第3節① 吸血鬼とアルビノの少女と旅人
街を一望できる塔の頂上に立った。
月明かりが照らす寝静まった街。うむ、実に絶景である。季節折々で変わる街の表情は非常に豊かだ。嵐に耐える街。滅多に降らぬ雪に覆われた街もいい。中でも格別なのは小麦の収穫前。風になびく小麦はまるで波。街は大海に浮かぶ船となる。我輩は船に乗った事がない故に想像ではあるが。まあ相違ないだろう。
む、風に湿り気がある。この風向きでは明日は雨であるな。では今宵に散策するとしよう。
頂から踏み出し、舞い上がる。縦横無尽に飛ぶ。我輩は飛ぶのが好きだ。身体を覆い隠すマントのせいで風を感じられぬが、仕方あるまい。人に見られたとしても、これならば誤魔化しが効くであろう。
我輩が民を恐れさせるわけにはいかぬ。
それに、この方が吸血鬼らしいではないか。
商店が軒を連ねる区画に灯りが二つ見える。兵の巡回であるな。ご苦労。礼も褒美も与えられぬが、我輩は感謝しておる。
職人が集まる区画に差し掛かった時、かすかに悲鳴が聞こえた。我輩でなければ聞き漏らすであろう、か細い声。高度を下げ、声の元に向かう。我輩の街で愚行は許さぬ。
「助けて――」
声の主は……あの娘か。深夜に出歩いているのを時折見かける。
それと、娘を襲う愚か者が二人。我輩の前で暴挙を働くとは看過できん。
素早く降り立ち、暴漢を制圧する。
少々良い体格をしているようだが、我輩とは地力が違いすぎるわ。
このまま去っても良いが、深夜に娘を一人残すのも気が引ける。助け起こしてやろうではないか。我輩は紳士だからな。
「ありがとうございす……あ!」
あ、とはなんだ? と口を開こうとした時、背後より衝撃を受けた。なんと、もう一人いるではないか。ん? マントにナイフが刺さっておる!
暴漢の首を締め上げると握られていたナイフが落ちてカランと転がった。
全く、一張羅を駄目にしおって。どうしてくれようか。コラコラ暴れるでない。そんなに手足を振り回すな。全く痛くもないぞ。……うそだ。少し痛い。刺された背も痛くないわけではない。
こやつの手が、足が、我輩を打つ度に、加虐心が膨らむ。放してやりたくても勝手に力が入る。締め上げる。吸血鬼としての性が暴力を、血を求めていた。
ええい、放せ! 放さぬか! 我輩は殺したくはない!
「止めて! 殺さないで! お願い!」
娘に腕を押さえられて我に返る。暴漢は尻から落ち、悲鳴をあげ走り去った。
この娘に止めてもらえなければ、命を奪うところであった。
「娘よ。助けられた。礼を言おう」
恭しく頭を垂れる。
夜更けにこのような娘が出歩いているのは以前より疑問であったが、間近で見てわかった。この娘は日の下では生きられない。白い髪、白すぎる肌、青みがかった白い眼。アルビノと言ったか。希に産まれてくる彼等は日の光を避けて暮らすらしい。我輩も似たようなものだ。黒ずくめではあるが。
「助けてもらったのは私だよ」
「その通りだ。それでも我輩は礼がしたい。娘、何を望む?」
「じゃあ、私とお話して!」
取るに足りない事で目を輝かすではない。無欲な娘だ。
「構わぬが、我輩が恐ろしくないのか?」
「ちょっと。でも大丈夫、悪い人じゃないんでしょう? それに助けてくれた人を怖がったら失礼だよ。それから……お願いなんだけど、私に夜の楽しみ方を教えて、先輩。一人は寂しいから」
先輩。あやつも我輩をそう呼んだな。
「承知した。しかし、今宵は帰れ。送ってやろう」
「えー。だったら明日ね。明日の夜」
「駄目だ」
「なんで!」
不服さを隠そうともしておらぬな。
「明日は雨が降る。次の晴れた夜はどうだ?」
「わかったわ。約束ね!」
「ああ、約束だ。では、手を取れ」
娘は迷いもせずに我輩のを手を握る。まだ幼い体を引き寄せ、ふわりと浮かび上がった。
「凄い! 高い! どうして飛べるの?」
「我輩が有能であるからだ。娘。住まいはどこだ?」
「あっち! ねえ、あなたが、街の守り人?」
「その守り人と言うのはなんだ?」
「みんなが寝静まった晴れた夜に空から現れて、悪い人を懲らしめるんだって。黒いマントの背の高い人って言ってた。あなたでしょう?」
抜かった。人に見られた覚えはないのだが……
目立たぬようにとマントを着たのが、逆効果だったかもしれぬ。
「我輩にはわからぬ。その者は恐れられているのではないか?」
「ぜんぜん! 守り人がいるから、みんな安心して暮らせるって言ってた。私が一人で外に出てもあまり怒られないのはあなたのお陰ね」
……我輩が行ってきた事は無駄ではなかったのだな。
娘の住まいは我輩の塔から見える屋敷であった。
「次の晴れた夜ね! 約束したからね!」
「覚えておる。必ず参ろう」
娘は屋敷を取り囲む塀を乗り越えようとしている。やめい。はしたないではないか。
抱え上げ、内側に下ろしてやった。
「ありがとう。おやすみなさい」
屋敷に入るのを見届けてから音を立てずに浮かび上がる。
ハハッ! 全くもって良い夜であったわ。湿り気を帯びた重い風であったが我輩の心は軽かった。
翌日は我輩の言った通り、雨が降った。その次の日もだ。三日後の夜、雨が上がったばかりの街に降り立つ。娘は広場のベンチにいた。
「こんばんわ。名乗り忘れてましたわ。テレーザ・キルヒナーと申します」
うむ、実に優雅に振る舞うものだ。塀をよじ登ろうとしていた娘とは思えん。
「ブルーノ・ラングハイム伯爵である。伯爵と呼ぶ事を許そう」
「ねえ、ルーノ。お腹空いてない? ご飯持ってきたの。はいどうぞ!」
伯爵と呼べと言っておろうに。まあ良かろう。
パンに切れ目を入れ、肉と葉野菜が挟んであるのか。……我輩は100年以上、何も食べていない。必要ないからな。しかし、久方ぶりに人の食事を味わってみるのも悪くない。
ただ、ナイフやフォークを使わずに食するのには抵抗がある。が、これが民の流儀ならば従おう。
大きく発達した犬歯が突き刺さる、が、しかし激しくむせてしまった。
「不味かった?」
「ニンニクの入れ過ぎだ! 我輩は嗅覚が敏感で強い匂いの物は苦手なのだ」
「顔色悪くて痩せてるから元気になってほしくて。ニンニクたくさん食べると元気になるって聞いたから……」
む、我輩を気遣ってくれていたのか。声を荒立てて申し訳なく思う。頼むから、そんな顔をするでない。
残りを一気に食べきる。匂いが強過ぎて味が全くわからんのが残念だ。
「
「うん! でも、あまり好き嫌いしたら駄目だよ。ルーノは大人なんだから」
テレーザは笑いながら我輩を肘で突く。
「肝に銘じておこう」
これが、我輩とテレーザの出会いだ。
それからというもの、数え切れぬ夜を共に過ごした。
毎度、街で探すのが面倒なので、我輩を呼ぶ為の合図を作った。
こんな事もあった。穴が空いたままのマントの代わりに、黒く光沢のある美しいマントの贈呈を受けた。黒いシャツと黒の革ズボンも一緒に。その頃から黒の守護者なる呼ばれ方をされるようになったと聞いた。
ある時は、我輩の塔の頂上で街を眺めた。彼女は気に入ったようで度々連れてくるようになった。
他にも彼女の頼みで人探しや、怪しげな薬を密売する者共を懲らしめたりもした。
街のいたる所に我輩とテレーザの記憶がある。
気がつけば10年。なんとも退屈しない日々であった。
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