41 制服
小春は自分がどんな顔をしているのかはわからなかったけれど、きっとひどい顔をしているのだろう。来駕の顔が心なしか苦しそうに歪んだ。
「話、が」
「今すぐじゃないと駄目な話?まずは一回、眠れって。睡眠はちゃんととらねえと」
来駕がベッドに腰かけると、ギッとベッドのスプリングが鳴った。
「うん……。」
小春もベッドに腰掛けていたが、そのまま後ろに倒れてベッドの柔らかさに身を委ねた。
「私、また逃げたいって思っちゃうかもしれない……。」
「まず、目を閉じて」
「わっ、何」
来駕の手が顔へ伸びてきて、小春の目をそっと覆った。手の影が小春の目に落ちていく。
「日華は陽が長いからな。夜がなかなかこない。小春は朝の静けさと夜の静けさならどっちが落ち着く?」
「夜、かな」
来駕は「だと思った」と小さく笑った。
体がどんどん沈んでいく気がした。思っていたよりも疲れていたらしい。来駕の柔らかい声が心地よく聞こえてきて、ぼうっとしてくる。うやむやに霧がかっていく、現実。ずっと目を背け続けてきた。
艶めく銀髪が揺れる。と思えば、透明な墨汁を垂らしたように滲みが広がっていく。見たくない、と思うからだ。
私は、何も、知らない。何も聞かなかった。
小春は、何度も、「私は、」と唱える。あの銀髪の綺麗な神様は、—— 一煌は——私を救ってくれた人。誰が何と言おうと、悪者じゃない。それに、きっと孤独や寂しさや辛さを知っている人だ。小春はその孤独を裏切れない。だってそれは、自分の孤独を、寂しさを踏みにじることになるからだ。
「全部忘れて、休んだほうがいい。伊琉様に強く言われたから気にしてんの?」
「……やっぱり、忘れられないよ」
「……小春。本当、休むの下手くそ」
目が熱くなって胸が苦しくなる。ひっく、と嗚咽が溢れてきて、頬を伝い涙がシーツへ落ちていく。本当はよくわかっていた。傍観しているつもりでも苦しさは変わらないことを。
「来駕、嘘ついて、傷つけて、ごめんな、さいっ」
「何、そんなこと、気にしてたの」
来駕は目を覆っていた手を上に動かし、小春の前髪に触れた。
「嘘が悪いわけじゃない。ただ、怖いんだよ」
小春は嗚咽で息が浅くなり、自分の胸が大きく上下しているのを感じていた。喉が熱い。
「その嘘を信じ続けて駄目になっていく自分を見るのが」
「来駕……?」
深い藍の目は艶っぽく、泣いてしまいそうなのに。皺を刻まないその綺麗な顔は、もがく時期を通り過ぎて半ば諦めているように見えた。
「昔、ちょっといろいろあってな。……俺も寝るか。考えすぎる前に眠らないと、もたない」
「もたない、って?」
「自分がさ、もたないんだよ。ほら、寝るぞ」
ぽすっと来駕も後ろに倒れて、ベッドに身を委ねた。来駕みたいな人でも「ちょっといろいろ」があるんだ、と小春は白い天井を見つめながら思った。
どんなに綺麗な人でも、どんなに要領がよく人当たりがいい人でも、どんなに強い人でも、「いろいろ」がある。
小春は目を閉じながら、私が嫌いだった周りの人たちにも明るく見える人たちにも「いろいろ」はあって、それと向き合いながら必死で生きていたのだろうか、私だけがその重さに耐えられなくて逃げ出したんじゃないのか、とぼんやり思いながら深い闇の底へと落ちていった。
***
「じゃあ、少しの間だけどよろしくね、小春」
「こちらこそ。明輝」
2年朱雀組のプレートが掲げられている教室の中、朝のホームルームが終わり先生が教室から出て行った、その後。明輝が人懐っこい笑顔で小春の席まで来てくれた。
朝、起きると隣に来駕はいなくなっていて「あれ」と声を出しながら部屋を見回すと、制服のリボンを結んでいる美夜と目が合った。「お、おはようございます!」と裏返った声を出し、引きつった顔で笑おうとしていた。
聞けば、来駕は早々に寮を後にしたらしい。寝るか、なんて言っていたけれど美夜の口ぶりからして数分しか寝ていないようだった。
「あの、こちらに着替えてください」
と、美夜がおどおどしながら綺麗にたたまれた制服を小春に差し出す。
「え?制服?……えっ!?」
驚いて声を出してしまうと、美夜は「ひっ」と短い悲鳴をあげて体をびくつかせた。すぐさま「驚かせちゃって、ごめんね」と謝ると美夜の表情が少しだけ綻んだ、気がした。
だって、と小春は制服をじっと見つめてしまう。大学を卒業して社会人をやっていて、つまりはもういい歳なわけで。
「来駕様は一週間限定で講師をなさるので、小春様は生徒として学びながら皆と交流を、と学園長から提案があったそうで……。」
「学園長から?」
それは断れないな、と渋々制服を受け取ると美夜があからさまに安心しホッとした表情へと変わる。灰色のブレザーにプリーツスカート、黒いブラウス、透き通る素材の黒いレースのリボン。制服、可愛い……。
そして美夜に案内されて学園まで来たというわけだ。来駕が気を利かせてくれたのか、それとも偶然なのか、小春は明輝と門番バイトをしている紫露のクラス、2年朱雀組で一週間お世話になることになっていた。
「クラスの席、自由なんだ。朝来て皆、好きな席に座る。授業はそれぞれ好きな授業をとる選択制なんだけど、特に授業とか決まってなければ俺と行動する?」
明輝は空いていた小春の隣席に座り、机に突っ伏して顔だけ小春のほうを向いた。目が合うと目を細めて、笑ってくれる。
涙のあふれる永い夜に 葉月 望未 @otohana
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