第12節① 岩巨人と生徒と呪い師

 扉をたたく音で目が覚めた。

 まだ寝ていたいのに邪魔しないでほしい。公務だって僕が手を出す必要はない。偉大な父や、賢い弟に任せておけば全てうまくいく。僕には政治は無理だ。できれば教育してくれた学者先生のようになりたい。でもそれは無理な話だ。

 先生の教えは幅広く、面白く、興味深かった。残念ながら教えを受けた期間は短かったけど。政治に関係ない教えが多かったから解雇された。

 別れ際、先生が残してくれた大切な教えは忘れられそうにもない。


『考えることを止めてはいけない。諦めてはいけない。人はそうやって進歩してきたのです』


 それを実践するのは難しかった。新しい学者の教育は王になるためだけのものだった。先生が残していってくれた大切な本は見つかった直後に燃やされた。先生を支持する僕が気に入らなかったのだろう。それから毎日、罵倒されるようになった。

 その点、弟はうまくやっていたと思う。素直に知識を吸収していった。僕を馬鹿にする学者の気持ちまで。

 相変わらず扉がたたかれているが無視。背を向けるように寝返る。

 そもそも早く生まれたからといって僕が王にならなくてもいいだろうに。弟がうまくやってくれるさ。国民もその方が喜ぶだろう。

 うるさいな。耳を塞いで固く目を閉じても、音は響き続ける。

 知っている。父も、弟も、みんな、僕を馬鹿にしていることぐらい。放っておいてくれ!

 一際大きな音を立てて扉が破られた。なだれ込む近衛兵と、弟でもある第二王子。


「兄王子、安心してください。これからは面倒だと思われている政治とは無縁になります。どうぞこちらに。ああ、手間は取らせないでくださいね」


 弟が手を上げると、近衛兵は両側から僕の腕を抱え、後ろ向きに引きずる。自分で歩くと訴えても兵の耳には届いていないようだ。これがこの国の第一王子か。まったく情けないね。弟は微笑みながら追従していた。違うか。あれは嘲笑っている顔だ。笑えばいいさ。無能な兄で悪かったね。

 連れていかれたのは城の中庭。扉さえ閉めてしまえば、ここで何が起ころうとも知られることはない。つまり、ここまでって話だ。

 膝をつかされた僕の前に立つのは父でもある国王。そうだろうね。弟は賢い。自ら危ない橋は渡らない。


「ジョルジュ、お前は無能だ。良い王となるために努力してくれれば救いようもあったのに、目を向けるのはくだらないことばかり。残念だがお前に王は継がせられない。ジョルジュ、せめてもの情けだ。命までは取らん」


 僕の話を聞こうともせずに一方的に話すのはいつもか。どうせ何を言っても無駄だし弁明しようにも悪事や失態はしていない。少し公務から逃げただけだ。それが追放されるほどの重罪とは知らなかった。

 王に代わって前に出てきたのは息を飲むほど美しい人。黒い髪、黒いドレス、抱きしめられた大きな赤い本。一際目を引かれたのは黒い瞳。瞳というより穴だ。何もかもを飲み込む穴。その穴で僕を飲み込もうとするのぞきこむように近づいてくる。のぞきこむ? いや、見透かされている。心の底まで丸裸にされた気がした。


「こんにちは、王子様。あなた、とっても怠け者なんですって? 王様から懲らしめてくれって頼まれたの。心の準備はいいかしら?」

「お前……何者だ?」

「ふふ、私は呪い師と呼ばれているわ。あなたみたいな人が好きな呪い師。他の人とは違う感性を持っていて興味深いもの。さあ楽しませてちょうだい。大丈夫、責任もって見ていてあげるから」


 その呪い師は僕の額に触れる。驚くほど冷たい指。軽くトンと突かれた。

 途端に体が膨張を始める。衣服を破り現れたのは岩の体。傷一つない僕の指は角ばり、変色し、岩になる。不思議と痛みはなかった。一体この呪い師は何をした? その間も視線はどんどんと高くなり、止まった。

 父や、弟、近衛兵が膝をついたままの僕を見上げ、驚きを隠せないでいる。いち早く正気に戻った父が呪い師に詰め寄った。


「おい! なんだこれは! こんな事は頼んでいない!」

「あら、そうかしら? 王子だとわからなくなればいいのでしょう? 誰も岩の巨人が王子とは思わないし、岩の巨人は王様にはなれないもの」


 怒りを抑えようともしない父は短く命じた。殺せ、と。近衛兵は剣を抜き、呪い師に詰め寄る。

 なぜか助けなければ、と思った。大きくなりすぎた岩の体だったけど、すんなりと動いた。しかし手が届く前に近衛兵は眠るように崩れ落ちた。

 呪い師は見上げて笑う。


「助けようとしたの? 呪いをかけた私を? ますます面白いわ」


 さらに数人が剣を抜いたが、動きを止めた。石になったみたいに。それは父と弟も同じだった。


「今いいところなの。邪魔しないでくれる?」


 呪い師は僕の周囲を巡る。その足取りは軽やかで、楽しくて楽しくて仕方がないように見えた。


「さあ怠惰な王子様。説明してあげるわ。私はあなたに呪いをかけた。飲まず、食わず、誰にも邪魔もされずに好きなだけ寝ていられる岩の巨人になる呪い」


 恐ろしい話とは裏腹に歩き回る彼女の微笑みは優しい。


「呪いを解く方法はたった一つ。誰でもいい、尊敬されなさい。そうすれば呪いは解けるわ」

「呪い? 尊敬? 意味がわからない」

「わからないなら考えなさい。あなたにはその時間がある。じゃあ私は行くわ」


 引き留めようとしたけど、大事に本を抱えて歩く後ろ姿を見ると何もできなかった。というより、できそうもない。

 彼女は中庭の扉を開けてから振り向く。


「さあ行きなさい、どこへでも。あなたの物語を楽しみにしているわ」


 残していった言葉はそれだけ。扉が閉まると、みんな一斉に動けるようになった。虚仮にした呪い師がいなくなったせいで怒りの矛先は僕に向けられている。

 憎々し気に見上げてくる父。剣術大会で優勝できずに落ち込んでいた僕を優しく励ましてくれた父はもういない。

 僕を怖れ後退る弟。どこに行っても後ろをついて来た弟。手を差し伸べた時の笑顔はもう見せてくれないだろう。

 みんな変わってしまった。それは僕も同じ。たった今変わってしまった。いや、先生がいなくなった時に変わったんだろう。

 出て行こう。ここには留まれない。どうやって? 近衛兵に囲まれているし、扉を通れるほど小さくはない。しかし、今の僕なら行ける。立ち上がるとあまりの高さに目がくらみそうだった。だいたい十倍ぐらいか。そのうち慣れるだろう。

 矢が放たれたけど岩の体には傷もつかない。跳ね返った矢が力なく落ちる。気にせずに城に手をかけ、足をかける。よじ登ろうとしたけど無理だった。地響きを立て、粉じんを巻き上げ、城にめり込む。この体は思った以上に重いらしい。誰も怪我してなければいいけれど。そのまま城を破壊しながら進む。


「待て! ジョルジュ!」


 背後から父が呼んでいたけど、放っておこう。これ以上話す必要はない。

 王都の大通りを慎重に歩く。大騒ぎだった。僕を見上げて悲鳴を上げる老婦人がいる。激しくわめき立てる犬がいる。申し訳ないけど少し楽しい。ごめんよ。これが最後なんだ。すぐに出ていくからそんなに騒がないで。

 王都を囲む城壁を崩す。外に出るにはそれしかなかった。一歩踏み出してから振り返る。二度と戻りはしないだろうけど、この光景は覚えておこう。これは過去との決別と未来への門出。


「さようなら」


 それから僕は大きな山の麓にある峡谷を根城にした。人が来なくて落ち着ける場所が他になかったから。

 根城と言っても特にやることもない。ほとんどの時間を寝て過ごした。

 呪いはどうしようか? 尊敬? この姿ではどうやっても尊敬などされない。

 それより僕は自由だ。のんびりするとしよう。

 月明りの下、寝転がる。うん。僕は幸せだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る