第13節 学者と旅人

「少しは片づけたらどうだい?」


 私の研究室にある本を捲りながらギルは苦言を吐いた。本の次は鉱石の標本を光に反射させて変化する輝きを楽しんでいる。あまり手荒に扱わないでもらいたい。それを入手するのにいくら使ったことか。せめて元あった場所に戻してくれ。それでよく整頓しろと言えたものだ。まあ、ギルを黙らせるのは簡単。こうすればいい。

 標本の鉱石が並ぶ棚の奥に手を突っ込み、酒瓶をひっぱり出す。ほらな、大人しくなった。


「で、随分と久しぶりだがどこかに行ってたのか?」


 ギルのコップにとっておきの蒸留酒を注ぎながら尋ねる。もちろん少な目に。話が終わる前に潰れられたらかなわん。


「ああ、南の方へね」

「南? というと海を越えて砂漠まで?」

「いや、海は越えたけど砂漠までじゃない。その手前までさ。そこで面白いのを見たから教えてやりたくてね」

 ギルは舐めるように蒸留酒を楽しみながらいたずらっぽく笑った。


「なんと、燃える水が染み出てる所があったんだ」

「ああ、黒くて泥みたいな水だろう? 確かにあれは不思議だ」


 コップに少し注いだ蒸留酒を口いっぱいに溜めてからゆっくり飲み干す。そして残り香を鼻から抜く。これがこの酒の楽しみ方だ。ギルはわかっていない。


「残念。知っていたのか」

「私を誰だと思っている。これでも地学は得意分野だ」

「で、近い内にまた行くんだけど、どうだい? 一緒に行くかい?」

「駄目だ。仕事がある。明日から王子の教育をしなければならない」

「シルヴァンが先生? 研究の時間が減るから教えるのは嫌いだって言ってなかったか?」


 確かにその通りだ。教えるのは好きじゃない。高額な報酬に釣られたというのが正しい。


「でもいいんじゃないか? シルヴァンも得られるものがあると思うよ」

「私が教える方だ。得られるものなんてあるはずがない」

「どうかな? やってみればわかるさ。そうだね、一つ助言をするなら……頭ごなしに拒絶するな、かな」

 ふん、どうせ退屈なだけだ。


 この国の王子、ジョルジュは政治にまったく興味を示さなかった。

 12歳にしては体格が良く、ペンを手にして本に向かうより、剣を構えて敵に向かうのを好んだ。こんなのを教えなければならないとは頭が痛い。

 授業を受ける態度も悪かったが、研究費を稼ぐ仕事と割り切った。そう考えると私も良い態度とは言えなかいかもしれない。

 つまり一方的に私が話して課題を与えるだけ、知識を詰め込む作業でしかなかった。


 つまらん。ジョルジュは嫌々課題と格闘していた。熱意は全く感じられない。それはいつものことだったが今日は特にひどい。彼は苛立ちを隠そうともしていなかった。

 包帯が巻かれていて動かすのも辛そうな左腕が原因だが根本は違う。昨日、行われた少年が対象の剣術大会があり、その決勝で負けたそうだ。腕の傷はその時に負ったらしい。事故かもしれないが少し可哀想に思う。優勝した少年が。事故とはいえ第一王子に怪我をさせたんだ。少年もその親も生きた心地がしないだろう。

 ジョルジュが課題を終わらせるまでやる事がない私は眺めているだけ。研究を進めることもできない退屈な時間――

 ジョルジュはペンを置き、顔を上げた。早いな。もう終わったのか。


「こんな知識を身に着けても国は栄えない!」


 彼は課題をバンと叩く。ペンが跳ねて落ちた。

 ああ、それについては私も同感だ。この国を治めた歴代の王を知ったところで意味はない。それを教え込めと言われたからやっているだけだ。

 しかし苛立っているからとはいえ、自ら発言したのは初めてだ。面白い。少し遊んでやろう。


「では殿下。どうすれば栄えるとお考えですか?」

「簡単だ! 他国を攻めて奪えばいい! 自国の繁栄のために綺麗ごとは不要だ! 父は、王はそう言っている!」

「なるほど、実に単純。故に効果的と言えるでしょう。しかし常に勝ち続けなければなりません。勝利するために何が必要でしょうか?」

「強い軍隊だ」

「概ね正しいです。では、強い軍を維持するためには?」


 王子は顎に手を当てて考え始めた。これも今までにない反応だ。どれ、助言を与えて――


「兵の育成。具体的には……練度を高めるために訓練を行う。そして高い士気を保つために十分な報酬を与える」


 驚いた。返答するだけでなく、その先にまで思考を巡らせてきた。


「その通りです。ですが、とても難しい。戦い、奪い、それを以ってより強い軍を育成したとしても、犠牲なしの戦争はありえまん。戦い勝敗は数で決まります。戦い、疲弊する兵をどうやって増強しますか?」

「攻め落とした国の兵を徴用する。もちろん我が国の兵と同様に報酬を与える。そうしなければ反乱が起こる」

「等しく扱わなければ徴用した兵から不満が上がる。その通りでしょう。しかし、その逆は? 今度が古参が不平を洩らすでしょう。なぜ勝った自分たちが負かした者と同じ扱いなのか、と。軋轢が生まれるのは必然。さて殿下。どう解決しましょうか?」


 彼は深く考え始めた。まるで私の存在を忘れたかのように。たった一人で答えを模索していた。

 そうだ、考えろ。そうしなければ正解に辿り着けない。


「力で押さえつけるのは簡単、でも自分の民を苦しめるのは嫌だ。まさか根本が間違っている? 奪うのではなく育てる? でもその方法は知らない。先生ならどうやって解決しますか?」


 まさか! あっさり持論を捨てるとは! それは簡単ではない。誰しも自分の考えが正しいと信じている。過ちを認めるのはとても難しい。それを! こんな子供が!


「では方向を改めましょう。侵略ではなく知略。それでいいですね?」


 頷くのを見てから続ける。


「まず国とは何か? 人の集まりです。国民数が国力と言ってもいい。国民を増やす。そこに絞って考えてみましょう。何か案はありますか? 短期、長期、なんでも構いません」

「……減税……いや違う。安定した生活の保証? 疫病や災害での被害を抑えるのはどうですか?」

「素晴らしい! 疫病や災害、どちらも頻発はしませんが子供が成長する間に何回も発生します。その都度、体力の低い子供が減る。彼らを犠牲にしない。それが国力増加の近道だと私は考えています」

「でも、どうやって?」


 ジョルジュの疑問はもっともだ。簡単に解決できる問題ではない。


「疫病の対策に必要な医学は専門外ですが、もう一つの方、災害については考えがあります。災害といえばなんでしょう?」

「嵐、洪水、地震、稀ですが火山も」

「それらは一時的災害。わかりやすい災害です。恐ろしいのは食糧難を代表とする二次的災害。どんな一時的災害が発生しても食糧難は起こり得る。私は災害に負けない農産業を作る必要があると考えます。それを考えるのに必要な学問、それが地学。鉱物の知識、土壌の知識、大地を形成する地質の知識、それらを組み合わせれば、作物が強く育つ土作り、洪水を防ぐ治水、様々な応用ができます」


 ジョルジュは言葉を発せずに口をあんぐりと開けていた。

 しまった。つい話しすぎた。呆れられたか?

 私の心配をよそにジョルジュは身を乗り出していた。興味があるのか。それなら教えてみるのも悪くない。


「政治とは直接関係ありませんが、殿下が学びたいのであれば教えて差しあげます。私の教えは厳しいかもしれません。政治の授業も今まで通り行います。それでも学びたいのであれば根気よく教えさせていただきます。いかがですか?」


 困った。私が楽しくなってどうする。討論にはほど遠いが、対話は良い。心が躍る。ギルとの話も面白いがあいつはなかなか乗ってくれないからな。

 ジョルジュはまだまだ覚束ないが考えようとしている。知識を求めようとしている。それも12歳の子供がだ。彼に知識を与えたらどんな討論ができるだろう。


「よろしくお願いします!」


 ジョルジュは力強く答える。今、気がついたが私を先生と言ったか? ふん、悪い気はしない。いいだろう、しっかり仕込んでやる。


 彼は地学に強い興味を覚えたようだった。特に土壌について関心を持ったが、私はそこまで土の知識を持っていない。質問攻めされて答えられないのも癪なのでそれなりに調べた。正直な話、土より地質の方が面白いと思うがね。学び直したおかげで地質との関連も知れた。ふむ、知識は全て繋がっているか。意外なところで発見があった。彼は乾いた土が水を吸うように次々と知識を吸収していった。


 しかし、穏やかで充実した日々は一年足らずで終わりを迎える。


「シルヴァン。貴様は政治とは無縁の授業もしているそうだな。大人しく言われたままに知識を詰め込めばいいものを。解任だ」


 王陛下にお目通りできるとは思いもよらなかったが、まさか解雇通告とは。

 この手の作法は詳しくないが、跪いて顔を伏せておけば良かったか?


「申し開きはあるか?」


 政治もしっかり教えていたがね。


「いえ」

「ジョルジュに感謝するんだな。やつが罰するための法が存在しないと証明しなければ投獄していたところだ」

「ありがたき幸せにございます」


 当然だ。王こそが率先して法を守らなければ示しがつかない、ジョルジュはそう言っていた。


「何か言いたいことはあるか?」

「ありません」


 ジョルジュは学ぶ楽しみを、考える楽しみを知った。あとは勝手にやるだろう。彼の知識への欲求は誰にも止められはしない。


 王が去った後に立ち上がる許可がでた。

 さて無職だ。これからどうやって研究費を稼ごうか。

 兵に先導されて歩く。まるで処刑台まで連れていかれそうな雰囲気。もっともそんな物騒なところには連れて行かれず、何事もなく外まで来たが。


「シルヴァン先生!」


 ジョルジュが駆けてき。これはまずい。


「いけません。すでに私は殿下に教える資格がありません。どうぞシルヴァンとお呼びください。」


 このように人目に付く場所で親しげにしてはいけない。お互いのために良くない。わかってくれたか? ジョルジュは息を整えている。私の意図が伝わったようだ。


「シルヴァン。すまない。僕は何もできなかった。でも僕はあなたを尊敬している。教われて良かったと思っている。それだけは信じてほしい」


 違う。ジョルジュが動いてくれなければ私は投獄されていた。


「勿体ないお言葉ありがとうございます。民を率いる立派な王となられてください。では失礼します」

「シルヴァン!」


 言葉少なく去る私を引き止めるように声を荒げている。もう一言ぐらい残していかなければ納得してくれそうにないだろう。振り返り、ジョルジュの前に立つ。きっと立派な王になってくれるだろう。


「殿下。最後の授業です」


 兵の表情が険しくなった。すまない。すぐ終わるから見逃してくれ。

 ジョルジュは聞き逃すまいとしているが、そんなに真剣にならなくていい。いつも通りの授業だ。楽しくやろう。


「どんなに辛くても考えることを止めてはいけない。諦めてはいけない。人はそうやって進歩してきたのです。殿下が良き王となると信じています」


 抱えていた地学の本を渡す。貴重な本だが、全て頭に入っている。私の代わりにジョルジュの助けなってくれればそれでいい。未来の王に一礼。踵を返して城から去った。振り向いてはいけないと思った。


「それで?」


 研究室で私の荷造りを眺めながらギルは身を乗り出していた。


「それでも何も、それだけだ。私は解雇され、ほとぼりが冷めるまで国を出る。特段面白い話でもあるまい。こら、その棚の酒は飲むな。あと数年は寝かせなければ駄目だ」

「シルヴァンがそれで良いなら構わないけどね。それより出立祝いだ。飲もう」

「仕方がないやつだな」


 違う棚から酒瓶を取り出す。これは三年寝かせたやつか。祝うにはちょうどいい。コップの在処を把握済みのギルが二つ持って待っている。明日は出立だし飲み切ってしまおう。とくとくと注ぐ。


「もう一つ聞きたかったんだ。たった一年とはいえ先生をやってどうだった?」

「どうとは?」


 受け取ったコップから得も言われぬ香りが漂う。


「感想さ。楽しかったかい?」

「報酬は良かった。しかし自分の研究は滞った」


 口いっぱいに溜めてからゆっくりと喉へ送る。複雑な苦味がたまらない。

 残り香を鼻から抜く。ほんのりと甘い。


「教えるのも悪くないな」


 ギルがコップを掲げた。私もそれに合わせた。

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