第1節② 木こりと旅人
村を見下ろせる丘まで戻ってきたのは日が落ちかかった頃だった。秋も終わろうとしているせいか少し肌寒い。
「ビリー!!」
爺ちゃんだ。探しに来たんだ。剣を勝手に持ち出したのがばれたのかもしれない。腰が悪いから、ここまで来るのは大変だったろうに。
爺ちゃんは真っすぐ僕の元まで来て強く抱きしめた。
「無事で良かった」
「う、うん」
「
「うん」
爺ちゃんが離れたと思ったら、衝撃を受けて転がった。頬が痛い。視界が回る。殴られたとわかるまで少しかかった。自分で立ち上がる前に引きずり起こされた。
「いいか! お前が持ち出したのは武器だ! 人を殺す為の道具だ! そんなに戦いがしたいか? 殺し合いがしたいか? だったら俺が教えてやる」
突き飛ばされてまた転がった。爺ちゃんは草の間に落とされた剣を拾い、構える。剣先を僕に向けて、束頭を覆うように手を添えて。張り詰めた空気を漂わせる爺ちゃんは、紛れもなく戦士だった。
怖い。後退ったけど、それ以上に距離を詰められた。助けてほしかったけど、父さんも、ソニアも見守るだけだった。
爺ちゃんが踏み込んだ。それは、深く、鋭い、踏む込み。老人とは思えない踏み込み。
思わず目を閉じて身を固くしたけど、いつまでたっても何も起こらなかった。
そーっと目を開けると剣先は僕の胸の前で止まっていた。
「怖いか? これが戦いだ。これが命を奪うという事だ。ビリー。お前は儂のようにならないでくれ。頼むよ」
剣は引かれ、代わりに手が差し出された。しわがれてゴツゴツした爺ちゃんの手。僕の手を優しくつかむと立ち上がらせてくれた。
謝ろうとしたけど、僕を見ていなかった。驚きで見開かれた目が捉えていたのは旅人だった。
「まさか! 随分と久しぶりじゃないか! 忘れられてたかと思ったぞ!」
「すまない。大陸から離れていたんだ。サムが健在でなによりだよ」
二人は強い抱擁を交わして背を
「良い時を過ごしてきたみたいだね。それにしても年をとったな。しわだらけじゃないか」
「このしわの一本一本が儂の生きた証。羨ましいだろう?」
「そうだな。私には高望みすぎる夢かもしれない。羨ましいよ」
「諦めたのか?」
「まさか。ひがんでいるだけさ。そうだ。ホリーの墓はどこだった? この辺りだったろう?」
ホリー、婆ちゃんの名前だ。僕が生まれるずっと前に死んだって聞いただけで、どんな人かは知らない。
ここだ、と爺ちゃんが教えたのは、あの丸石。旅人は前に膝をつくと荷物から酒瓶を取り出すと丸石にかけ、自分も飲んだ。渡された爺ちゃんも飲む。語りあうわけでもなく、ただ、三人で静かに回し飲みしているだけだけど、語らなくても伝わっているんだろう。
「あの、わたし、お墓だと知らなくて、座っちゃいました。ごめんなさい」
黙っていればわからないのに。でも、ソニアらしいな。思った事は何でも口に出して。真っすぐで。
「知らなければ仕方がない。怒られるのは儂の方だ。いつまでもこんな墓のままにしていてはな。なあ、ギル?」
「そうだな。名前ぐらい彫っておこうか」
「なんでこんなところにお墓を建てたんですか?」
「もうすぐわかるさ。その前にホリーの事を教えてやったらどうだ。ビリーの為にも。なあ、サム?」
爺ちゃんは、少し迷っていたようだったけど、婆ちゃんの墓の前に腰を下ろし、話し始めた。愛おしそうに丸石をなでながら。
「儂はこの村で生まれて育った。しかし退屈な村が嫌になり、街に出て戦士になった。たくさん戦ったよ。たくさんの人を守って、たくさんの人を殺した。ホリーもこの村の生まれで、儂を追いかけてきてくれたんだよ。ギルと出会ったのもその頃だ。儂ら三人一組で上げた戦果はちょっとしたものだった。少し経った頃、儂とホリーは結ばれたんだ。この剣はな、元はギルの剣だ。結婚の祝いとして贈られたんだ」
あの剣はギルの剣だったのか。ん? だったら、ギルの短剣は?
「そして、この短剣はホリーへと贈った。私の元に戻ってきたのが残念だ」
「その後ギルは戦場から去った。儂らは二人で戦った。ホリーが息子を身ごもったとわかってからは、儂一人で戦い続けた。辛かったが家族の為だと思い頑張れたのかもしれない。息子が走りまわるようになった頃、ホリーは村に帰りたいとしきりに零すようになった。儂は儂で思う所があったのも確かだ。血にまみれた手で息子を抱き上げて良いのだろうか? 常々思った。結局、儂は家族の為に戦士を辞め、村に戻る事にしたんだよ」
爺ちゃんは目を閉じ、長い息を吐いた。ギルも、ソニアも、静かに見守っていた。
「丁度、街に訪れていたギルと一緒に村へと帰る途中、オオカミの群れに襲われた。そこで、ホリーの旅は、終わった。後日、ギルが短剣を取り戻してくれたんだが受け取れなかった。受け取ったらホリーの死を認める事になると思ったんだ。ギルは短剣を持ったまま村を去った。……あれから何年経った?」
「30年ぐらいか? 今度こそ預かっていた物を返そう」
旅人は
「ずいぶんと待たせてしまったな」
「気にしなくていい。私の時間は長いから」
旅人は笑った。爺ちゃんは短剣を額に当てて何かをささやいた。『おかえり』と言ったんじゃないかな。
声をかけてあげようと口を開いたけど、その姿を見たら、なんだろう、邪魔したら駄目だと思った。
そろそろじゃないか、とギルが顔を向けた先は、西日が、村を、山を、空を、雲を、真っ赤に染め上げていた。
爺ちゃんがその隣に並び立つ。
「ホリーが好きだった眺めだ。ここから見える全てがかけがえないと言っていた。だからここに墓を建てた。どうだ、ビリー。これが儂たちの世界だ。良いと思わないか?」
僕には何も言えなかった。奇麗な夕焼けだとは思うけど、僕にはそれ以上に見えない。
でも、爺ちゃんとギルにとっては大切なんだ。僕にもそう思える日が来るのだろうか?
翌朝早くにギルは村を出た。本当に短剣を渡しに来ただけだったみたいだ。
ソニアと一緒にギルを見送った帰り、婆ちゃんの丘に座って考えた。僕は何に成りたいんだろう? 何に成るべきなんだろう?
ソニアが頭を悩ませている僕の顔をのぞき込んで言った。
「ビリーはまだ戦士になりたい?」
「わからない。でも、今は爺ちゃんの生き様を見届けてからでいい気がする」
ああ、やっぱり考えるのは苦手だ。そのまま寝転がって大きく伸びをすると、ソニアが笑いながら僕の頭をコツンと蹴った。
「何するんだよ」
「ふふっ。頭を使えと言ったけど、やっぱり突っ走るビリーの方が良いわ」
「馬鹿にしてるのか?」
「全然! 褒めてるのよ!」
まあ、いいか。ゆっくり考えよう。僕の人生はこれからだ。
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