第7節② 領主婦人と旅人
庭を走り回るベルノルトを見ていると元気に育ってくれて良かったと心から思う。息子を見るギルの眼差しも優しい。私の時もこんな感じで見守ってくれてたのかしら?
それにしても、息子にも挨拶させる事になるとはね。ギルに息子を紹介できた。また訪れてくれて本当にうれしいのよ。
やっと、やっと謝れた。笑って許してくれたけど、罵ってくれた方がまだ良かったわ。そうしてくれないと私はいつまでも負い目を感じてしまうだろうから。また自分の事ばかり、本当に嫌になる。
「君にそっくりな子じゃないか」
「でも、あの子いつも走り回ったり悪戯したりで大変よ」
「まったく同じだと思う」
軽口をたたくギルだけど、わざとやってるわね。
私もそれに合わせて少しだけ大げさに返した。
「私はそこまででもなかったわよ」
「そういうことにしておこう――」
「お母様! 変わったネズミがいる! 足が震えていて面白いよ!」
ネズミで遊ぶなんてやめてよね。
叱ろうとしたらギルが血相を変えてベルノルトに駆け寄り、ネズミから引き離すように息子を抱えた。
「どうしたの?」
「そのネズミに触れては駄目だ。悪い病に掛かる。見つけたら触れずに捕まえて燃やすしかない。町の人にも徹底させるんだ。いいね?」
「わかった。父と夫に伝えるわ。もし、病気になったらどうなるの?」
「ほとんどの人は干からびて死ぬ。そしてこの病は亡骸に触れても移る。この病で、いくつもの町や村が滅ぶのを見た」
なんて恐ろしい!
「病が広まったら? どうすればいいの?」
「乗り越えた町では死体を燃やしていた。衣服、寝具、触れたもの全てを。私は薬を探しに行く。すぐに戻って来られるかはわからないけど、それまで持ちこたえて」
真剣なギルの助言を聞いた父と夫は町の者に徹底させた。みんな半信半疑だったけど、隣町でこの病に掛かった者が現れ、たくさん死んだと伝わってくると言われた通りにしてくれた。そのおかげか病に掛かる人はいなかった。半年の間は。
最初の犠牲者は隣町に身内がいる家族。隣町の惨状を見かねてこっそりと受け入れたそうだ。その後は彼らがよく利用していた市場で。次は病院、その次は教会。
みんな、ネズミへの対処は守ってくれたけど、死体を焼くのを強く拒んだ。無理もないわ。死体を焼かれたら、その人は天国に行けないもの。
そうして病は町中に広まった。住人の五人に一人が死んだ頃、町中を回っていた父が倒た。すぐに母も。そして……
「奥様! 旦那様が!」
夫にしがみつこうとするベルノルトを抑えつけるしかなかった。私も大切な人を立て続けに失い立っているのがやっとで慰める余裕はなかった。でも今は動かなければならない。悲しむのは後からでもいい。
夫を遠巻きに眺めるしかできない使用人たちに指示を出した。
「あなたたち、父と母、それと夫を外に運びなさい。他の犠牲者も一緒に。けして素手で触れないこと。使った手袋、衣服は脱いで、ひとまとめにしなさい。……全て、燃やします」
「奥様! まさか! それでは旦那様が気の毒です!」
言われるまでもないわ!
「この町を守るためには仕方のないこと! 早くやりなさい」
屋敷の外に薪を積み上げ、夫たちを横たわらせた。他の犠牲者も一緒に。
領主婦人が亡骸を焼こうとしている。話を聞きつけた人々が集まってきていた。
「なぜ、そんな惨い事を!」「町のために働いてくれた領主様が天国に行けなくなってしまう!」「止めさせろ!」「領主婦人は悪魔の使いだ!」
好き勝手に口を開きながらにじり寄ってくる町の者の前に立つ。
悪魔? かつてギルを悪魔となじった私はそう呼ばれるのに相応しいわ!
松明を掲げて大きく振った。火の粉が散り、それを避けようと輪が広がる。
「静まりなさい! 死者を悼む気持ちはわかる。しかし! 残った私たちまで死んでどうなる! 死者の悲しみ、怒りは私が背負う! 焼け! 生き残れ! 子供たちのために! 焼きつくせ! これから生まれてくる命のために!」
薪に移した火は大きくなり、私の大切な家族を飲み込んだ。
ごめんなさい。お父様、お母様、あなた。私を許してくれるかしら。いいえ、無理でしょうね。もう天国に行けなくなったのだから。でも、あなたたちが守ろうとした町のためには、こうするしかなかったの。
決然とした態度を見せなければならないのに、燃え盛る炎が心をかき乱し、流れ出る涙を押し留めることはできそうにもなかった。
「お願い。これ以上、犠牲者を増やさないためにも、どうか……」
想いがあふれ、声が詰まり、それ以上言葉を重ねられず、ただ、立っているしかできなかった。
その後、死者の火葬、病人の隔離はしっかりと行われるようになり、病は収束していった。
私の説得が届いた? 違うでしょうね。炎を背負っていた私が怖かったのでしょう。実際、親を燃やされえた子供に石を投げつけられたのは一度や二度ではすまない。
色々ともめたが空席となった領主の座は私が引き継いだ。住人たちから恨みを買いながらも。
だからという訳ではないけれど、町のために必死に働いた。たくさん勉強もした。そのせいでベルノルトには寂しい思いもさせてしまったかもしれない。
――私の人生で最悪はいつ? 間違いなく22歳の時ね――
「母さん、本当にいいのか? 妻も歓迎してくれる。一緒に暮らそう」
「新婚の邪魔はしたくないわ。それに私が一緒では町の人から反感を買うでしょう。ベルノルト、あなたが領主を引き継いだのだから何を優先すべきか、しっかりと考える事ね。あなたのお
ベルノルトは立派になった。私の息子というだけで大変だったけど、みんなから認められる良い領主になってくれた。
やっと結婚して悩みの種の親離れをしてくれたし、奥さんも素敵な人だ。きっと幸せになってくれるわ。
でも、まだ不安そうな顔をしているわね。
にっこりと微笑んでベルノルトの額を指でトンと突いた。
「私の事は気にせずにしっかりやりなさい。町と家族のために。これが私からの最後の助言よ」
――45歳で領主を息子に引き継がせ、私は一人になった――
ろくに動けなくなると昔の事を思い出すようになるのね。毎日毎日暇で仕方がないわ。……あら誰か来たわね。
階段を上がる足音が聞こえる。だんだんと近づいてきて、扉をたたく音に変わった。
「どうぞ。ギルね? 頻繁に来てくれてうれしいけど、私はそこまで寂しがりやではないわ」
「そうか? 鎧を倒して泣いていたアメリーとは思えないな」
何時の話をしているのよ、と二人で笑った。思えばギルには迷惑をたくさん掛けてしまっている。今更一つ二つ増やしても文句は言わないわよね。
「ねえ、お願いがあるの。あの絵が見たいわ。連れて行ってくれない?」
ギルに抱きあげてもらい、お気に入りだった踊り場にある絵を見上げた。
私の目にはもう何も映らないけれど、父、母、レオ、ギルに囲まれた幼い私が笑っている。
「良い絵ね」
「ああ」
「もう私とギルだけになってしまったわ。じきにギルだけになる。でもベルノルトがいるわ。そのうち子供もできる。また騒しくなるわ。私の子と孫たちを、時々でいいから、見守ってあげてね」
「約束しよう。でもアメリー、もう少し自分で見守ってやったらどうだ?」
「だめよ。もう自分で立ち上がる事も出来ない。あの時の病ではないけれど、長くないと言われたわ。きっとこれは罰よ。みんな燃やしてしまった罰」
あれからずっと考えてきた。あれで正しかったのだろうか? もしかしたら大きな間違いだったのかもしれない。
「アメリーのおかげでこの町は救われた。罰ではないさ。それに私だって薬を間に合わせる事ができなかったじゃないか」
「なんでもいいわ。それより、もう一つお願いがあるの。これはギルにしか頼めない。私が死んだら燃やしてちょうだい。天国には行けなくなるけれどそれでいい。父と、母と、夫のところに行きたいの」
彼の顔は見えないけど、酷い顔をしているのはわかる。震えが伝わってきているから。優しく頬をなでてあげた。
ふふ、泣くまいと力が入っているわ。馬鹿ね、泣いたって私には見えないのに。
「わかったと言ってちょうだい。若者は年寄りのいう事を聞くものよ」
「……どっちが年寄りかは怪しいけど、わかった。言う通りにしよう」
「助かるわ。だからギルを待っていてはあげられないの。ごめんなさいね」
「いいさ。アメリーの旅だ。行先はアメリーが決めればいい」
燃やされた私は天国には行けない。だったらどこに行くのかしら? どこでもいいわ。そこには父と、母と、夫がいるのだから。
――私の人生は52歳で終わった。本当に、本当にいい人生だった――
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