呪われし不老の旅人、世界を癒す。

Edy

ある旅人の足跡

赤い本①

 その大聖堂には長い歴史を持つ図書館があった。

 しかしそれを知る者は少ない。日の光で紙が傷まぬよう閉塞されており、ごく一部の者以外の立ち入りを禁じていためである。

 ここに収められているのは本だけではない。巻物、石板、まとめられた紙束。それらのほとんどは収められてから手に取られもせず、ただ、そこに座していた。


 ある時、表紙を赤く奇麗に染められた真新しい本が収められた。


「本当にこれが納書されるのですか? ギルという名の旅人が歩んだ、ただの旅行記、日記? いえ。ほぼ、おとぎ話ですよね?」


 その赤い本の管理を任された若い助祭は、図書館の長である司祭に詰め寄った。


「静かにしなさい。この場は神聖なる教会図書館です」


 司祭は助祭をたしなめながら、静かな図書館の機嫌を損ねていないか確かめるが如く見回す。しかし、助祭は多少大人しくなったものの引きさがりはしなかった。


「すみません。でも、おかしいです。これには呪いや吸血鬼が書かれていました。いくら良い本であろうとも、おとぎ話はこの図書館に相応しいとは思えません」

「読まれたのですか?」

「所々かいつまんだだけです。わかったのは、木こり、商人、様々な人の体験や想いが記されていました。それらに関わっているのはギルという青年。彼は……」


 助祭は口を閉ざし、うつむいた。まるで、口に出すだけで禁忌に触れるのではないかと危惧しているかのように見えた。

 司祭は彼女の肩に手を置き、優しく声をかけた。


「話してみなさい。考えられる仮説を羅列し、検証し、除外する。それがゆるされざる内容だとしても、一つの可能性としてあげるのであれば神はお怒りになりません」


 まさか堅物の司祭から柔軟すぎる教えの解釈が聞けるとは思わず、助祭は顔を上げた。

 とまどいながらも、これは仮説にもなっていませんが、と前置きをして小声で言葉を続けた。


「ギルという者は呪い師に呪われて不老になり、旅したと記されています。呪い師に呪いを解かせるために。それこそ百年以上も。……私は何を言っているのでしょうか。あまりにも――」

「素晴らしい!」


 それは、初めて聞いた大声で、初めて見た笑顔だった。

 司祭は罰の悪さを隠すかのようにせき払いをすると、いつもの厳格な顔に戻った。


「失礼。なぜ、そう考えたのですか?」

「ギルに関わるところだけを読みました。ですが今のところ肯定も否定もできません。司祭は何かご存じなのですか?」


 司祭は腕を組み目を閉じた。それは決断して良いものか悩んでいるようにも見え、助祭は居心地が悪く感じた。


「ふむ、これに書かれている内容はとても現実的ではない。しかし……彼の足跡は史実と重なる点が多い。知りたいのでしょう? ギルという旅人を」

「気にはなりますが……」

「では、読むといいでしょう。細部まで徹底的に。わずかにつながった糸を紡ぎなさい。答えはそこにあります。もちろん、おとぎ話

として楽しむのもいいでしょう」


 司祭の言葉から、まだ隠されている秘密がある。そう感じた助祭は首を縦に振った。


「わかりました。勤務後に読み進めます」

「写本作業を半分にしなさい。残りの時間を費やす事を許可します。ただし、新しいとはいえ、ここに収める本です。丁重に扱いなさい。もしかすると……」


 司祭の真意まではくみ取れない助祭は首を傾げた。


「なんでしょうか?」

「いえ、あなたが真実にたどり着けるように祈りましょう」


 その翌日、助祭は写本作業を切り上げて赤い本を手に取った。

 ランプの灯りを調節し椅子を引いて背筋を伸ばす。助祭は本が好きだ。図書館に収めるべき本も、そうでない本も。膨大な時間を費やして記された本と、それを成した著者には敬意を払うべきだと考えていた。たとえ著者名が記されていないくとも。

 手袋をはめなおして、そっと表題をなでる。そこには金の刺繍ししゅうで『ある旅人の足跡』とあった。

 助祭は表紙をめくる。


 ――旅人の名はギル。ただのギル。これは彼の永い永い旅を書きつづった本だ――

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