第10節① 衛兵と旅人

「止まれ!」


 声をあららげたところで止まるやつはいない。わかっているさ、それぐらい。それが物取りのガキならなおさらだ。なのに、つい叫んでしまった。冷静さが売りのオレらしくなもない。

 少年と青年の境にいるアイツは人通りの多い街を駆け抜ける。みんな、目を向けるだけで何もしない。巻き込まれたくないヤツは道を開け、逃げ道を開ける。

 追いかけっこは大通りに移った。人が増えたが、お構いなし。

 くそ、それにしても速いな。速いというより身軽か。人の間をすり抜けるアイツとかき分けて進むオレでは話にならん。それに重いんだよ、衛兵の革よろいも剣も!

 さらに人の密度があがった。正面から来た馬車に道を開けようと往来の流れが止まったからか。

 ざまあみろ。日頃の行いが悪いからだ。

 しかし足が止まったのは一瞬。ガキは路地に入る。

 その時オレは見た。覆面の隙間からのぞくアイツの目を。間違いない。オレを見て笑いやがった! もう許さん。大人の本気を見せてやる!

 あとを追って入った路地は薄暗く汚い。数年前の疫病は収まったとはいえ、大勢が死んで悪くなった治安は回復しきっていない。活気ある表と違い、裏側なんてこんなもんだ。

 お、正面から誰か来た。表の人混みを避けた口か。


「おい! 物取りだ! 逃げ道を塞いでくれ!」


 その旅人然とした男は足を止め腕を広げた。協力してくれるのか、ありがたい。物取りは刃物を所持しているやつが多いというのに勇敢なヤツだ。

 今度こそガキの足が止まった。勢いをそのままに飛びかかろうとしたが、ガキは飛び上がる。おい、まさか。

 オレの肩を踏み台にして飛び越えただと?

 振り返りたかったが、崩れかけた体勢は戻らない。派手に転ぶ。

 クソ! また逃げられた。

 旅人の手を借りて立ち上がった。


「大丈夫か?」

「ありがとう。協力感謝する」

「逃げられたけどな」

「オレの落ち度だから気にするな。ではこれで」


 アイツは高価な物は盗まない。むしろ食料が多い。今はそれで満足しているから良いようなものの、味をしめられたら大事になる。オレたち衛兵にとっても、アイツにとっても。

 さっきの目を思い出す。アイツは衛兵をめだした。そういうヤツは必ずでかい物に手を出す。その前に止めてやらないと。

 しかし、誰も追いつけないのにどうしたものか。これは気を引き締めないと駄目かね、とか考えていたら夕刻を知らせる鐘がなった。


 しまった、ゲルダのところに行くの忘れてた。

 ゲルダの部屋は衛兵の詰め所近く、彼女が衛兵を辞めて数年経つが変わっていない。そして原因を作ったのはオレ。

 思い出すだけでも気が滅入る。数年前の疫病。村や町の出入りを禁止することで広まるのを抑えられたが、街は食料不足で暴動が発生した。

 昨日のことのように脳裏にこびりついている記憶。城壁を破ろうと殺到する民衆を俺たちは押さえていた。民衆に武器持つ者がいなかったのが救い。そうでなければ城門は血で染まっていただろう。それでも武器を持ち出すヤツが全くいなかったわけでもない。屋根から弓を構える青年。撃たれる前に対処しようとゲルダも弓を引く。あとで考えたが放っておけば良かった。ゲルダの腕なら殺さずに無力化できたはずだ。それなのにオレは焦って制止した。その結果、膝を撃ち抜かれてまともに歩けなくなった。衛兵を辞めざるを得なくなった。オレの、オレのせいだ。


 扉の前に立ち、拳を上げるが動けずにいた。ゲルダの時間が止まったままなのは知っている。きっと、オレの時間も。

 気楽に、気負わずに、だ。扉をたたいてから開ける。生きることに投げやりになったゲルダは鍵もかけなくなった。


「よう、ゲルダ。今月分を持ってきたぞ。うわ、これはひどいな」


 中は散らかっているどころではない。まるで戦場だ。この有様を見ると心が痛む。あんなに奇麗好きだったのに。脱ぎ捨てられた衣服を集めてからゴミを集めた。まったく割れた酒瓶を放置するなよ。


「余計なことはせずに金だけ置いてさっさと出てきな」


 奥から現れたのは、弓の名手だった頃の涼やかさが欠片もないゲルダだった。髪はボサボサ、服は酒で汚れたまま、酒瓶を持っていない方の手に握られているのはつえ。そして、引きずられる右足。オレが壊した足。壊れたのはそれだけじゃない。オレとゲルダの関係もだ。


「遠慮するな。掃除ぐらいしてやる。そういえば、そろそろ働いたらどうだ? 衛兵の負傷退職金、そろそろ終わるだろう。お前にその気があるなら仕事――」

「うるさい! いつまで亭主面してんだよ!」


 酒瓶がオレの足元で爆ぜ、酒の匂いが広がる。破片をつまみ集めながら思った。一緒に住んでいた時は逆だった。オレが散らかしてゲルダが怒りながら片づける。喧嘩けんかして、仲直りして、笑って、また喧嘩して。幸せだった。もう戻ることはできない。


「だからといってこのままでいいのか? 死ぬまでそうしている気か?」

「黙れ! さっさと失せろ! 二度と来るな!」


 今度は杖。オレ目掛けて振り下ろされる。酔ったゲルダに殴られても痛くもないが、額から血がにじみでた。


「わかった。また来る」


 金の入った包みを置いて部屋を出た。途端に扉が震る。裏側では硬貨が飛び散っているだろう。

 また謝れなかった。殴られた額がうずく。ちくしょう。ちょっと殴られたぐらいなのに、ひどく痛い。そう思った。


 その夜、足を運んだのはいつもの酒場だ。気分が沈んでいる時は腹いっぱい食って、さっさと寝るに限る。いつもの席で肉を食いちぎりエールで流し込んだ。前は好きだったエールがちっとも美味くない。あんなゲルダを見ていたら飲みたい気になるわけがない。むしろ嫌いになりそうだ。他に飲むものがないから口にしているだけ。エールの口ひげについた泡を拭いとった。


「昼間はどうも。あの少年は? その様子だと駄目だったのか?」


 隣に座ったのは昼間の旅人。エール片手にご機嫌で羨ましい。


「アンタか。確かに取り逃がしたが、これは違う。別件だ」

「それにしても身軽な少年だった。手を焼いているんだろう?」

「その通り。貧困のせいか、ただの遊びか。なんにせよ仕事を増やさないでもらいたいね」


 残っていたエールを一気に流し込む。不味い。


「それに……このまま罪を重ねたら戻れなくなる。一度落ちてしまったらはい上がるなんて無理だ。それこそ誰かに手を引いてもらえない限り」


 オレがそうしてもらったように。

 そういえばあの流れ者、礼をいうどころか名前も聞いていなかったな。彼のおかげでオレは立ち上がれた。いつか礼を言わなけば。

 彼に感謝を伝えることができれば、オレは過去と向き合えるだろうか? 脱げずにいる手袋の上から右手を握りしめた。オレは成長したつもりだが、まだ向き合えずにいる。恥じている。どんなに悔いても過去は消せない。どこまでもつきまとう。


「そうだね。君は救いたいのか?」

「救う? そんな大層なものじゃない。ただの偽善さ」

「偽善でもいいじゃないか。何もしないよりずっと良い。手伝うよ。今から行こうじゃないか。彼を救いに」

「ちょっと待て。どこに行く気だ? 居場所を知ってるのか?」

「知りはしない。しかし心当たりはある。どうする? やめるか?」


 旅人は立ち上がり手を差し出してきた。オレが行くと確信しているから出た手だ。

 いいだろう。乗ってやろうじゃないか。

 旅人の手を強く握る。


「よろしく頼む。オレはフランツ。衛兵だ」

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