第14節① 侍と旅人

 この地でかたきを探して三年。未だ手がかりすら得られぬ。この地は広大で、人もまた多い。その上、肌、目、髪の色も様々。仇の姿を覚えていないとはいえ、すぐ探し出せると考えていたが甘かったかも知れぬ。

 二刀の扱いでは右に出る者がいない兄を倒した剣士。それが双剣の使い手とあれば名のある実力者に違いない。うわさ話がいくらでも拾えると考えていたが……

 兄上。困難な道となりましたが、必ず成し遂げてみせます。

 その想いを拒むように街道はどこまでも続いていた。


 仇を討つとは言え常に気を張ってはいられぬ。緩りと足を動かしていると馬を引いた行商人に追いつかれた。


「こんにちは。随分と軽装ですが不足している物はありますか?」

「かたじけない。事足りています故、結構」


 かような言葉では怪しまれても仕方あるまい。不自由なく言葉を交わせるようになったが、なまりはまだ取れないでいる。この地で三年も過ごしたが生まれもった質は変わらぬのであろう。

 街道を踏みしめる草履は皮の長靴になり、着物とはかまもこの地によくある衣服に袖を通すようになった。手入れに手間がかかるまげも落とした。厳格な兄がこの姿を見たら何と言うであろうな。

 残るは兄の刀。そして技。わっぱであったそれがしに刀の振り方を教えてくれたのは兄だ。不器用な某は叱られてばかりであったが、居合だけは手放しで褒められた。それがうれしくて鍛え続け、あの頃とは比べ物にならぬ程速くなったが褒めてくれる兄はいない。


 草原の一本道はいつしか森の脇へと景色を変えた。次の町まであと僅か。果たして手がかりは得られるだろうか?


「そこで止まれ! 荷物を全部寄こせ! 馬もだ! 逆らえば殺す!」


 先を行く行商人の前に飛び出してきたのは年若い三人。みすぼらしいいで立ちに手入れされていない剣。剣技は詳しくないが構えはお粗末。あれでは持っているだけだ。しかも一人は手ぶらときている。大方食うに困り野盗に身を落とした口か。少々怖い思いをさせて追い払えば良かろう。それに……あわよくば路銀が稼げるかもしれぬ。

 立ちすくむ行商人の前に出る。刀は……抜かぬ方がよいか。


「かような狼藉ろうぜきは見過ごせぬ。武器を収めて立ち去れば見逃してやろう」


 聞く耳持たんとばかりに一人が飛び出してくる。立ち塞がるのが一人しかおらず、抜刀もしていないのであればそうするであろうな。

 上段から振り下ろされる剣を半歩で避け、みぞおちに柄を突き入れる。体を折る野盗から離れると胃の中の物が吐き出された。

 こやつ、ろくに飯を食っておらぬな。あわれになってきた。


「実力差は明白だが続けるか? 次は、抜く」


 鯉口こいくちをきり柄に手をかける。これでも来ると言うなら仕方あるまい。

 僅かな時の後、野盗は逃げ去った。

 殺さずに済んでなにより。駆け寄ってくる行商人を労ってやれば今宵はたらふく飯が食えるであろう――

 突然、草木の擦れる音と共に森の茂みから男が現れた。野盗め、まだ隠れておったのか!

 思ったより近い。力量がわからぬなら加減はできぬ。斬る!

 居合抜きからの逆袈裟けさ。胴を断ち切るつもりで放った刀は軽々と弾かれた。いくら軽い短剣とはいえ後から抜いて防ぎきるとは! こやつ、できる。

 跳び退き納刀、今一度最速の居合を――

 ん? さやに入らぬ。チラリと目をやると刀身半ばで折れ曲がっていた。

 なんたる事! 兄の刀が!

 その男は油断なく短剣を構えている。そして外衣の内にも剣。武器を持たぬ右腕の位置からして双剣使いと見た。兄と同じように双剣使いに敗れるとは因果なもの。じわりと詰め寄るそやつを前に、打つ手が見いだせずにいた。

 素手でどうにか出来る相手ではない。逃げるは侍の恥。醜くあがくのも侍の恥。……最早ここまでか。国を出て以来の正座。胸を張り堂々と死んでみせようぞ。


「某の負けだ。斬れ」

「は?」


 その後、行商人が仲介してくれたおかげで誤解は解かれたが、申し訳なくて顔が上げられぬ。ギルと名乗った旅人は気にしていないようであったが気が済まぬ。


「剣士殿、誠に申し訳ない!」

「私は剣士ではない。ただの旅人だ。もういいから頭を上げてくれ。それよりウキョウはこっち人ではないな。もしかするとバクフの国か?」

「幕府は国ではありませぬが、その通りです」


 懐かしいな、と笑うギルであったが、某の国は遠い。気軽に行ける所ではない。まだ若いというのに行動的な御仁だ。


「カタナはどうする? こっちだと直すのも難しいんじゃないか?」

「それは……その通りですが……」


 そこまでの業物ではないとはいえ愛着もあれば想い入れもある。これは兄が最後の立合いで振るった刀。

 あれは凄まじかった。太刀と剣、小太刀と短剣。四振りの刀と剣がそれぞれ自らの意思を持ってるが如く舞う。扱う二人も軽やかに位置を変える。人種も得物も異なる二人だったがよく似ていた。ほとんど他者へ心を開かない兄が意気投合したのもわからぬでもない。

 簡単に命を奪う武器を振るう二人はとても楽しげだったが、いつまでも続くと思われたが、突如として終わりが訪れる。兄の小太刀と剣士の剣が激しく打ち合わされ、双方の武器が折れてしまった。見ていた某も、打ち合った二人も、時が止まったかのように動けぬ中、折れた剣は兄の腕を切り裂いたのだった。

 すぐに治る。そうやって笑った兄だったが、その手は二度と握られることはなかった。握力を失い刀を握れなくなった兄は日に日に生気を失っていったが、某には何もできなかった。

 無理もない。生の全てを刀にささげている人であったから。

 ある日、童であった某は兄の想いを託された。しんしんと雪降る日だった。雪は庭を白く塗りつぶし、その中に立つ兄まで塗りつぶしてしまったかのように見えた。


『右京が代わりに勝ってくれぬか』


 某の頭に手を置き、弱々しく微笑む兄に対し、投げかけた言葉はなんと惨いものだったか。あの頃の自分を殴りつけてやりたい。


『兄上! 早く治して勝つ姿を見せてください!』


 その日の夜、兄は腹を切った。自らの刀で。

 果たして兄を殺したのは双剣の剣士であろうか? それとも某であろうか?

 考えるまでもない。無邪気な一言が重しになったのであろう。それ故、兄の想いを果たさねばならぬ。兄の刀で勝たねばならぬ。それがせめてもの罪滅ぼし。

 されど刀は折れた。この地では手に入らぬ。一度、国に帰るのもいいかもしれない。


「友達に腕の良い鍛冶師がいる。試しにどうだ?」

「それでは迷惑をかけ通しではないか」

「いいんだ。私も彼が作るカタナに興味がある」


 聞けばギルの剣もその鍛冶師の手によるものだそうだ。某のカタナと打ち合ったというのに刃こぼれが僅かにあるだけ。これは業物どころではない。大業物といえる。どのような人物がこしらえたか興味を覚えた。


「かたじけない。よろしく頼み申す」


 件の鍛冶師がいる町へ向かう途中で様々な話をした。父のこと、母のこと、兄のこと、兄の仇を討つために海を越えて来たこと。

 ギルは話を引き出す術に長けていたが、某も話したかったのかもしれぬ。国を出てから一度も話していなかった故。

 口に出した事で、再び決意が固くなった気がする。兄上、もうしばらくお待ちくだされ。

「そうか」と短く相づちをうつギルの横顔はどことなく寂しげに見えた。



「で、わしにこれと同じ物を作れと?」

「クレイグならばと思ったけど、無理かい?」

「同じものだと? 無理を言うな! カタナの製法は知らん。知らんが、やるだけはやってやる。おい、あんた。ウキョウと言ったか。儂は同じ物は作れん。望むカタナとは違うだろう。しかし魂が籠ったカタナにはなる。それでも構わなければやってやる」


 意外。その気難しそうな老人はやる前から無理と言い切った。その上で挑戦したいと。年老いても尚、成長を目指す。なんたる高潔さ。

 某は頭を下げるしかできなかった。

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