているトルヴァルドのナイフ。


「やられました!」

「私にもわかるように教えてくれないか?」

「トルヴァルドです! 彼がかすめ取ったのです! まんまと利用されました!」


 してやられた。それなのに何故か喜んでいる私がいました。これで彼を追う事が出来る。神の信徒としてあるまじき考え方なのは理解しています。

 神よ。お赦しください。トルヴァルドを再び捕える喜びを感じている私をお赦しください。

 彼のナイフを握る手に自然と力が入りました。

 今回は負けましたが、次は捕まえます! トルヴァルドを裁くのは私です!

 今度は負けませんよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る