第12節② 岩巨人と生徒と呪い師

 ゴツン。

 落石が頬に当たって目覚めた。大地の振動を背中で感じる。それはしばらく続いてから止まった。

 地震か。勘弁してほしい。眠りを妨げられるのは好きじゃないんだ。別に疲れているわけではないけど、もう一度眠ろう。二度寝前の微睡みはたまらなく幸せだと思う。

 寝返りをうつと岩と岩が擦れてゴリゴリと鳴った。


「わあ!」


 なんだ? 薄く目を開けると目の前に、本当に目の前に少年がいた。もしかして押しつぶすところだったのかもしれない。


「おはよう。驚かせたかい?」

「あっ、いえ、大丈夫です。ごめんなさい」


 少年はおどおどしながらか細い声で答えてくれたが、いくら待っても続きの言葉がなかった。まあ、横になったままの僕もどうかと思うけど。


「あー、うん。僕に何か用か? どこから来た? 君は誰だい?」

「えっと、その……」


 恐れさせるつもりはなかったんだけど。


「大丈夫。ゆっくりで良い。落ち着いて。まず君の名前を教えて」

「シモン、です」

「よし、シモン。こんなところまで一人で来たのかい? 遠かったろう?」

「はい。いえ、あそこの町からです」


 シモンが言う町とは峡谷を下った先、それも見えるところにあった。随分と長い時間を眠っていたらしい。いつの間にできたんだ? 見た感じは鉱夫の町。峡谷の地層からすると鉱石が採掘できてもおかしくはなさそうだ。


「それで、何の用か教えてくれるか?」

「巨人様は人を襲いますか?」

「襲わない。……もしかして、君は生贄いけにえか?」


 シモンは下を向いて黙っている。

 竜や巨人に生贄をささげる話はよく聞く。実際にそれらが存在していて、行われていたとは思わないけど。恐らく町の近くで巨人が寝ていたのが不安だったのだろう。僕の寝相が良ければこんなことにならなかったかもしれない。

 寝返りをうつ巨人を生贄で鎮める? どう考えてその結論になったか聞いてみたい。そして、彼がそうなのか。それもこんな少年を? ひどい話だ。


「なぜ君が選ばれた?」

「それは……なんの取り柄もないから……です」


 打ちひしがれるシモンとの会話は大変だったけど辛抱強く話させたら大体把握できた。体が小さいから力仕事が期待できない。物覚えが悪いから頭を使った仕事も期待できない。期待できないから罵倒される。役に立たないから生贄に選ばれた。シモンは自信を失っている。まるで人だった頃の自分をみているようだ。

 先生は言った『考えろ、諦めるな』と。

僕は諦めてしまったけれどシモンは踏みとどまれるかもしれない。


「シモン。僕で良ければ君に教えてあげよう。文字を、計算を、他にも色々な知識を」


 彼はぱっと顔をあげた後、また顔を伏せてしまった。


「でも、頭が悪いから……」

「顔を上げろシモン。始める前から諦めるな。君が諦めない限り、できないことは何もない」


 何を偉そうに。自分が諦めておいてよく言えたものだ。


「僕の教えは厳しいかもしれない。しかし、君が頑張れるなら根気よく付き合おう。どうする? やってみるか?」

「はい! 先生!」


 人差し指を差し出す。その先端は彼の頭より大きいけれど、両手で握ってくれた。

 この僕が先生? そんな柄ではないけど、シモンのためにやってみようか。


 最初に苦労したのは文字。僕の手で持てる筆はない。でも手本は必要だ。悩んだ挙句、岩壁を均してそこに岩を擦りつけて書いた。ゴリゴリと。シモンもそれに倣う。計算も同じようにした。数年で両側の岩壁は文字でいっぱいになった。

 驚いたことに、シモンは優秀だった。確かに物覚えは良くなかったが、応用する力に秀でている。今だって複雑な税収の計算をしている。まだ15歳なのに。こんな所で埋もれていい人材ではない。


「シモン――」


 また地震だ。ぱらぱらと石が落ちてきている。大きくはないけど最近多い。これだけ続くとなると悪い予兆の可能性がある。峡谷を出たほうがいいかもしれない。潮時だろう。僕にとっても、シモンにとっても。


「シモン、僕はここを出ようと思う。君は僕とではなく町にいるべきだ。もう役立たずではない。立派にやっていける」

「な! ……俺は生徒失格ですか?」

「そうは言っていない。君は優秀だ。多分、僕よりずっと」

「まだ教わっていない事がたくさんあります! もっと教えてくれると言ったじゃないですか!」

「君は人だ。人の世界で生きるべきだ。僕といても幸せになれない。それに、ここは危ないかも――」


 言い終える前に、また、地震……今度は大きい! 峡谷の一部が崩れ、僕たちへ降り注ぐ。手を傘代わりにしてシモンを守った。

 それにしても……やはりおかしい。立ち上がり周囲を見回すと山に近い所から一斉に鳥が飛び立った。なんだ? 嫌な胸騒ぎがする。

 山の中腹から黒煙があがった。そこから白いカーテンみたいなものが広がり、雲を押し退ける。これは…… カーテンは消えたけど木々を激しく揺らす空気の波が迫って来ていた。


「伏せて!」


 シモンに覆いかぶさったと同時に衝撃が襲う。岩や木が背中に降り注いだ。今ならこんな姿にした呪い師に感謝してもいい。


「先生、今のは?」

「あの山、火山だったのか。噴火が始まった。ここは危ない」


 山のこちら側が縦に長く割れていて、溶岩が吹き出し、流れてきている。まっすぐこちらに向けて。

 不思議な地形の峡谷だと思っていたけれど、大地の境目だったか。ということは……


「逃げよう。ここまで流れてくる可能性が高い」

「あんなに離れていてもですか?」

「火山について教えよう。ああやって細長く割れたところから流れ出る溶岩の足は速い。全力で走る馬より速いと聞く。そしてこの峡谷。向きからして、あの割れ目とこの峡谷はつながっている。同じ大地の裂け目の一部だろう。つまり、あの溶岩流はここを通る。そして町も飲み込まれるかもしれない。迫ってきた時には手遅れだ。さあ、安全なところまで僕が運ぼう」


 彼は差し出した手に乗るのを拒んだ。


「駄目です。俺は町に行きます。一人でも多く避難させないと」

「なぜ? 君を見捨てようとした町を救うというのか?」

「俺はあの町で生まれて育ったんです。見捨てられたとしても俺は見捨てない。先生、すみません。行きます。俺のたった一人の先生。本当に、今までありがとうございました」


 背を向けて走り出すシモンを見て胸がチクりと傷んだ。僕は、僕を捨てようとした国を捨てた。それに後悔はない。例え、国に危機が迫っても何もする気はない。

 シモンを捨てようとした町だって救うつもりはない。でも、僕の生徒が頑張ろうとしている。助けるのは先生の役目だ。

 考えろ。あの町は渓谷の底にある。恐らく誰一人助からない。どうすれば救える? 渓谷を崩して溶岩流をせき止めれば? いや駄目だ。乗り越えられる。では流れを逸らす? それだ。少し登れば枝分かれしているところがある。そこで流れを変えればいい。

 そう、ここを崩して町への道を塞ぐ。たったそれだけで溶岩流の進路は変わる。

 目の前の壁は高く強固に見えるけど僕ならできるはずだ。必要な力と知識はある。

 振りかぶって殴った。思った以上に大きい穴が空く。

 狙ったのは灰色の層。大地が裂けてできた峡谷は幾層にも別れていて中でも灰色の層はもろい。

 一心不乱に打ち続け広く穴を開ける。そのせいで重みに耐えきれなくなった上部がくずで落ち壁になった。

 これで町は大丈夫だろう。これだけ大きく崩したのだから。ほぼ全身埋まった僕が動けない壁だから。

 伝わってくる振動から溶岩流が到達したのがわかる。全身が熱い。溶けも焼けもしない体だけど増していく重みは辛い。関節部がきしみだす。

 これからどうしようか? 視界も塞がれているし、本格的に眠るしかできないな。

 振動は続き、さらに熱量が上がり、重みが増す。痛みはなかったが膝が砕けたのがわかった。本格的にまずいかもしれない。そう思った時、急速に感覚が薄れ、意識が保てなくなり、深い暗闇に沈んでいった。


『おめでとう。思った以上に早かったわ。寝てばかりでつまらなかったけど最後はとても興味深かった。もう一度言うわ。おめでとう、怠惰な王子様。あなたの呪いは解かれた』


 姿どころか何も見えない暗闇だけど、あの時の呪い師の声だとわかった。

 呪いが解けた? シモンに尊敬されていたのか? 僕は尊敬されるに値しない。自分がなにもできなかった苛立ちの解消に利用しただけだ。


『あなたの思惑はどうでもいいわ。私にとっては行動が全てだから。私はあなたを見て楽しませてもらった。とてもいい気分よ。ご褒美をあげないとね』


 こんな岩の巨人にしておいて、楽しめたからご褒美だって? 身勝手もいいところだ。


『いらないの? それは困るわ。だって私はご褒美をあげたい気分なのよ。そうね、これからどうしたいか考えなさい』


 これから? ……僕の未来……シモンの未来……


『やっぱり、あなたは面白い。かなえてあげるわ。だから眠りなさい、深く、深く』


 今度こそ僕の意識は消えた。




「父さん、ここは何なの?」


 父さんは時々、こうして壁を眺めている。谷を塞ぐ岩壁を。父さんは、あれが何かわかるか? と指差した。壁から突き出ているその岩は手のように見えた。


「そう、手だ。あれは父さんの先生の手なんだ。ここに来る途中、岩壁に沢山の文字が刻まれていただろう? 大きい文字はあの手で刻まれたんだ」


 あの手が先生? よくわからない。そう言うと父さんは笑った。


「そのうち聞かせてやろう。先生の物語を。さあ帰ろうかジョルジュ。勉強する時間だ。そうだな、今日は地質について教えてあげよう」

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