第9節 女騎士と人魚と旅人
長い坂を登る半ばで、風に不思議な香りが混じり始めたと気がついた。きっと近くまで来ているのだろう。自然と足早になる。
あと少し、あと少しで頂上だ。息を切らせながら登りきると目前には大海が広がっていた。
「おお!」
これが海! なんと広大な! なんと雄大な! 果てが見えないではないか! はるか彼方で海の青と空の青が混じり合って見える。私が詩人であれば、歌いだしたくなるほどだ。
全身で風を感じたい、太陽を浴びたい、両腕を広げるが鎧が邪魔をしている。こんなものは脱ぎ捨ててしまいたいが、許されない。私は誇りある騎士であり女だからな! 往来で下着姿になるなどもっての外。
「邪魔だよ」
「あ、すみません」
通り慣れている者からしてみれば感動することはないのであろう。海より、道を塞ぐ
それにしても遠くまで来たものだな。来た道を振り返る。私の故郷は見えない。懐かしくはあるが、悲願を果たすまでは帰れない。帰る事は許されない。私が許さぬ。仲間の
下りになった道を進み、これから成すべき事を思うと無意識に剣へと手が伸びていたようだ。すれ違う行商人のギョッっとした顔が見えた。
「すみません」と、また謝罪するはめになった。
なんなんだ、と通り過ぎていく彼を目で追いながら思い出す。仲間たちによく言われていた。『ターラはもっと周りに気を配れ』と。わかっているさ。そうでなければあの男を倒すなど夢のまた夢だ。
決意を新たに港町へと足を進める。ここに向かったとの情報が正しければ見つけられるかもしれない。
港町は城壁に囲まれ、審査を通過しなければ入れないようだ。待ちはいない。今、審査されている者一人だけ。ん? つば広帽にコート姿。懐かしい顔に出会ったものだ!
「久しぶりだな! ギル! 何しにここへ? 相も変わらず本探しか?」
「ターラこそ相変わらず声が大きいな」
「すみません、騎士様。お知り合いですか?」
感動の再会に水を差すように割り込んできたのは町の門番。表情からするに疲弊しているようだ。
「そうだ。この者は私の友、ギル。何か問題でもあるのか?」
「聞いてくださいよ騎士様。こいつ、入町証も、身元保証も、紹介状も、なーんも無しでは入町できないって言っても聞く耳持たないんですよ」
「いや、入町証ならここに」
ギルはよく見ろと言わんばかりに古い入町証を付き出すが、門番は乱暴に押し返した。
「だーかーら! そんな何十年も前の入町証が、お前のような若造の物であるわけがないだろ! いい加減諦めろ! あ、騎士様はどうぞ」
「なあ、ギルの身元は私が責任を持つ。それで問題ないだろう?」
「え? 構いませんが、その男が何かしでかしたら騎士様も同罪ですよ」
「大丈夫だ。ギルはそのような男ではない」
門番は、知りませんからね、と道を開けてくれた。
ギルと共に門を通過すると見慣れぬ街並みがそこにあった。
おお! 変わった建物ばかりではないか! 私の故郷ではゴテゴテに飾り付けらていたが、ここではそんなものは一切ない。店を示す看板ですら、つり下げられておらず、壁に打ち付けられている。
海は嵐が多いと聞く。その対策なんだろう。どの建物も低く、平たい。剛健質実。私の剣もこう有りたいものだな。
それはそうと。
「なあ、ギル。腹が減った。美味い飯屋を教えてくれ。ここには来たことがあるのだろう?」
「もちろん。良い店があるんだ。さっきの礼におごらせてくれ」
ギルの薦める飯屋は残っていた。ただ、着くまでやたらとかかったが。いい加減、道を覚えようとしない質を治せ。
で、何が美味い? ほう、魚の香草焼きに、魚介と根野菜の炊き込み飯、あとはエビの丸焼きが美味いのか。あそこに書いてあるカニの素揚げはどうなんだ? あれも美味いか。よし、全部頼もう。ん? 食べきれるかだと? 問題ない。私はこう見えて食が太いからな。
「それで、ギルは何の用でここに? それとこの奇っ怪な食い物はなんだ?」
「友達に会いに。エビが何かわからないのに頼んだのか? ああ、駄目だ。かぶりつくな。殻は食べられない。ここを、こうすると、ほら、きれいに剥がせる」
これは不思議な食感だな! 気に入った。
「うむ、美味い。で、こっちのがカニか? まるで悪魔の使いみたいな姿だな。友達に会いに来るのはいいが少しは真面目に本とやらを探したらどうだ?」
「これは小さいカニだから殻ごといける。真面目には探しているさ。ただ見つからないだけで。それに探してるのは呪い師で本は目印だ」
これも美味い! 薄い殻の中にとじこめられている濃厚な味わい! これはたまらん。
目を閉じて堪能していると笑われた。
「これが海の食材だ。気に入ったかい?」
「私はここに住みたい。もっと早く来れば良かった」
「それは何より。ターラは何しにここへ?」
「決まっている。奴を追うためだ。仲間たちの仇を討たずして何が騎士だ!」
思わず大きい声を出してしまった。周囲の視線が集まり、静まり返る。立ち上がり、謝罪すると興味を失ったようで元のにぎやかな空気に包まれた。
「追うって足取りがつかめたのか?」
「この港町へ向かっているの見たと聞いた。奴が海を渡ったのか、それとも街道沿いに進んだのかは知らん。しかし、やっと見つけた手掛かりだ。無駄にはしない」
そう、ついに追いついた。もう逃がさない。問答無用で斬る。
小ガニを口に放り込み噛み砕く。美味い。もう一ついただこう。
「無理をしない程度に頑張るといい。そうだ、少しぐらい寄り道してもいいだろう。今夜付き合うか?」
「な! 誘うにしてももう少しあるだろう!」
「友達に会うのについてくるかって話だ。来るか?」
ふむ、ギルの友達か。長い時を生きるこいつの友達には興味がある。付き合うとしよう。
その夜、連れて行かれたのは港。そこには大勢が集まっていた。男、女、年寄りから子供まで。
少し離れたところで終わるまで待とう、と言われたが、終わるとは? ギルはその問いに答えようともせず、目を閉じ、耳に手を当てていた。
同じようにして耳を澄ますと潮風に乗って歌声が届く。
けして大きくないその声はどこまでも透き通り心の奥底まで染み渡る。明るい歌、切ない歌、変わるたびに私は喜び、悲しんだ。
そして、ある歌が心をかき乱す。それは一人の男の物語。
男は騎士団を率いていた。
男には守りたいものがあった。
それを成すために我が子のような騎士たちを犠牲にした。
しかし男は守れなかった。騎士たちも帰ってこない。
男は失意を胸に姿を消した。
これは! 仲間たちの仇! 父親同然に慕っていた騎士団長の歌!
今すぐにでも問ただしたかったがギルに阻まれた。
ああ! わかっているさ! 終わるまで大人しくしていようではないか。
それからも歌は続き、最後の歌になる。この場にいる全員での歌は特に素晴らしかったが、今の私には楽しむ余裕はない。そのまま集いは静かに終わり、この場に残るのはギルと私だけになった。
行こうか、と背を押され波止場の縁までついて行くと美しい女性がいた。係留された船の帆先に腰かける彼女は同性の目から見ても息をのむほど美しい。波打つ金の髪、青い目、白い肌、細い腰。月明かりを照り返す、しっとりとした長い尾びれ。
ひれ? 人魚だと? おとぎ話の中にしかいないと思っていた。なぜ町の者は何も言わない? ギル、お前もだ!
私は驚きのあまり声もだせず、口を開けたり閉じたりするのが精一杯で、ギルはその有様を見て笑うだけだった。
「こちらの方はギルのお友達かしら?」
「そうだね、友達でいいんじゃないかな」
「あ、すみません。ターラ・コベットです。騎士です」
「よろしく、ターラ。私のことは好きに呼んで構わないわ。私は私だけだから」
そう微笑む彼女だが、言っている意味が捉えきれない。
「彼女は彼女以外の同族を知らないそうだ」
「そうなの。気がついたら海の底で一人ぼっちだったわ」
「それはつらいな」
一人取り残される悲しみ、虚無感はわかる。私もそうだ。しかし彼女の答えは私の想像を超えていた。
「そうでもないわ。他に誰かいると知らなければそれが普通だもの。ねえ、私の言葉はどうかしら? 上手に扱えているでしょう? ギルに教えてもらったのよ。言葉を覚え、歌を覚え、ここの人たちに聞いてもらえる。私は幸せね」
この人は強い。前だけを向いて楽しんでいる。私とは違う。私は、過去に、報復に縛られている。しかし、目を輝かせて笑う彼女を見ていると、いつか同じように笑いたい。そう、思えた。
「そうだ、ターラから質問があるらしい。聞いてやってくれないか?」
忘れかけていた。仲間の仇、父親同然の騎士団長。なぜ彼を知っているのか?
「なぜって、その彼から聞いたからよ。そして話を歌にしたの」
「彼が仲間を犠牲にしてまで守りたかったものとはなんだ? 聞いているなら教えてほしい」
そう言うと、彼女は小首を傾げた。意図がわからない、そんな表情だった。
「私たちは今、会ったばかり。そんな私の話を信じるの? 人は信じたい言葉にしか耳を貸さないのは知っているわ。私の言葉を信じられるかしら?」
確かにその通りだ。聞き出すために信じると言ってもいい。しかし、それは、口先の言葉だ。私は誠実に正直に答えるべきだ。
「すまない。忘れてほしい。それは直接確かめるのが筋だ。この目と耳で判断する。ありがとう。焦りで道を見失っていたようだ」
私の言葉が以外だったのか、彼女は大きく目を開いたあと、笑った。長いひれで海面をかき、水しぶきが舞い上がる。
「あなた、あの人にそっくりね。その純粋さは好きよ。そうね、一つだけ教えてあげる。彼は海を渡ると言っていたわ。あなたたちに何があったのかは知らないけれど、会ってすっきりしていらっしゃい。そして必ず戻ってきて話を聞かせてね。最高の歌にしてあげるから」
「約束しよう。騎士の誇りにかけて」
「よろしくね。ターラ、また会いましょう。お話、楽しみにしているわ。ギル、あなたのお話はまた今度でいいわ。素敵なお嬢さんに出会えたから満足よ」
彼女はするりと海へと潜っていった。
人魚だと? 夢だと言われれば信じるかもしれない。まるでおとぎ話の中に入ってしまったかのような一時だった。
「行ってしまったな」
「ああ。会いたくなったらいつでも来るといい。満月の夜はここで歌っているから」
静まり返った海を眺めていると遠くで飛び上がる彼女が見えた。
おお! 月に届きそうだ!
まったく素敵な人だ。
夜の海は暗く恐ろしかったが、月に照らされているところは輝く道のように見えた。
「行くのかい? 国を越えたら君は騎士ではない。苦労するだろう」
「構わん。私の道は最初から茨の道だ。今さら変えるなどできん」
私の生は報復のためにある。それはこれからも変わらない。しかし……
「安心しろ。会っていきなり斬りかかりなどしないさ」
父の言葉を聞いておかないと彼女に怒られそうだからな。
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