第1節① 木こりと旅人
僕はこの村が嫌いだ。
村を見下ろせる丘から、山に囲まれたちっぽけな自分の世界をにらんだ。
悪い村じゃない。きっと良い村だと思う。でも村に人が来るのは一月に一度の行商人だけだし、
自然と剣を握る手に力が入った。古い爺ちゃんの剣だけど、持っているだけで強くなれた気がした。
「ちくしょう!」
怒りに任せて、背の高い草に斬りかかったけど倒れただけで、それが余計に苛立ちを大きくした。
「サムの剣を勝手に持ってきたら叱られるよ」
丸石に座り、足をパタパタと振りながら、ソニアは言った。
村で僕と歳が近い人はソニアしかいない。一緒に騒げる男友達がいないってのも面白くなかった。
「うるさい。見つからなければいいんだよ。それと、その石から降りろ。爺ちゃんが怒る」
「なんで?」
ソニアは丸石から降りると、しゃがんで丸石の砂を払った。丘の草に埋もれそうな、なんの変哲もない丸石を爺ちゃんが大切にしている理由は知らない。
「知らね」
「ねえ、どうしてビリーは戦士になりたいの? 木こりは嫌? 村が嫌い?」
「嫌じゃないけど、男なら強くなって名を上げたいと思うのは当然だろ?」
ソニアは僕に向き直って首を傾げた。
「戦士って戦争で戦うんでしょ? 今って戦争してたっけ?」
「爺ちゃんが戦っていたような大きな戦争はないけど、小さい戦いはあちこちである、って行商人が言ってた」
「ふーん。ビリーは戦ってたくさん殺したいんだ。あたしにはわかんないな」
「……そうさ。それが男の生き方だ!」
思わず、語気が荒くなった。強い風が吹き抜けて草がなびく。ソニアが波打った茶色の髪を押さえた。
やっぱり男の生き方は女には理解できないか。理解されなくても僕は戦士になる。でも、どうやって説得すればいい? いつもは僕の味方をしてくれる爺ちゃんだけど、本気だっていくら言っても首を横に振るだけ。自分だって戦士をやっていたのに、なんで僕は駄目なのさ!
……いい事を思いついた。近くの谷底を根城にする大イノシシ。そいつを倒せば父ちゃんだって認めてくれる。今なら爺ちゃんの剣がある。やるなら今だ。
「どこいくの?」
谷底へ向かおうとする僕をソニアが追いかけてきた。
「ソニアは帰れ。ここから先は男の居場所だ」
「もしかして、谷底の大イノシシ? 止めたら? 倒せるはずがないじゃない」
!! なんでわかった?
驚く僕を見てソニアは笑った。
「やっぱりそうなんだ。どうせ大イノシシを倒せば認めてもらえるって思ったんでしょう?」
「わかってるなら帰れよ! 男にはやらなきゃならない時があるんだ!」
「待ってってば! あの大イノシシが普通じゃないって知ってるでしょう? 群れを作らないし、縄張りのように谷底を根城にしてるし。イノシシとは思えないわ」
「……詳しいな」
ソニアは胸を張って指をピンと立てた。
「これでも猟師の娘よ。獲物を知らずして一人前の猟師にはなれない。父さんの受け売りだけどね。ねえ、どうしてもやるの? 畑を荒らしてないし、奇麗な毛をしてもいないし。ビリーが戦士になるためだけに殺すの?」
足が止まりそうになった。
殺す。またその言葉だ。そうさ。みんなそうやって大人になるんだ。自分が進む為に何かを足場にして何が悪い!
でも、僕は、ソニアの問いかけに答えられなかった。答えたくなかった……のかもしれなかった。
ついて来るソニアをどうやって追い返そうか考えている内に、谷底は目前となり、切り立った壁にはさまれたそこを通り抜ける風は不穏な音を立てていた。
「もう谷底だ。いい加減、帰れよ。戦いになったら守ってやれないぞ」
「んー、大丈夫じゃないかな? だって……え?」
ソニアの足が止まった。目を見開いていた。その目線を追う。その先には大イノシシ。うなり声は上げ、たてがみを逆立て、後ろ脚で地面を引っかいていた。
普通のイノシシより倍以上大きいんじゃないか? 上等だ! やってやる!
剣を構える僕をソニアが引っ張った。
「ビリー! 逃げよう! 繁殖期じゃないから安心してたけど、気が立ってる。なんで? 縄張りに踏み入ったから? 本当にイノシシなの?」
「知るか! やってやる。男を上げるんだ!」
ここまで来て引けるか!
剣を振り上げようとしたが、突然、腕を押さえられた。誰だ? いつの間に? それは、つば広帽にコート姿の旅人だった。油断なく大イノシシを見据えている彼が構えるのは頼りない短剣だったが、まるで体の一部のように見えた。
「二人とも、私の後ろへ。刺激してはいけない。君、剣を貸してくれないか?」
穏やかな口調だったが、逆らわせない語気を含んだ声に素直に従った。
旅人は構え直す。短剣は前へ、剣は後ろへ。ただ武器が一本増えただけなのに、空気が重くなった気がした。
それからしばらくの間、大イノシシと旅人のにらみ合いは続く。緊張で生唾を飲み込むと、冷たい汗がつーっと背を伝った。それは歴戦の戦士が向き合っている姿。命の奪い合い。一歩も動いていないのに、なぜかそう思った。
大イノシシが大きく地面をかく。跳ね上げられた石が転がる音が谷底に響く。
始まるであろう戦いに身を強張らせたが、大イノシシは大きな体を揺すりながら身を翻した。
その姿が見えなくなってから、ようやく剣を下ろした旅人は長い息を吐いた。旅人も気を張ってたんだろう。帽子で隠れていたけど玉のような汗が浮かんでいた。
「いや、危なかった。見逃してくれて助かったよ。君、剣を貸してくれてありがとう。……ん?」
剣の束頭を見た旅人の動きが止まった。片面に金床、もう片面にユリの花。ちょっと手の込んだ模様が刻んである爺ちゃんの古い剣。
「これは君の?」
「爺ちゃんのです。爺ちゃんは戦士でした。僕も戦士になりたい。旅人さんも戦士なんでしょう?」
「少しは剣を扱えるけど私は戦士ではないよ。君はどうして戦士になりたい?」
「どうしてって……強い戦士になれたら、みんなを助けられるし、尊敬してもらえるじゃないですか」
「そうだね。でも、そこまで戦士が素晴らしいのなら、なんでサムは戦士を辞めて村に帰ってきたのだろうね」
なんでだろう? 考えたこともなかった。
「ゆっくり考えてみると良い。戦士になるのはそれからでも遅くない。ところで村まで案内してくれないか? 道に迷ってしまったようでね」
「わかりました。こっちです。ソニア、帰ろう。ソニア?」
「あなた、何者? どうしてサムを知ってるの?」
危機は去ったというのに、緊張を解こうとしないソニアは旅人から後退った。
言われてみれば、僕は爺ちゃんの名前を言っていない。なんでわかったんだ?
「ああ、すまない。私はサムの友達、ギル。久しぶりに会いに来たんだ」
何でもなさげに言うけど、爺ちゃんにそんな若い友達がいるなんて聞いた事がない。父さんどころか、僕の方が近い年に見える。
疑いを解こうとしない僕たちに彼は微笑み、短剣を見せてくれた。その束頭は爺ちゃんのと同じ金床とユリの花。
「なんの証明にもならないけど、これぐらいしか示せる物がないんだ。信用してくれないか?」
どうしよう? ソニアを見ると、もう警戒するのを止めたようだった。
「わかりました。ギルさん、村はこっちです。あ、わたしはソニア。こっちはビリーです」
「お、おい! 良いのかよ!」
「良いんじゃない? 力ずくで案内させることもできるのに、しないんだもの。きっと悪い人じゃないわ」
「お前が疑い始めたんだろう!」
ソニアは大きくため息をついてから僕を指さした。
な、なんだよ。
「ビリーは頭を使う事を覚えた方がいいわ。何も考えずに突っ走るビリーも嫌いじゃないけどね」
なんだよ。
口を開きっぱなしで突っ立ってる僕を置いて二人は歩き始めた。
なんなんだよ。
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