第11節 幽霊と旅人

 まいったわね。いったいここはどこかしら?

 懐かしい匂いに引き寄せられてふらふら来たけど、まったく見たこともない街ね。さっきの匂いはしなくなったし本当に困ったわ。

 往来の人を見ていると活気がある街だとわかる。荷馬車も多いし、店先に並べられた食べ物も多い。

 あれ? 戦争って終わったんだっけ? それとも全然関係のない土地まで来たのかしら。


<ねぇ、君、どっちだと思う?>


 シャー!!

 話かけた猫からは威嚇されただけ。

 やだやだ、相変わらず嫌われてるわね。でも動物は好き。ちゃんと反応してくれるから。私がここにいるってわかるから。

 怖がらせちゃってるけどね!

 って、この匂い! どこ? あの人ね。旅人かしら? なんでもいいわ! 何で懐かしいのか思い出せないけどついて行けばわかるはず。

 ……それにしも寄り道ばかりね。暇なの? 私ほどじゃないとは思うけど。

 それにしもこの匂いは気になる。もう少しで思い出せそうな気がする。

 それは大切な約束。自分の名前さえ覚えていない私がこうしている理由。行かなければならない場所。それはきっと大事なことなんだ。

 あ、薬屋に入った。とりあえず匂いの正体を見せてもらおう。

 薬屋だけに中は薬だらけだった。それだけじゃない。鉢植えに、太い根っこ、乾燥させた内臓まである。不気味な店ね。私が言うのもなんだけど。


「久しぶりトレバー。これが頼まれていたもの。若葉だけ乾燥させたやつ、であってる?」

「ありがとうございます! さすがギルさん。こんなにたくさんあれば、しばらくは保ちそうです」


 これ! この袋! そっか、そっか、薬草の匂いだったのか。

 近づいてよく嗅いでみる。うん、懐かしい匂い。でも悲しくなった。泣きそう。泣けないけどね!

 ん? あら、ふっくらしたおじさん、トレバーだったかしら。目があってる?

 気のせいよね。ちょっと下がって右に行ったり左に行ったりしたら目だけで追われた。口は半開きだったけど。

 すごいわ! 私が見えるなんて!


「あ、あの、ギルさん。そちらの方は、お、お知り合いですか?」


 旅人が振り向き目があった瞬間、私の喉元に短剣が突きつけられていた。

 え? まったく見えなかったわ。


<ちょっと待って! 勝手についてきたのは謝るけど、何もしてないでしょう?>


 下がりながら訴えたけど聞く耳なし。仕方がないわね。刺激しないようにゆっくりと指を伸ばす。そのまま切っ先に触れ、突き抜けた。

 ふう、剣が役に立たないとわかったら仕舞ってくれたわね。ああ、変な感じ。体を何かが通り抜けるのは嫌い。

 感覚を忘れさせようと指を擦り合わせた。


「私たちに何の用がある?」

<それよ。その匂いに用があるの>

「あの、ギルさん。ワタシ、声までは聞こえないので教えてもらえますか?」


 トレバーのせいで話の腰を折られながら説明する内に少しだけ思い出した。私の名前はラーヘル。そして行かなければならないのではなくて、帰りたいんだった。


「つまりラーヘルは故郷に帰りたい。そこにはこの薬草がある。ということかい?」

<たぶんそう。いいえ、絶対そうだわ!>

「しかし、この国ではほとんど見かけない薬草です。でなければギルさんに頼みませんとも。隣国では多いと聞いていますが……」

「ラーヘルという名も隣国で聞く名だね」

<私一人では行けない。連れて行って! お願いだから! 近くまでいけばきっと思い出す……そんな気がする>


 またさっきの想いがこみ上げてきた。悲しくて悲しくて押しつぶされそう。薬草の匂いのせい? それとも故郷を想って? 今の私にはわからない。

 私の言葉を伝え聞いたトレバーは考え込んだあと、口を開いた。

 

「ギルさん、実はもっと薬草が必要なんですよ。申し訳ありませんが何とかなりませんか? もちろん、色をつけさせていただきます」


 驚く私にトレバーは片目を閉じてみせる。察したギルも肩をすくめていた。


「仕方ない。引き受けよう。ラーヘル、ついでだ。一緒に来るかい?」


 うれしくてつい飛びついてしまった。すり抜けたけど。その時の二人の顔は面白かったわ。声を出して笑ったのは久しぶり。生き返るかと思った。もちろん、そうはならなかったけれど。

 こうして私はギルと旅をすることになった。きっと楽しい旅になる。話し相手がいるなんて今までなかったから!


 それなのに!

 国境を越えた途端にあっちをふらふら、こっちをふらふらして!


<この酒場に入るのって三回目よね?>


 ギルは食事の手を止め、身を乗り出し、小声で、しかも早口でまくし立てられた。


「仕方がないだろう。私は道を覚えるのが苦手だ。それに一度目はラーヘルがこっちではないと言ったからだろう」

<それは謝るわ。ごめんなさい。でも迷ったのは二度三度ではないわよね? それと、もう少し大きい声で話してくれない? 聞き取りづらいわ>

「勘弁してくれ。これ以上好奇の目で見られたくない」


 彼は注目されていないか回りを気にしている。何度も変人扱いされて参っているのね。そんなに気難しい顔をしなくてもいいのに。


「私も思い出したことがある。たぶん明日にはつくだろう。君の故郷に」

<どういうこと?>

「旅の途中で思い出したと言っていた情報に合致する場所はほとんどない。森の中にある村。怖い兵士を見た。この町の近く。40年前の戦争では、この付近で大きな戦いがあって、いくつかの村や町が焼かれた。その中の一つに心当たりがある」

<へー。ギルもその戦争で戦ってたの? もしかして、その村を襲った?>

「私も戦ったけど、襲ったのは私たちではない。そう聞いただけさ」

<まあなんでもいいわ。帰れるなら何でも。記憶があいまいなせいか、なんとも思ってないわよ>


 翌日、道なき道を、いいえ違うわね。かつて道はだった茂みをかき分け、切り開きながら進むギルを追う。

 私たちを待っていたのは小さな村、だった所。森に飲み込まれてしまった廃村。私が生まれ育った村。

 木々の緑に覆われていたけれど私の目に映るのは血の赤。大勢の兵士に踏みにじられる村だった。

 私は逃げようと走っていた。肩から矢が突き抜けている。もう少しで村の外だというのに背に二本の矢を受け、倒れ、転がった。足元には草と虫しかないけれど、そこにいるのは倒れた私。私は、ここで、死んだ。

 引き寄せられるように村の奥へと進む。手入れされていた薬草畑は森の一部となっていた。浮かぶのは幸せだった光景。その日、私はお父ちゃん、弟たちと一緒に薬草を摘んでいた。摘むのは若い葉だけ。摘みすぎないよう教えながら手を動かしている。穏やかな日だった。村が騒がしくなり、剣を手にした兵士がやってきた。薬草を踏みつぶしながらお父ちゃんの腕を斬る。傷は浅かったけど薬草に血が飛び散った。


『お父ちゃんに何すんのよ!』


 記憶の中の私は兵士を後ろから突き飛ばす。前のめりに倒れたところを、お父ちゃんが頭を蹴る。気を失ったらしく動かなくなった。近くに他の兵士はいなかったけど、悲鳴や叫び声は増え続ける。

 お父ちゃんは血を流しながら弟を抱えて走る。泣いている私も一緒に。

 全部、過去にあった出来事。記憶をたどるようにあとを追う。

 そこは私の家。今は崩れかけた廃屋。お父ちゃんは地下室にお母ちゃんと弟たちを押し込むと私を抱きしめた。涙でくしゃくしゃな私を。


『ラーヘル、お前は町まで知らせに行け。戻るまで家族は俺が守る。頼めるか?』

『無理だよう。きっと捕まっちゃう』

『大丈夫。お前は強い子だ。足も速い。きっと神様が守ってくださる。そうだ、無事に戻ってきたら欲しがっていたおばあちゃんの指輪をやろう。約束だ。いいな? 振り向かずに走るんだぞ。行け!』

『無事でいてね! 絶対に戻ってくるから!』


 背を押された私は走りだした――


 そんなことがあったのね。全部思い出したわ。

 村が襲われて、私は助けを求めに行こうとしたけど駄目だった。こんな大事な記憶をなんで忘れていたのかしら。きっと思い出したくなかったのね。約束を守れなかったから。

 ギルがひしゃげた扉を押し倒して踏み入ったけど、荒れ果てていただけ。地下室への扉は無く、中には何もなかった。逃げのびたのか捕まったのかは私にはわからない。

 あーあ、帰ってくるのが遅くなったから置いて行かれちゃったわ。


<ありがとう。おかげで思い出したわ。……ちょっと何してるの? 一応、私の家なんだけど>

「ここに何かありそうだ」


 ギルはお父ちゃんの棚があったところを指さした。崩れて棚の隙間から石壁の一部がへこんでいるのが見える。お父ちゃん、こんなとこに隠し場所を作ってたんだ。何を隠してたんだろう? 残骸をどかしてもらうと、そこにはおばあちゃんの指輪がポツンと置いてあった。飾り気のない金の指輪はあの頃のまま。眺めていたら、みんなの顔が、穏やかな日々の記憶が私の中を駆け抜ける。


――無事に戻ってきたら欲しがっていたおばあちゃんの指輪をやろう――


 ごめんね。無事に帰って来れなかった。

 指輪に手を伸ばしたけど、すり抜ける。

 悪戯して笑いながら逃げる弟たちの顔が浮かぶ。

 私の手は通り抜ける。

 千切った薬草を口に放り込み、質を確かめるお父ちゃんを思い出す。

 指は空をかくだけ。

 温かいご飯で迎えてくれたお母ちゃん。

 指輪はピクリとも動かない。

 助けを呼びにいけなくてごめんなさい。

 戻って来れたけど遅いよね。

 手に取りたいのに、家族を肌で感じたいのに、私の手では触れる事さえできない。何でよ!


<あーーーーーー!>


 悲しい。


<あーーーーーーーー!!>


 それなのに私は涙を流せない。


<あーーーーーーーーーーーー!!!>


 叫ぶしかできなかった。ずっと叫び続けた。そうするしかできなかった。


 随分と長い間、叫んでいた気がする。ギルはうるさかったでしょうね。謝ろうとしたけど彼はいない。家の外にいてくれたみたい。


「もういいのか?」

<ありがと。すっきりした。ここの薬草は私たちのだけど好きなだけ持って行っていいわ。それと指輪も。この手にははめられないし>

「大切な指輪だろう?」

<こんな所にあるより、ずっといいわ。いらないなら大切にしてくれそうな人にあげて>

「わかった。そうしよう。ラーヘルはこれからどうするんだ?」

<やる事もないし、天国に行きたいけど、行き方知ってる?>


 ギルは首を横に振った。でしょうね。

 今までだってふらふらしていたんだし、これからだってそれでいいわ。やりたい事を探すのもいいかも。


<ギル、ここまででいいわ。ありがとう。トレバーにお礼を言っておいてね>

「わかった。ラーヘルも元気で」


 幽霊に元気でっておかしな言い方よね。思わず笑ってしまった。


<私はいつだって元気よ>

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