第3節② 吸血鬼とアルビノの少女と旅人

 塔の頂上に立つテレーザは成長した。美しい淑女に。白で統一された、マント、シャツ、革ズボンが我輩と対照的であった。

 彼女は成長している。いつか、成長は止まり、衰え、死ぬ。我輩はそのままだ。成長も、衰えもせず、何も変わらぬ。

 街を見下ろしていた彼女は振り向く。


「ルーノは吸血鬼よね?」

「何を今更そのような事を。それがどうかしたのか?」

「聞いた事なかったから。どうやって吸血鬼に?」


 これは呪いである。若く、傲慢だった領主が受けた呪い。我輩へ向けられた民の憎しみが呪い師を呼び寄せ、かけられた呪い。呪い師は言った。呪いから開放されたくば街のために身を粉にして働け、と。


「それから、三百年。未だ、呪いは解けぬ。当然であろう。我輩は働き方を知らぬ」


 気まぐれに始めた人助けは、習慣となり、歓びとなった。しかし、我輩の為に行っているのでは、働いている、とは言えないだろう。


「ルーノは街のために頑張ってるじゃない!」

「悪党を見かけた時だけだ」

「そうだけど!」

「雨の日も何もしておらぬぞ」

「でも……」

「昼間もだ」


 頭を抱え込んでしまったか。困らせたくはないというのに。


「ぜんぜん身を粉にしてないじゃない!」

「そういうでない。吸血鬼でなければテレーザとの巡り合わせはなかった」

「……ねえ、私がいなくなったらどうするの?」

「元に戻るだけであろう」


 とはいえ、共に過ごす歓びを知ってしまった。一人に戻った時、我輩は耐えられるであろうか?


「私がお願いしたら吸血鬼にしてくれる?」


 空が白みだした。


「……答えは明日まで待て。送っていこう」


 我輩は問いから逃げた。

 その日、それ以上の会話はなかった。


 部屋に戻るが眠る気にもなれず、どう答えるべきか考えていた。テレーザは、何故、吸血鬼になると言ったのか? 哀れみからの同情であるか? アルビノの性質によるものなのか? それとも……

 部屋の扉が無遠慮に開かれた。ここを知る者は数少ない。


「おはようございます。先輩。もう寝てますか?」


 つば広帽とコートの出で立ち。実に懐かしい顔であった。

 慣れぬ敬語を使っているのが丸わかり故、普通に話して構わぬと言ったが、ギルは頑なだった。

 確かに、最初に敬語を使えと言ったのは我輩である。しかし、もうどうでも良かろう。悠久の時を生きる者同士、対等であるべきだ。吾輩と対等と言える者は数少ないのだから。

 それなのに、あろうことか先輩だと? まあ、こやつより長生きしている者などそうそういないであろうが。


「随分と久しぶりだな。どこで何をしていた?」

「それはまあ色々と。世界を回って来ました。知っていましたか? 世界は丸いんですよ。驚きでした」

「何を今更。随分と前、はるか上空まで上がった時に知ったわ。それはそうと、嗅いだことのない匂いがするな。酒か?」

「はい。米の酒を手に入れました」

「飲ませてみろ」


 ギルが取り出した瓶の蓋を外すと澄んだ香りが広がった。以前は何とも思わなかったが、どんな味で楽しませてくれるのかを考えるようになった。これもテレーザに付き合って食事をとるようになったせいだろう。


「構いませんが珍しいですね。自分から飲みたがるなんて」

「最近は食いもするし飲みもする。食を楽しむのも人生の面白味であろう?」

「では先輩の話をつまみにしますか。でも一本だけです。後はお土産なんで」


 ブドウ酒ほどではないとしても、良い酒であった。

 気を良くした我輩はテレーザの話をした。いや、違うな。ギルに聞いてもらいたかったのだ。多くの人を見てきたギルならば答えを示してくれるのではなかろうか? そう、期待して、話した。


「そんな女性に好かれるなんてやりますね。それで返事は?」

「迷っておる。共に歩んでくれる覚悟はうれしく思う。しかし、それは、アルビノの短命さから出た言葉であろう。死を恐れる気持ちはわからぬでもないが、時間の流れから取り残される苦しみは味合わせたくはない。わかるであろう。同じ苦しみを知る、ギルならば」


 我輩の真摯な言葉が伝わったのであろう。ギルも言葉を選んでいる、ように見えた。

 しかし、こやつは、米の酒を一気に飲み干すと、暴言を吐きよった! この、我輩に、だ。

 こやつ酔っておるな。酔いたいのは我輩の方だというのに。


「わかってませんね。全く駄目です。彼女が哀れだ。今まで、彼女の何を見てきたんですか? そもそもアルビノはそれほど短命でもないし、日の光で焼けただれもしません。普通の人に比べれば弱い体ですが。それでも対策さえすれば昼間に外にだって出られますよ」

「なんだと? では、何故、毎夜、我輩といるのだ? アルビノ故ではないのか?」

「まあ、夜の方が過ごしやすいからでしょうが……後は御自分で考えてください。吸血鬼とか、アルビノとか、そんなものは関係ありません。……う……では、もう行きます。飲み過ぎました。久しぶりに話せて楽しかったです」


 待て待て。去ろうとするギルを呼び止めた。頼みたい事がある。我輩では成し遂げられぬ願いを。我輩は今まで、テレーザから多くのものを受け取った。それなのに、何も返してはいない。何かを贈りたくても、ここには何もない。買いに行くこともできない。

 ギルに金貨が詰め込まれた袋を押し付けた。


「これで、我輩の代わりに贈り物を手に入れてきてほしい」


 真剣に頼んでおると言うのに、またしても、あきれ果てているではないか。何故だ?


「こんな大金で何を買うつもりですか? 豪邸? 外洋を渡る船? 箱いっぱいの宝石? 少しは常識を持ってください。まあいいです。私はブルーノ・ラングハイム伯爵を尊敬していますから。敬意の証として、これを献上します。どうぞ、お納めください。黒の守護者閣下。金貨は不要です」


 ギルが荷物をかき回し、取り出したのは、大きな黒い宝石の首飾り。


「曇りもなく、濁りもなく、飾り気すらない、磨き上げられたブラックオニキスです。先輩みたいだと思いませんか?」

「これならば素晴らしい贈り物になるだろう。礼を言う」

「いえ、先輩の役に立てて良かった。近いうちに必ず来ます。その時に先輩の、いえ、二人の出した答えを教えてください」


 ふらふらと出て行くギルに別れを告げた。

 夜を待ち、頂上に上がり、テレーザの合図を待った。待ちわびた。……来た。飛び立ち、はやる気持ちを悟られぬよう、ゆっくりと彼女の前に降り立った。

 気取られていないか心配したが、思いつめた様子でそれどころではないらしい。


「ルーノ。話があるの」

「駄目だ」

「なんで!」

「我輩の話が先だ。手を取れ」


 テレーザを抱えて飛ぶ。思えば、最初に出会った時も似たような遣り取りをした気がする。

 どこに行くのか尋ねられたが、すぐそこだと、答えた。

 塔の頂上に降り立つ。いつもは街を眺めるテレーザだが、今夜は我輩を見据えていた。話があるなら早くしろ、ということであろう。しかし、心の準備が必要でな……


「ルーノ」


 そう急かすな。わかった。腹をくくろうではないか。だから暫し待て。一呼吸分でいい。……よし。

 我輩は膝を付き、テレーザの手を取った。驚いているようであったが、何も言わずに言葉を待ってくれてた。


「テレーザ。我輩は、今まで、多くのものをもらい受けた。しかし、謝意を示したくとも我輩には何もなかった。テレーザのお陰で我輩は救われたのだ。共に歩んでくれて感謝する。これを受け取ってくれぬか」


 ブラックオニキスの首飾りを差し出した。


「奇麗ね。貴方みたいな宝石。これ、どうしたの?」

「古い友人から譲りうけた」

「ルーノに友達がいたなんて驚き。私にも紹介してもらえる?」

「いいだろう。しかし、もう旅だった後だ。次に姿を見せた時は必ず紹介しよう」

「うん。首飾り、ありがとう。うれしいわ」


 テレーザは何を思ったのか、我輩に背を向けられた。……意図がつかめぬ。


「着けてくださらないの?」


 なるほど。任せておくがいい。

 テレーザの細く、白い首に手を回し、恐る恐る鎖を結わえた。

 白く、美しい髪をなびかせて、くるりと回る。月明りが胸元にあるブラックオニキスを輝かす。


「いかがですか? ブルーノ・ラングハイム伯爵閣下?」

「美しゅうございます。テレーザ・キルヒナー姫」

「ふふっ」

「ハハッ」


 思えば、随分と変わったものだ。10年前は一望できた小麦畑は、街の周囲に建造された城壁によって見えなくなった。

 少女だったテレーザは立派な淑女になった。

 街を一人で眺めるしかなかった我輩の隣にはテレーザがいてくれるようになった。

 なにより大きく変わったのは我輩だろう。姿ではなく、心が。


「昨日の答えを聞いてはくれぬか?」

「駄目。今日は止めておくわ。ほら見回りに行きましょう。何時までたっても人に戻れないわよ」


 良いだろう。両手を差し出す彼女を引き寄せる。離さぬよう、しっかりと抱き寄せ、静かに浮かび上がる。月灯りが街に一つ影を落とした。風を切り、速度を上げる。

 今宵だけは、何も起こらないでいてもらいたい。

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