第136話 老将の死

「おいっ! 諸将の財布はもう限界だぞ。緒戦で敗れて前にも出られず、一年近くも長々と対陣を続け、この前は紀伊沖で水軍が壊滅したよな。この状況に対し、織田幕府の宰相様たる細川幽斎殿はどのように対応するのかな?」


 幽斎は、度々やってきては自分に文句を言う森長可に対し苛立ちを覚えていた。

 彼の言っている事は正論であり、いや正論だから余計に腹が立つというわけだ。

 長可は、幽斎に対する敬意など微塵も持ち合わせていない。

 将軍信重に重用される幽斎は、実際に宰相に命じられたわけではないが、実質宰相のようなものだ。

 津田家討伐のための従軍に対し不満を持っている諸将は多いが、それを表立って口にする者は少ない。


 みんな、幽斎の怒りを買って処罰される事を怖れているからだ。

 そんな大名達の中で、唯一堂々と幽斎を批判する人物がいた。


 その人物とは、若い頃は突飛な行動も目立ったが、今では大分落ち着いたと周囲から評されるようになった森長可であった。

 ただ、落ち着いたとはいえ、人間の本質とはそう簡単に変わるものでもない。

 長可は、織田幕府のナンバー2、実質ナンバー1の幽斎に対して遠慮なく批判を行った。


 しかも、本人の前でだ。


 長可のあまりに堂々とした態度のせいで、幽斎は逆に彼の処罰ができなかった。

 それに、批判の内容自体は間違っていないのだ。

 誰もがそう思っているが口に出せない事を長可が代表して言っているようなもので、ここで長可を処罰すると諸将の士気が余計に落ちてしまうから、幽斎としても彼を処分するわけにはいかなかった。


「津田家もそろそろ限界のはずだ」


 いかに金持ちである津田家とて、あれだけの兵力を一年近くも尾張と美濃に張りつけているのだ。

 ましてや、いくら開発が進んでも関東や東北は僻地。

 このまま粘れば、自分の勝ちだと幽斎は踏んでいた。

 

 そしてもう一つ、幽斎は底意地の悪い事を考えている。

 それは、自分に反抗的な譜代諸将の改易を狙っているのだ。

 対津田家戦で負債が限界を超えた大名を統治能力不足の罪で改易し、織田幕府の……実質細川幕府の直轄地を増やし、自分に従う名門に与えて影響力を増す。


 実際に小大名の中には、借金が返済不可能となって改易されたり、自発的に領地を返納する者まで出始めていた。

 幽斎は、津田家を真似て銭で家臣を雇う制度を始めている。

 領地を失った家臣もクビというわけではなく、織田幕府に直接銭で雇われる存在になったというわけだ。


 莫大な借金が帳消しになるので、小さい領地しかない家臣だとこの話に飛びつく者が多かった。

 そして、ますます織田幕府の力が増す……将来的には細川幕府かもしれないが。

 銭で家臣を雇う制度にはもう一つ利点があって、それは現在懸命に鋳造している文禄通宝の普及が進むというものもあった。

 すぐに永楽通宝に交換されてしまう事の多い銭であったが、現在幽斎の命を受けた孫一が全力で生産しているので、他のビタ銭よりはマシだと織田領内で普及はしていたのだ。


 長可はバカではない。

 むしろ、頭はいい方だ。

 でなければ、信長から贔屓されるはずがない。

 彼は幽斎の魂胆は大体見抜いていた。

 見抜いていたからこそ幽斎の計画が杜撰なのではないかと思い、定期的に苦情を言いに来ているとも言えた。


「それで、あとどのくらい睨み合いが続くんだ?」


「長くてあと一年だ」


「ふーーーん、もう一年、もう一年と延長しないといいがな」


「……」


 長可の言いように幽斎は腹を立てたが、それを表に出すほど幽斎は若くなかった。


「一つ聞いていいか?」


「何だ?」


「津田家はこの一年で疲弊したか? むしろ元気そうに見えるけどな」


 ほぼ勘や直感の部類であるが、長可は織田幕府よりも津田家の方が経済的に上なのではなかと思い始めていた。

 織田幕府内にもそう考える人間が徐々に出始めていたが、それをわざわざ幽斎に報告して睨まれるのは嫌だと考えたので、長可以外は口にしていない。


 彼が集めた名門連中に至っては、それに気がついてもいなかった。

 気がつくような有能な人間を幽斎が受け入れるはずもなく、まあそういう事だ。


「向こうは順調に見えるぞ」


 関ヶ原に多額の資金、大量の資材、多くの人員を用いて作られた野戦陣地、これに軍勢が近づくと砲撃の餌食となる。

 間諜を侵入させても誰も帰って来ず、今では損害を怖れて近江の防諜任務に集中している有様だ。

 それでも、織田幕府側の間諜の方の損害が大きいので、祝重正と下石頼重は損失の補てんで頭を痛めている。

 一般人に変装し情報だけを集める役割を担う草を美濃と尾張に派遣しており、この人員の補充と合わせて大苦戦していた。


 なぜなら、情報収集だけを行う草でも半分以上が戻って来なかったからだ。

 それでも、多くの犠牲の果てに何とか最低限の情報は入手していた。


 まずは関ヶ原に建設された野戦陣地であったが、今は徐々に強化されて要塞のような作りになっていた。

 空を飛ぶ飛行船……織田幕府側もようやく飛行船の正式名称を知る事に成功した……の離発着基地も完成し、二十四時間ずっと近江上空は監視されている。


 燃える壺の投下は行ってこなかったが、飛行船は交替で常に上空にいるので兵士達の中には不安を感じる者が増えていた。

 いつ上空から攻撃されるかわからないので、精神が休まらないのだ。


 一方、監視体制が万全なので津田軍とその他の軍勢は交替で休めるようになった。

 非番時遠方に出かける事は禁止されたが、野戦陣地の傍に兵士用の町があり、そこにはすべての娯楽が揃っている。

 織田幕府軍側に動きがあれば警報で知らせがあり、それを聞いてから戻ればいいルールになっていた。


 野戦陣地にて警戒、近隣で訓練、休養というローテーションが完成し、津田軍側は練度と規律を維持しながら長期間の対峙が可能であった。


 織田幕府軍も仕方なしに似たような制度を作ったが、その完成度はいまいちだ。

 非番時に酒を飲んで暴れたり、近隣の町や村で犯罪を働いたりする兵が増えて領民から大量の苦情が来るようになった。

 幽斎はそれを取り締まる兵士達を準備せねばならず、織田幕府軍で即時対応可能な兵は十万人もいない。


 つまり、現状では両者は兵数でも互角なのだ。


「常に上から監視されているから、こちらが全力で出撃準備したらあっという間に見抜かれるな。例の大砲で吹き飛ばされる奴も多いだろう」


「弱らせてから数の優位で押す。上様も認められた作戦だ」


 長可の発言に反論する手間が惜しい幽斎は、信重の名を出して長可を抑えた。

 だが、これが余計に長可の感情を苛立たせてしまう。

 幽斎が信重の威を借るキツネにしか見えなかったからだ。


「本当に弱ればいいんだがな……」


「上様の認めた作戦である」


 現在の戦略を立てたのは幽斎であったが、信重が認めているのだから信重が立てた作戦に等しく、それに文句があるのかと幽斎は長可を睨みつけた。

 この作戦に異議を申し立てれば、お前を処罰しなければならないと脅したのだ。


「作戦が上手く行く事を祈る」


 それだけ言うと、長可は幽斎の元を辞した。

 長可は、これ以上話をしても無意味だと思ったからだ。


「兄上、どうでしたか?」


「別に何も変化はないな。持久戦で津田家を弱らせるという方針に変わりはない」


 森家は五つに分かれていたが、現在は一つに纏まって陣を張っていた。

 兄弟だからというのもあるが、飛んでいく経費を少しでも節約するために成利の提案でほぼ一軍となって動いていたのだ。


「これは困った……とにかく金がなさすぎる! もう商人からの借財も難しいぞ!」


 森家の長男にして本家の相続者である可隆は、一人帳面を見て唸っていた。

 とにかく目立つ長可や、信長の側近衆であった成利達に比べると地味な人物だが、無能には程遠い人物であり、今は亡き父可成に似て真面目な人物であった。


 五家合同となった森軍の運営を行い、少しでも経費を削ろうと日々奮闘している。

 前田利家に習ったソロバンを弾きながら、どう足掻いても消えない莫大な借金に頭が痛くない日はなかった。


「兄貴、穴が開くまで帳面を眺めても借金は消えないぜ」


「お前は気楽でいいな。長可」


「だってよ、どうせ返せないじゃないか」


 限界まで動員した兵を一年近くも近江に張りつけているのだ。

 食料は幕府から支給されるにしても、他の経費が財政を圧迫した。

 兵農分離も進んでいないので、兵士の大半は農民や町民だ。

 領地の生産量は落ちてしまうので、借財を返す元手となる税収は落ちてしまう。

 これでは借金は増えるばかりで減る気配もなかった。


「こうなると、兵を出さなかった前田家、丹羽家、長宗我部家は大正解だったな」


 兵を出さなかったこの三家に、幽斎は激高した。

 津田家を始末したら改易か大幅減封が確実視されていたのだが、織田水軍が壊滅した今では、四国への軍事行動すら不可能だ。


 商人の船を徴発して軍勢を送るという手もあったが、それを行えば確実に日の本全体の制海権を握った津田水軍によって撃沈されるであろう。

 出兵の負担がなく、この一年、三家は領地の開発にまい進できたので、財政的にも大分余裕ができていた。


 朝鮮から撤退してまだ四年と経っていない。

 その状況での、しかも津田家の援助を受けての開発だ。

 四国の三家は、現在近江にいる大名達よりも圧倒的に財政状態はよかった。


 加えて、津田家は民間人の移動や交易を邪魔せず、むしろ外洋などでは保護してくれたので、織田幕府としても手が出せなかった。

 津田水軍の保護を受けているからという理由で商売禁止にすると、織田領内が干上がってしまう。

 水軍を再建しようにも、討ち死にと降伏で船乗りを大量に失ってしまった。

 現在、織田領内の海上交通と交易は、津田水軍のおかげで成り立っているという奇妙な状態なのだ。


「ない袖は振っても意味がないさ」


「長可、そんな事を言う前に決められた負担金をちゃんと納めろよ」


「わかっているよ、兄貴」


 森軍は、効率化によって少しでも負担を減らそうと努力を続けていた。

 率いている人数に比例した額を可隆に預け、彼は一銭単位で節約を試みる。

 可隆は決して槍働きが苦手な人物ではなかったが、自然とこの役割に落ち着いてきた。


 本人は『これからの時代、槍働きだけではな……』と思っているので強い不満はないのだが、周囲は涙ぐましい努力を続ける真面目で辛抱強い嫡男だと同情の視線を送るようになっている。


「明日には納めるよ。金を借りるのに時間がかかったんだ」


「借金か?」


「珍しくもないだろう?」


 幽斎に命じられて兵を出している大名で、財政にゆとりがある者など一人もいない。 

 みんな、津田家を滅ぼせば莫大な恩賞があるという前提で我慢している状態であった。

 情報がないので、四国勢のように思いきった選択ができなかったのだ。

 四国は海を隔てているから、織田幕府による出兵命令を無視できたという理由も存在したが。


「しかし、よく貸してくれたな」


「俺が集めた茶器が、みんな借金の担保になっているんだよ」


 信長が推奨した茶道を嗜む大名は多かったが、このところの借金で手放したり、担保として預けてしまったりした者も多い。

 この状況に田中与四郎が苦言を呈したが、長可がこれに強く反発した。


『うるせえ! 茶器が槍を持ったり、鉄砲を撃ったりできるか! 人の戦で大金を稼いで手が血塗れなお前が、詫び寂とかいい御身分だな!』


 この件で与四郎にキレた長可は、二度と茶道なんてしないと心に誓った。

 担保に入れた茶器は、そのまま没収でいいとまで公言する始末だ。


「豪商連中も、食料価格の乱高下で損害を受けているからな」


「知るか。欲に目が眩んで密かに食料を隠匿するからだ」

 

 商人の癖に商売という戦に破れた豪商達に対し、長可は厳しい評価を下した。

 それに、彼らがその程度の損害で潰れるはずもなく、自分達の方がよほど破産寸前だと思っていたのだ。


「おい、お蘭は随分と余裕だな」


「あと数年は大丈夫ですから」


「どんなカラクリだよ。それは?」


「簡単な事で、商人の戦に勝っただけです。武士である私からすれば、自慢にもなりませんが……」


 信長の傍にあって津田家のやり口をよく理解し、信長死後は与えられた領主としての仕事のみをすればよかった成利には時間があった。

 元々珍しい焼き物の収集が趣味で目利きの才能もあり、得意な事は計算である成利は津田家との交易に励む傍ら、様々な品の転売で大きな利益を出していた。

 安く仕入れた茶器を転売して儲け、津田家から購入した交易品を近隣の領地に売り捌いて利ザヤを稼ぐ。

 

 おかげで、森成利は五万石の大名にしては金持ちであった。

 税も安くしたので、領民達にも人気がある。

 幽斎から兵を出すように言われたが、その兵力は石高に比例する。

 無駄な出費ではあるが、成利は兄達ほど金に苦労していなかった。


「他にも、食料相場にも手を出しました。結構な儲けが出ましたね」


「お前、豪商達でもしくじった食料投機に手を出したのか?」


「九割方勝てると予想していましたので」


 成利は、その目で織田信長という人物を見てきた。

 津田光輝も同じように見てきて、織田信長からの直接的な評価も聞いている。

 その光輝がどのような行動に出るか大体予想しており、安い内に戦に必要だという名目で食料を大量に購入し、大分値上がりしたところで売り抜けて莫大な利益を得ていた。


「お蘭、お前、そんな事をしていたのか?」


「武士がやる事ではありませんからね。内緒とまでは言いませんが、静かにやりました」


「お前なぁ……そういう事をする時には俺を誘えよ」


「確実に儲けるには密かに売り抜けるのが一番なので、大変に申し訳ありませんが……」


 口調は穏やかだが、成利のやった事は一つ間違えば破産の危険性があった。

 いくら兄でも、いや兄だからこそ、他人にはお勧めできないと忠告する。


「下手を打つと、豪商連中と同じ末路かよ……。しゃあね。お蘭、金貸せよ」


「いいですけど」


「いいのかよ!」


「兄上ですから」


「お前、いい奴だな!」


 単純なところもある長可は、成利に嬉しそうに抱きついた。

 長可にはその手の趣味はなかったが、金を貸してくれるのならその人に抱きついてしまうくらい困窮していたのだ。


「ところで長可。お前、茶器を担保に金を借りているのだろう? 誰に借りているのだ?」


「ああ、隣の筑前殿に」


「お前も大概だな」

 

 可隆は、長可が金を借りた人物を聞いて驚きを隠せない。

 羽柴秀吉は、幽斎の命令で北九州に残ったままだ。

 表向きは明と朝鮮の逆襲に備えるためであったが、大半の大名は大兵力である羽柴軍に戦場で裏切られると面倒だと幽斎が思っているからだと認識していた。

 そんな疑惑の羽柴家から金を借りる大胆さに、可隆は呆れつつも、羨ましい度胸をしていると思ったのだ。


「筑前殿は裏切っていないだろうが。味方から金を借りて何が悪い」


「幽斎殿に言われるぞ」


「それは今さらじゃないか」

 

 長可と幽斎の仲の悪さは有名だ。

 今さら何を言われても同じだと長可は思っていた。


「それにしても、もうそろそろ終わってくれないと金を借りる奴がいなくなるな。津田家から借りるかな?」


「それはやめとけ」


 いくら何でも、それをしたら利敵行為だと思われてしまうと、可隆は長可に忠告した。


「冗談だよ、兄貴。でも、津田家から金を借りて返さなければ、逆に織田幕府側を利する行為だと思われないか?」


「なるほど、津田家に金銭的な損失は与えておりますな。借金を踏み倒すという非常識な行為で世間からは批判されると思いますが」


「成利、そこで妙な賛同をするな。長可が本気にして金を借りに行ったらどうするのだ」


 可隆は、長可の冗談だと思う……思いたい金策案を妙手だと言った成利にも釘を刺した。

 個性の強い弟達を纏めるのに、彼は心を砕く事が多かった。


「まさかな、冗談さ。成利が沢山金を貸してくくれば、暫くはそんな金策を考えないで済むんだが」


「兄上、私にも限界がありますから」


 いくら兄でも、貸せる金には限界があると成利は穏やかな口調ながらも、きっぱりと言い放った。


「その割には余裕そうだな」


「いつもどおりだと思いますけど」


 長可には言わなかったが、実は成利は四国との交易で大分儲けていた。

 備後に領地を持っていたのが幸いであったのだ。

 なので実はよほど戦が長引けねば大丈夫なのだが、それを細川幽斎に知られるわけにはいかない。

 敵を騙すには味方からというわけで、成利は兄弟にも自分の本当の懐具合を知らせなかった。

 もしもの時には援助は惜しまないとも思っていたが。


「(経済的な面で見れば、既に織田幕府は津田家に負けている。だから、幽斎殿が大軍で押し潰して一発逆転を狙う策は間違ってはいない。まあ、それすらも津田光輝殿の思惑どおりなのだろうけど……)」


 徐々に織田幕府軍に参加する諸大名の士気が落ちていくなか、森家も後方で無為な時間をすごす事が多かった。






 織田水軍と津田水軍との戦いは、津田水軍の一方的な勝利となった。

 織田水軍は集めた千隻以上の艦艇の内、半数を失い、半数が降伏して鹵獲される。

 小型船を中心として数十隻が逃走に成功したが、彼らもすぐに沈められるか降伏してしまった。


 中・小型コルベット船で編成された津田水軍別働隊が、織田方の水軍の拠点や造船施設を砲撃、放火して回ったからだ。

 

 石山の近くにあった水軍の港と造船施設も焼き討ちされ、日本近海と外地への交易路の制海権は全て津田水軍の手に帰した。

 津田水軍は民間商人達の商売を邪魔せず、逆に海賊などから守り交易の促進までおこなっている。

 ただし、今井宗薫、田中与四郎、津田宗凡などの幕府に近いとされる政商の商業活動は制限された。

 対峙を続ける織田幕府軍に補給をしているという名目で、多くの船と荷が拿捕されていく。


『酷いですぞ! 津田様!』


『さよう! 亡き大殿様はこんな真似はしなかったですぞ!』


 わざわざ江戸にまで彼ら豪商の人間が津田家に苦情を言いにきたが、戦で勝つためだと、留守居役の石田三成は相手にしなかった。

 織田幕府に近い政商の力を削ぐのも、対織田幕府戦における重要な作戦の一つだったからだ。


 豪商の商いは軍需と民需の区切りが難しいし、チェックも難しい。

 ならば大きな制限をかけてしまえというわけだ。


『決戦が迫るかもしれない時に、織田幕府方に補給をされると困りますので。我らとて必死なのです』


 三成からそう言われてしまい、彼らはすごすごと引き返す事となる。

 それに、彼らの活動停滞による不足分は、東国商人達と他の中小商人達の活躍によって埋め合わせが行われていたので、庶民で困っている人は少なかった。


 光輝は、いくら商人でも政商を自由に活動させると危険であると、彼らの行動を縛っていたのだ。


『今日子殿、こういう時に茶道の師匠だからとは言いたくないが、もう少し交易の制限を緩めてもらえないだろうか?』


『師匠、残念ですが、我々は織田幕府と戦をしているのです。いくら師匠の頼みでもそれは受け入れられません』


 与四郎は、弟子である今日子に交易の制限を解いてもらおうと自ら関ヶ原の陣地を訪ねてきた。

 だが、肝心の今日子の答えは非常につれないものであった。


『南蛮との交易を制限されるのは辛いのだ』


『最初に、鉄と硝石を密輸しようとしたのは師匠ですよ』


 織田幕府は津田家が戦になってから、鉄砲や大筒の材料となる鉄、青銅、硝石の不足に大いに悩む事となった。

 硝石に関しては、石山本願寺を攻め落とした時に製造技術を得て生産も開始していたが、必要量を満たしているとは言えない。

 緒戦で火薬を大量に焼かれてしまったのも痛かった。


 幽斎は、多少高くても南蛮商人から硝石と鉄を手に入れようとするが、この動きを津田家が邪魔しないわけがない。

 織田領に軍需物資を運び込もうとした南蛮船は臨検の後に積み荷を没収され、逆らって船を撃沈されたり、拿捕される船も多かった。

 苦肉の策で、田中与四郎達豪商は外海で南蛮商人から軍需物資を受け取り、石山に運び込もうとする。

 

 だが、それも津田水軍によって見抜かれ、船と積み荷をすべて没収されている。

 戦争のせいで南蛮由来の商品の売り上げが落ち、与四郎達は幕府に近いがために売り上げが大幅に落ちてしまった。


 それを何とかしようとしての今日子への陳情であったが、当然受け入れてもらえるはずがない。


『我らはその立場ゆえに幕府からの命令を断れぬし、他所に本拠地を移すわけにもいかぬ』


『とにかく、今は交易に制限をかけるのをやめるわけにはいきません。私も死にたくはないので』


『……』


 結局、与四郎の陳情は無意味な結果に終わってしまった。

 これ以降彼らの商売は左前となり、石山の商人達は関東や東北の新興商人達に主役の場を奪われていく事になる。





「さて、我々若い者だけで自由気ままにやれるな」


「殿、そういう言い方をすると年寄りみたいですぞ」


「嘉明、そういう事を言うなよ。せっかくなのだから、開放感を楽しまないと」


 津田水軍による制海権の確立が完成した直後、志摩の海上に多くの艦船が集まっていた。

 旗艦は津田丸であり、艦隊指揮官は九鬼信澄である。


 傍には、関ヶ原から南下して海上に出た津田信輝の姿があった。

 ここ数年は、光輝の代わりに領地を治めてきた信輝が、戦でも功績を得ようと別個の侵攻作戦を立てたのだ。


 この作戦では、幼い頃から仲が良く信輝が一番信用している岸嘉明が副将となり、他にも井伊直政、本多正純・正氏兄弟、蜂屋輝貞、渡辺重綱、武藤信之、田村光顕兄弟、堀尾忠氏、山内輝豊、日根野高吉・引吉、島信勝など。


 大半が三十代前半までで、全員が信輝のお付きから若手指揮官に抜擢された者達ばかりである。

 関ヶ原から二万人、あとは江戸から追加で援軍三万人を呼び寄せ、これにより伊勢志摩方面を占領する作戦であった。


 両国とも元は津田家の統治下にあり、津田家の関東移封に付いて行かなかった領民達に中には、今でも津田家の統治を慕っている者が多い。

 彼らが動けば攻略は容易だと、信輝は踏んでいた。


「義宣、義康、江戸からご苦労だったな」


 信輝は、援軍を率いてきた佐竹義宣と最上義康に労いの言葉をかける。

 共に東北統治で忙しい佐竹義重と最上義光の嫡男で、今回の作戦に参加予定であった。

 

「いえ、兵の統率よりも父が若い者ばかりで心配だとうるさくて」


「それは俺も言われました。昔の戦の話とか耳にタコができそうでしたよ」


 義重も義光も、共に戦には一家言ある人物である。

 江戸を発つ前に、毎日のようにお小言を聞かされたと二人は迷惑そうだ。


「それは俺もあったな。父が三河の一向一揆に参加した頃の話とか」


「鉄砲の弾が俺を避けていったとか、一つの合戦で首を二十個獲ったとか言ってたけど、本当なのかな?」


 蜂屋輝貞と渡辺重綱も、出陣前父に三河一向一揆の話をされ、『その話はいつ終わるのだ?』と思った口だ。


 信輝世代の若い者達は、津田家の教育のせいか上の世代から理解に苦しむ若者達だと言われるようになっていた。

 いつの世にもある世代間ギャップなのだが、光輝達のせいでそれが顕著なのだ。


 それでも、能力では劣るという事もなかった。

 むしろ教育などは効率化しているのだから、優秀な部分も多くあったのだ。


「事前の演習によると、伊勢志摩の占領まではそう難事ではないはずだ」


「問題は、それを聞いて近江にいる織田幕府軍がどう動くかですね」


 本多正純が、参謀として信輝に意見を述べる。


「俺の予想だと、こちらが兵力を分散したと見て、すぐに奪還のための軍勢が来ると予想している」


「各個撃破の機会と捕えますかね?」


「その軍勢を叩けば、更にこちらが有利になるな」


「伊勢志摩の陥落も決定的となります。では、演習どおりにいきますか」


 津田信輝軍五万人は、さしたる抵抗もなく志摩からの上陸に成功した。

 志摩には津田家が経営していた真珠の養殖場があったが、移封により養殖場は東北へと移転している。

 跡地で織田幕府が真珠の養殖を試みているがいまだに成功しておらず、比較的簡単な牡蛎の養殖が主流となっていた。


 それでも十分に稼げていたが、養殖場の職員達はいつか真珠の養殖を成功させるのだと努力を続けていた。

 近江などに逃げ出す事もなく、彼らは津田軍が養殖場に入っても作業をやめなかった。


「また失敗した!」


「真珠が丸くならないな……」


「貝が死んでしまっている。芯を入れる時に貝に負担が大きいのか……」


 信輝、正信、嘉明、直政などが姿を見せても、彼らは真珠の出来を分析する作業をやめなかった。


「おい! お前ら!」


 さすがに見かねた直政が、彼らを怒鳴るように声をかけた。


「津田の殿様ですか? 我々は忙しいので抵抗などしません。どうぞ、伊勢へと進撃してください」


「それよりも、どうやって真珠の養殖を……ええいっ! ここで教わっては意味がないじゃないか!」


「監視の兵だけを置いていく。好きに研究するがいい」


 彼らからすれば、織田幕府と津田軍が戦ってどちらが勝とうと、あまり待遇は変わらない。

 それよりも、真珠の養殖の方が重要というわけだ。


「どちらが日の本の実権を握っても、連中は真珠が養殖できないと功績を挙げられないからな」


「なんとも……清輝様を思い出す連中ですな」


 今は亡き信忠は、あえてそういう連中ばかり養殖場に放り込んで仕事を任せていたわけだ。

 牡蛎の養殖は津田家の技術指導がなくても成功させていたので、彼らは変わり者でも無能ではなかった。


「幕府軍に徴集されて、予想よりも遥かに伊勢志摩を守る兵力が少なかったな」


「兵力を集中して、一気に関ヶ原を抜く戦術に出ようとしているのでしょう」


「成功すれば、勝利への一番の近道だな」


「兵数は織田幕府軍の方が上ですから、まさかこちらが攻め込んで来ないであろうと思っていたのでは?」


「そんなところだろうな」


 信輝は、直政の意見に納得した。


「抵抗が少ないですね」


「元々は津田家の領地だからな」

   

 養殖場の人員も含めて両国には元々少数の兵力しかおらず、両国の領民達が津田軍の帰還に呼応して守備兵を捕えたり、討ってしまったりしたからだ。

 一部抵抗もあったが、あとはほとんど逃げ去ってしまった。


「伊賀と紀伊も、すぐに落とせそうですな……」


「その二か国は防衛体制の構築などもあるから後回しだな。その前に、誰かが激怒して攻め寄せてくるはずなので、迎撃準備も整えないといけない」


「誰が来るか、想像が容易ですな」


「歴戦の猛将だ。油断しないようにしないと」


 嘉明の予言どおりに、伊勢志摩を制した津田軍に対し織田幕府軍から六万人の兵力が分離をして南下を始めたと報告が入った。

 最近士気の低下が著しい織田幕府軍であったが、その軍勢は総大将の統率がよく、しっかりと纏まっているそうだ。

 伊勢奪還軍の大将は、織田幕府大老筆頭である柴田勝家であった。


「大当たりだ」


「簡単な問題すぎて、当たっても嬉しくないです」


 勝家が奪還軍の指揮を執っているのは、自分が義息盛政を失ったように、光輝にも信輝を失う悲しみを味あわせてやるという感情的な理由からであった。


 上杉謙信に大敗した雪辱を果たすという理由も非常に大きかったが。


「細川幽斎は止めなかったのか?」


「はあ、かの御仁にも都合がいいものですから」


 細川幽斎の作戦は、相変わらず津田家の経済的な疲弊を狙うというものであった。

 既に破綻している作戦であったが、幽斎は津田家が経済的に無茶をしていると分析している。

 勝家に言わせると座して滅ぶような作戦なのだが、それを指摘する勝家を裏で『猪武者』だとバカにしていた。


 最近では老害扱いされる勝家であったが、伊達に筆頭大老ではない。

 津田軍を戦で倒さないと、何も状況が進まない事は理解していた。


「では、なぜ幽斎が勝家の出陣を認めたのだ?」


「それは、織田家の譜代系家臣達の力を弱めるためです」


 正純は、細川親子が織田幕府内における名家ネットワークの力を強めるために、あえて勝家が敗北する事を見越して兵を出す許可を与えたのではないかと分析していた。


「派閥抗争か……津田家でも気をつけないと駄目だな」


 戦術的には連敗しているはずの織田幕府が、まさか派閥抗争が原因の足の引っ張り合いをしているとは信輝も思わなかった。

 だが裏を返せば、それだけ織田幕府には余裕があるという結論にもなる。


 信輝は、油断は禁物だと気を引き締めた。

 

「西日本を押さえている幕府の力は大きいですからね」


「水軍を失ったんだが……」


「細川親子は、勝家が没落すれば織田幕府軍の指揮系統が一本化して勝てると思っているのでは?」


 老いたと言われ、謙信にも破れた勝家ではあったが、やはり織田家筆頭宿老としての影響力は大きい。

 細川親子が拡大させている名家派閥に対抗している、織田家譜代家臣派閥のトップにいる人物なのだ。


「どのみち、攻めてくれば迎撃するまでだ。正純、直政、嘉明、侵攻予想地点の分析を急げよ」


「「ははっ!」」


 信輝の予想どおり、勝家は池田長吉、長政兄弟も連れ……二人は先日討ち死にした輝政の代理であった。

 他にも、村井貞成、佐久間信栄、林通政、河尻秀長、菅屋角蔵、飯尾尚清、敏成親子、津田信任、明智光慶など、譜代家臣とその子弟達が多く参戦していた。

 そしてその中にあって、特にやる気のない者がいた。

 森長可、成利、長隆、長氏、忠政の森五兄弟で、ここにいない嫡男可隆は、別行動で信重の護衛任務についている。


 長可は信忠には重用されたが、信重はと言われるとそうでもない。

 領地規模はそれなりだが、幽斎と折り合いが悪いのと、若い頃の言動のせいで信重に近づけるのは危険だと、名門連中からも思われていたからだ。

 信重も上品になるように教育を受けてきたので、長可とは気が合わないのは確実であった。


 可隆は父に似て真面目で誠実、苦労人な性格もあって幽斎も嫌っていない。

 成利、長隆、長氏は信忠の代から中央から離れていたし、忠政は初陣なので戦場に出ていた。


「忠政の初陣とはいっても、津田軍に接近すると蜂の巣になるか砲撃でバラバラか。碌な死に方じゃねえな」


「兄上、ならば津田軍と同じ装備を揃えましょう」


「それができたらな。そんな金があったら、織田幕府は津田家を滅ぼそうとは思わないけどな」


 若い頃は無茶に無茶を重ねてきた長可であったが、人並みに初陣の弟が心配らしい。

 冷静に常識的に、弟が無茶をしないように諭していた。


「意外でした。兄上が慎重論を唱えるとは……」


「あのよ、お蘭。お前は、俺を猪武者だと思っていないか?」


「そこまでは思いませんが、兄上は戦場での無謀を戦術的勝利に結びつけられる方です。今回もそれで行くのかなと思いまして」


「いやいやいや、それにも限度があるじゃないか。種子島の弾は俺を避けてくれないからな。あの津田家だぞ。ここは後方で様子見だ」


 長可は、可隆の代わりに森軍を纏めている立場だ。

 無謀な行動で損害を出すわけにはいかない。

 兵士の大半が領民である以上、死なせると税収が減り、将来借金が増えてしまうからだ。


「佐久間とか、河尻とか、菅屋とか、中央で返り咲きたくて気合を入れている連中がいるからな。前衛は勝家のジジイとそういう連中に任せておこうぜ」 


「それが最良ですね」


「無理に貧乏くじを引く事はねえよ」


 森軍の実質参謀役である成利は長可の作戦に賛同し、森軍は損害を抑えるために後方に下がった。


「鬼武蔵の名が泣くわ! もういい! 森家などいなくても勝てる! 後ろで震えておるがいいわ!」


 柴田勝家率いる織田軍の兵数は六万人で、津田光輝軍の五万人を上回っている。

 勝家は森家のサボタージュに激怒したが、彼らがいなくても十分に勝てると踏んでいた。


「ここで津田の小倅の首を獲り、無用な長期戦を指揮している幽斎めに思い知らせてやるのだ!」


 最初は織田家筆頭宿老として幽斎から敬意をもって扱われていた勝家であったが、元々幽斎が単純な勝家を利用していただけという事もあって、すぐにその仲は悪くなっていた。

 幽斎は、勝家がまた負ければその影響力が落ちると考えて出兵を認め、勝家は自分が勝てば織田幕府軍の指揮を執れると気合を入れている。


 つまり、この出兵は双方にとって必然だったというわけだ。


「勝家は、亀山城を狙っているようです」


「近道だからだな」


「相手も大軍ですからね。伊賀の山道は避けたのでしょう」


 ところがそんな勝家の行動は筒抜けであり、津田軍も伊勢志摩の治安維持のために若干の兵を残し、四万七千人で近江との国境地帯に布陣している。

 この地域は、六角氏が北伊勢に介入しようとよく兵を出していた場所であった。


「津田の小倅め! 陣形くらいは組めるようだな」


 普段は領地で統治に腐心しており、なかなか石山に顔を出さない信輝は諸将にあまり知られていない。

 公式には初陣で四国、中国攻めで大功をあげているが、それ以降は武功も少なく、その初陣も勝家などからすれば老臣達が実質指揮を執っただけという認識であった。

 だから、勝家は信輝の軍勢の指揮官が若手ばかりだと聞いて勝利を確信している。


 いくら装備が優秀でも、兵の訓練が行き届いていても、最終的には率いる将の能力で戦の勝敗が決まると思っているからだ。


「訓練と実戦は違うぞ、津田の小倅!」


「訓練どおりに対応せよ」


 体育系の勝家と、文系であまり熱くならない信輝。

 双方が指揮下の軍勢に命令を出す。


 両軍が睨み合いながら徐々に距離を詰めていくが、三百メートルほどの地点で津田軍側が盛大に射撃を開始した。


「バカ者めが! 種子島の射程も知らぬとみえるわ!」


 勝家が津田軍の早すぎる射撃を笑うが、まだ竹束も構えていなかった柴田軍前衛に銃弾が着弾し、一気に数百名が死傷した。

 津田軍は、前装式ながらも、ライフリングが施された椎の実型銃弾と金属薬莢を使用する新型銃の量産と装備に成功していたのだ。


 有効射程距離は、従来の種子島の三倍から六倍にも及ぶ。

 照準用のスコープも装備され、連射により次々と犠牲者が増えていく。


「この距離でも届くだと!」


 続けて数秒でもう一斉射、またほぼ同数の兵が倒れる。


「防げ!」


 歴戦の将である勝家はすぐに防衛を命じるが、今度は後方で砲弾の着弾があった。


「大筒だと!」


 柴田軍は行軍速度を早めるために、石火矢や小型の青銅製大筒以外は持ってきていなかった。

 津田軍も同じだと偵察報告を受けていたのだが、実際には砲撃を受けている。

 しかも、着弾の度に砲弾が炸裂、破片が多くの兵を死傷させた。


「また新兵器か!」


 津田軍は、二馬引きの荷馬車で運搬可能な前装式の四斤山砲を配備しており、それを使用したのだ。

 遠方からの一方的な銃砲撃に、柴田軍はただ無駄に兵力を消耗していく。


「権六殿!」


 副将格である佐久間信栄が勝家に声をかけるが、彼は砲撃のショックで指揮ができなくなり、一人でブツブツと呟き始める。


「このような……だからワシは大殿よりも、信勝様が……」


「何を仰って?」


 実は勝家は、鉄砲の大量使用を始めた信長にも隔意を持っていた。

 戦とは、人同士が死闘を繰り広げるからこそ尊いのだと。

 昔は戦の犠牲も少なかったのに、種子島が大量に使われるようになってから犠牲者が増えた。

 勝家は我慢して新しい戦に対応してきたが、再び新しい戦の方法が始まろうとしている事に気がついた。


 だから、その筋道を最初に作った織田信長という絶対者に対し批判をしたのだ。

 昔に自分が支持をした信長の弟信勝こそが、本当の主君に相応しかったのだと。


「権六殿……」

 

 佐久間信栄は、父を武田家との戦いで失い筆頭宿老の地位から転落した。

 地位や領地を多くの者に抜かれ、今では大した領地も地位も持っていない。

 そんな信栄だからこそ、勝家も気持ちもわからなくはなかった。


 同時に、時計の針が戻るとも思ってはいなかったが。


「権六殿、撤退いたしますか?」


「撤退だと! それはできない!」


 織田家筆頭宿老として、再び惨敗するなど許されない。

 いや、惨敗して信重に報告に戻り、そこで幽斎の人を小バカにしたような顔を見るのが我慢ならなかった。


「ならば、戦うしかありませぬ」


「そうだな、全軍突撃だ!」


 鉄砲と大筒の射程で負ける以上は、接近してそれを使えなくするしかない。

 近づくまでに膨大な犠牲が出るであろうが、要は津田信輝を討てばいいのだと勝家は思ったのだ。

 それが、完全な視野狭窄状態なのだとは気がつかずに……。


「よもや逃げまいな? 信栄」


「わかりました、突撃しましょう」


 佐久間信栄も覚悟を決めた。

 このまま織田幕府内で燻っているよりは、賭けに出た方がいいと。

 味方に対し全軍突撃の命令が出るが、中にはそれに従わない者も出た。


「正気か? 権六殿」


 後方で軍勢を纏めている明智光慶は、勝家からの全軍突撃命令に驚きの声をあげ、思わず傍にいる重臣斎藤利三の方を見てしまう。

 父光秀とは違って戦が苦手な彼は、戦の事になるとこの重臣に助言を求める事が多かった。


「勿論狂気の沙汰ですが、権六殿は総大将であります。命令には従う義務があるかと」


 光慶は、利三が自分を試しているかのような目をしている事に気がついた。

 偉大であった父光秀の代から仕える重臣であり、自分にも忠実に仕えていると思う。

 だが、たまにこうやって自分を試すかのような発言をするのだ。


「命令に従えば蜂の巣でしょうし、命令に逆らえばこれも上様から処罰されるでしょう」


「八方塞がり……ではないな」


 光慶は、ある事実に気がついた。

 果たして、今の幕府に明智家を処罰する力があるのかと。

 父の死後に石見を没収された時には従うしかなかったが、今は津田家への対処で精一杯のはず。

 となれば、残された手は一つだけだと。


「帰るぞ」


「帰るのですか?」


「幕府軍の主力が関ヶ原の津田本軍に対処している今、我らが長門に戻るのを止められる者がいるのか?」


「ここで裏切るという手もありますが」


「それをすると、逃げ道がなくなるではないか」


 まだ織田幕府軍が勝つ可能性もある。

 もしそうなった時に、柴田軍を攻撃していれば言い訳もできない。

 滅ぼされる危険性もあった。


「丹羽家や前田家のように動けばいいのさ」


 あの二家は、幕府からの出兵命令に応じていない。

 最悪減封もあるかもしれないが、討ち死によりは未来に希望が持てるというわけだ。


「改易の可能性もあるが」


「生き残れば、何かしら手もありますれば」


「そうだな。撤退するぞ」


 柴田軍の後方にいた明智軍一万人は、突然領地のある長門を目指して撤退を開始した。

 

「槍林殿もか?」


「槍林様の領地は伊賀ではないですか」


 ここも元は津田家の領地で、領民達は伊賀の発展に貢献した津田家を慕っている。

 ここで下手に兵力を失って敗北すれば、領民達による一揆で殺されかねない。

 槍林こと林通政はそう判断し、兵力を失わない内に撤退を開始したのだ。


「そして、森家は動かずか……」


「ああ見えて、鬼武蔵殿は強かですからな」


 森軍は射撃されないように後方に留まり続け、なぜかそこには一発の銃弾も砲撃も届かなかった。


「利三、森家は津田家と通じているのか?」


「いえ、そこまではしていないと思います。津田軍からすれば、森軍のやる気のなさなど想定の範囲内です。動かないのであれば、無理に攻撃して敵を増やす必要もありません。銃撃を柴田軍に集中した方が効果的でしょうしな。要は効率の問題です」


 先代光秀の信任厚い歴戦の利三は、森軍の考えを呆気なく見抜いた。


「森家と林家が抜けましたか……権六殿はお終いです」


「我らも離脱するぞ」


 明智軍も津田軍との戦いを避け、戦場から離脱してしまった。


「光慶! 通政! 動かない森家の連中も! その裏切りの代償は高くつくぞ!」


 味方の大量離脱に激怒しつつも、勝家は津田軍に対して一丸となって突撃を開始した。

 佐久間軍、河尻軍などの軍勢は死中に活を求めるが如く、ここで勝てば戦功も大きいであろうと勝家に従った。


「ここで全軍突撃はあり得ないよな」


「はい。今日子様なら、頭は大丈夫かと言うでしょうね」


「母上ならな。正純、射撃を集中して動きを止めろ」


「各部隊に命令を出します」


 歴戦の猛将である勝家が指揮する四万人以上の突撃は、信輝達に一瞬恐怖を与える。

 彼らからすれば、絶対に行わないような無謀な突撃であったからだ。


「今は亡き総見院様の時代、この程度の不利な戦などいくらでもあったわ!」


 確かにそれは事実だが、それはあくまでも常識的な敵軍を相手にした時だけだ。

 津田軍に対してただ突撃するなど無謀に近い。

 それでも勝家指揮の織田軍は、総大将の怨念が籠ったかのように、離脱した軍勢以外は一丸となって突撃をやめなかった。


「死兵か! まだ動きが止まらない! とにかく撃ち続けろ!」


 津田軍からまるで夕立のような射撃と砲撃が続き、織田軍は次々と討たれていく。

 一部離脱を開始した兵もいたが、大半は勝家の狂気が乗り移ったかのように前進を止めなかった。

 

「あいつらは狂ってるぞ、間違いなく」


 まさかの織田軍の狂乱に驚きつつも、信輝は冷静に陣形の変化を命じた。

 横一列に陣形を変形させ、十字砲火に巻き込んで数を減らそうとしたのだ。


「殿、まだ止まりません」


「仕方がない。全軍、近接戦闘準備!」


 容赦のない射撃にも関わらず織田軍は突進を止めなかったが、さすがに全軍というわけではなかった。

 既に多くの諸将が冥府に旅立っており、敗走する兵も多かったからだ。


 それでも、柴田軍の一部が津田軍の前衛と激突。

 双方、互角の戦いが続く。


 津田軍の若い諸将達も、チャンスとばかりに思い思いの武器を持って柴田軍に攻撃を開始した。


「勝家の首なら、功績の対象にはなるか」


 津田軍では既に敵将の首を獲る者も少なかったが、勝家の首ともなれば別だ。

 それを狙って、多くの諸将が勢い立った。

 

「兄者、これは誰だ?」


「確か、上坂左文だったと思う。前に写真で見た」


 武藤喜兵衛の息子信之と田村光顕は、勝家の姿を探して奮戦していた。

 途中、彼の家臣である上坂左文を討ったのだが、幸いにして射撃で狙うリストとして出回っていた写真で信之がその顔を覚えていたのだ。


「もっと大物を狙うぞ、光顕」


「わかったよ、兄者」


「一応、札を差しておけ」


 首を獲る間があれば銃を撃て。

 これが津田家の方針であった。

 今は乱戦なので不可能であり、だからというわけでないが一応念のために討った上坂左文の遺体に自分の名前を書いた札を差しておく。

 これが思わぬ戦功として賞される事もあるからだ。


 他の者に札を差し替えられる可能性もあったが、それがバレると津田軍では重罪なので、やる者はほとんどいなかった。


「勝家がいないな、兄者」


「まずいぞ、嘉明あたりに先を越されてしまいそうだぞ」


「直政も油断できないぞ」


「競争相手が多いな……急ごう、兄者」


 信之と光顕の兄弟は、勝家を探して戦場を駆け巡る。

 そして信之の予想どおり、憤怒の表情で攻撃を続ける勝家の前に岸嘉明が立ち塞がった。

 

「津田信輝の家臣か?」


「岸嘉明見参、柴田勝家殿の首をいただく」


「若造が、織田家筆頭大老であるワシの首をほしいだと? 十年早いわ!」


「十年経ったら、勝家殿はもうこの世にいないと思いますが……」


「津田家の連中は、どいつもこいつも碌な奴がおらん!」


 嘉明のみえみえの挑発に勝家は引っかかり、双方共に槍を用いて戦いを始める。

 勝家は七十を過ぎているのに、驚異的な力と体力で最初は嘉明を圧倒した。

 だが、嘉明は勝家の体力の限界を見抜き、その攻撃を受け流して時間を稼ぐ事に傾注する。

 次第に、加齢で持久力が落ちた勝家の力と早さが落ちてきた。


「残念ながら、体力の差で若い私の勝利です」


「ふんっ! 討てるものなら討ってみよ!」


 嘉明は勝家の最後の力を振り絞った攻撃をかわし、彼の体に槍を突き入れた。

 槍は勝家の体に深々と刺さり、大量の出血によって徐々に体に力が入らなくなってくる。

 もはや反撃する事すらできず、勝家は鋭い眼光で嘉明を睨みつけた。

 

「お前のような若造に!」


「これも時代の流れですので」


「時代……そんなものはクソ食らえだ!」


 これが最後の一言となり、勝家は岸嘉明によって首を討たれた。

 他の柴田軍諸将もほとんどが討ち死にしてしまい、突撃に参加した他の大名やその家臣達も多くが討ち死に。


 六万人の内、二万人近くを失う大惨敗となった。

 津田家も最後の近接戦闘で二千人近くを失ってしまうが、十分に大勝利といえよう。

 

 柴田勝家を討ち取るという功績をあげた信輝は、伊勢志摩の掌握に成功した。

 所領である伊賀に逃げ込んだ林通政も光輝に降伏の使者を送り、織田幕府軍は近江において二方面から挟まれる事となる。


 筆頭大老である柴田勝家を失い、伊勢、志摩、伊賀を失った織田幕府軍の士気は更に低下してしまうのであった。

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