正反対×Everyday
未咲しぐれ
第1話 遠くにいる君へ
学校に行くのが楽しいと思ったことはない。いつもその足取りは重く、憂鬱だ。もし生まれ変わるのなら、外を出れば街ゆく人に二度見されるくらいイケメンで、運動神経抜群、頭脳明晰な人気者。そんな“みんなの憧れ”に一度はなってみたいものだ。
僕の名前は
今日もいつも通り下を向きながらとぼとぼと通学路を歩いていた。学校が近づくにつれて、僕の耳に賑やかに笑いながら登校している他の生徒達の声が入ってくる。それにつられて僕はようやく前を向いた。伸びた前髪が目にかかり、視界が悪い。
「ねえさ、昨日の番組見た!? まじヤバくないあれ?」
「見た見た!! もうほんっとにヤバいよね~」
近くのグループのテンション高めな会話が耳に入る。すかさず『いや、お前らやばいしか言ってないじゃんっ!』って頭の中でツッコみを入れた。楽しそうで羨ましい……ってのが僕の本音だ。
校門を抜けると、どこか聞き慣れた女の声が前方から飛び込んできた。
「リミってさ~、いつ見ても可愛いよね~! うらやまだわ~」
「ちょっと、なに~急に」
仲の良さそうな数人の女子達のやり取りを聞いて僕は思わずため息が出る。
(またお前か、
そのめ息には理由があった。前方の女子達はクラスメイトなのだが、その中でも一際大きな存在感を放つ“篠田リミ”こそが、僕の理想とする平穏な日々を壊しかねない悩みの種となっていたからだ。
篠田リミ……。彼女はテレビに映る女優のように美しい容姿を持ち、それでいて運動神経バツグン、成績優秀でありながら不思議と誰からも好かれるという、僕とは超が付くほど正反対の人間だ。彼女が歩けば大地は笑い、彼女の微笑みに草木が歌い出す……というのは言い過ぎかもしれないが、それ程までに完璧な女性だと思う。実際彼女は人気者であり、“クラスのマドンナ”なのだ。
別にそれだけなら多少嫉妬するくらいで済む話なのだが、問題は彼女と僕の席が隣同士になってしまうという悲劇が起きたことだ。事あるごとに彼女に注目が集まるせいで、自ずと僕の方にも他の生徒の視線が向けられてしまうのだ。そのせいで最近じゃ僕はクラスで“ダメ川”なんてあだ名を付けられて馬鹿にされている。それに加えて彼女の充実した会話内容までもが嫌というほど耳に入ってくる。それらはどれも僕にとっては刺激的すぎるのだ。
そんな彼女らの後を歩いていると、僕がいることに気付いたらしい数人がわざわざこっちを向いて悪口を言い放ってきた。
「げっ! ダメ川いるじゃん。みんな早く行こっ?」
「近くにいると“ダメ菌”が移っちゃう」
そして満足したのか、数人がそそくさと駆け足で離れていく。篠田も一瞬こちらを振り向き何かを言いかけたが、結局何も言わずに離れていった。
最近じゃずっとこんな調子だ。それもこれも、全てはあの地獄の席替えから始まったのだ。篠田リミ、お前さえいなければ……。全く、とんだ災難だ。
そして授業中。今日も僕は机に伏せ、寝たふりをして時間が進むのを待っていた。先生も半ば諦めたのか、そのことをすっかり注意しなくなっていた。暇だったので何気なく隣の篠田の方に目を向ける。篠田は真剣な眼差しでノートに何かを書き連ねていた。すると視線を感じたのか急に篠田はペンを止め、チラッとこちらを振り向いた。
(うわっ! やべっ!)
僕は慌てて寝たふりの態勢に戻った。まるで坂道を全力でダッシュしたかのように心臓の鼓動が激しくなる。
(さすがに、バレてないよな……? って何やってるんだ僕は……)
その後はずっと変な緊張感を感じながら、机に伏せてただ時間が経つのを待った。
そしてようやく休憩の時間になった。僕は机から起き上がるのをどこか恥ずかしく思い、寝たふりのまま動けないでいた。こんな些細なことを気にするくらいなら、ずっと部屋に引きこもっていたいとさえ思う。
こうして机に伏せていた僕だったが、ここで信じられないことが起こった。
「ねえ、カエデ君?」
篠田の声だ。同時に背中の辺りをツンツンとされた気がした。
(カエデ? 誰だそいつは)
僕は全く聞く耳を持たなかった。スクールカースト最上位の篠田様が僕に話しかけてくるなんて、天地がひっくり返っても起きるはずがないのだ。
「ちょっと、カエデ君ってば!」
そう言って強めに背中を叩かれて、初めて自分が話しかけられていたことに気付いた。
「は、はいっ!? 僕ですか!?」
驚きのあまり飛び上がった。というか、下の名前で呼ばれた経験があまりにもなかったので、自分が“カエデ”という名前だったことを一瞬忘れていた。
「そうだよ! 無視するなんて酷いなあ。今日は一緒に図書委員の当番でしょ? 忘れないでよね?」
「は、はあ」
僕は分かったような分かってないような、曖昧な返事をした。
(図書委員……? そうだ思い出した。篠田と僕、たまたま一緒の委員になってたんだっけ。わざわざそんなこと覚えてたのか……)
というよりあの篠田と僕が会話をしたこと自体が前代未聞の大事件だ。……今日は夜道に気を付けなくちゃな。
そして放課後。言われた通り僕は図書室にいた。外から部活動をしている生徒達の声が聞こえてくる。僕と篠田は受付でぼ~っと座っていた。そこそこ時間も経っているはずなのに、誰一人として人が来る気配がない。
同じ空間の中に僕と篠田の二人きり……。正直かなり気まずい。教室でも隣同士のはずなのに、周りの雰囲気がいかに大事かが分かる。というかどうせ誰も来ないだろうしもう帰ってしまいたい……。そう思っていた時だった。
「ねえ」
唐突に篠田のはきはきした声が静寂を破った。
「カエデ君ってさ。私のこと嫌いでしょ?」
ドキッっとした。篠田が微笑みながら、茶化すように僕に話しかけてきたのだ。自分でも心拍数が上がっているのを感じる。
「え、いや、別に……」
「えっ!? よかった~勘違いか! 私、なんだかカエデ君に避けられてた気がしてたんだよね~」
それはもともと僕がコミュ障なだけだと思うが……。
「カエデ君はさ、自分のこと何をやってもダメだ~って思ってるかもしれないけどさ。私は応援してるんだよ?」
「……え?」
驚いた。……嫌味だろうか?
「だって、私にとってカエデ君はいちばん綺麗な原石だから。これからどんな宝石にだってなれる可能性を秘めてる。それって素晴らしいことだって思わない?」
「……そうかな」
僕は返答に困った。こんな好意的な言葉をかけられたのは初めてだったからだ。それもよりによって篠田から……。一瞬素直に喜ぶべきか戸惑ったが、じわじわと嬉しさが込み上げてくる。
「だからさ! ふぁいとっ!」
そう言って拳を握ってニコっと輝かしい笑みを見せた。その瞬間、今日が僕にとっての忘れられない日になった。
* * *
それからというもの、篠田は以前に比べて明らかに話しかけてくるようになった。といっても一言二言で終わる程度の会話ではあるが。それでも僕はそのことを、初めは新鮮で嬉しく思っていた。
でも、そんなプラスな感情は徐々に薄れていった。だってよく考えたらおかしいじゃないか。皆の人気者で、何でもできる秀才が、わざわざ屈んで下にいる人に手を差し伸べるわけがない。あるとすればそれは善意ではなく、これ以上ない優越感に浸るためだからだ。もしそうなら僕は最高のカモだ。同じ人間のはずなのに、こんなにも違うから……。
それと、僕みたいな弱者が人気者と接することは許されないようだ。篠田が気付いているかは知らないが、以前より僕への周りからの圧力が増した。見えないところでの嫌がらせも増えていた。僕から話しかけてるわけじゃないのに。
そんな感じで日々僕の胸には黒いモヤモヤが溜まっていった。それでも篠田は何変わりなく接してくる。そのすれ違いが、僕の心を疲弊させたのだ。
そしてそれは起こった。帰り道、篠田が僕のところまで駆けてきて、軽く背中を叩いて話しかけてきた時のことだ。
「やっほ! どしたん、浮かない顔して。あ、さては悩み事とか? まあまあ、このリミちゃんに話してみたまえ」
篠田はいつもの調子で、愉快気に僕に話しかける。
────僕の苦労を知りもしないで……。
この言葉がふっと頭に浮かんだ時、僕の中でずっと溜まっていた黒い感情がまるでたがが外れた獣のように一気に流れ込んできた。
「じゃあ言うけど。篠田はさ」
僕はもう止まれなかった。強い口調で篠田に捲し立てる。
「僕のこと、ほんとは見下してるんでしょ? バカにしてるんでしょ!? 篠田と話しても僕は辛くなるばっかりだ! そのせいで僕は散々大変な目に……」
ここまで言ったところで、僕はふと我に返った。
言ってしまった。言うつもりはなかった。こんな風に言ったら篠田はきっと悲しむだろうって、分かっていたから今まで言わなかった。
僕は篠田に怒りをぶつけた後、すぐに後悔の気持ちが押し寄せてきた。それは心の奥底では篠田を信じようとする気持ちが残っていたからかもしれない。
篠田は驚いたように目を大きくさせて、悲しそうに、そして戸惑いが混じったような表情を浮かべた。
「ち、ちがっ……! 私はカエデ君のことを────」
篠田が何かを言いかけたところで、耐えきれなくなった僕は目に浮かべた涙を悟られないように勢いよく後ろを向いて、全速力で駆けて行った。こんなはずじゃなかったのに。もっと違う形で伝えられたのなら……。押し寄せる感情の波に飲み込まれないように、僕は無我夢中で走るしかなかった。
そして日が変わった。昨日は篠田との会話が頭から離れず、何をやっても上の空という感じだった。今日は特に学校への足取りが重い。
学校へ着いてもやはり篠田との会話はない。お互い昨日のことを引きずっているのだろう。まるで僕と篠田との間に透明な壁があって仕切られているようで、隣にはいるけど、その距離が遠いのだ。もう前のような日常には戻れない、いやむしろ、これで本来の形に戻ったんだろうと、僕はそう思った。
だけど大変なのは篠田との関係性だけじゃなくて、僕には更なる試練が待ち構えていた。休憩時間に入るや否や、クラスのヤンキーかぶれの男女数人が僕の机の周りを囲ったのだ。途端に緊張が走る。僕は完全にビビってしまった。
「なあ黒川さ、ちょっと金貸してくんね?」
リーダー格で一番がたいの良い奴が僕の肩に手を伸ばし話しかけてきた。
「え、なんで?」
「俺達金がねえんだよ。明日、学校に三万持ってこい。チクったら承知しねえぞ」
……これは完全にいじめだ。とうとう嫌がらせの域をはるかに超えてしまったのだ。勇気を出して断らなくちゃ……。我慢すれば、さらにエスカレートしていくだろう。
でも、どうしても声が出ない。“嫌だ”って、たった三文字口に出すだけなのに、どうしても前に行けないのだ。
「んだよ。何か言いてえことでもあんのか?」
そいつはさらに威圧してくる。
……もういいよ。無理だ、降参だ。どうせこいつらに抵抗したところで、僕に残された道はない。そう自暴自棄になって心折れそうになった、その時だった。
「あの……さ。そういうのはやめた方がいいんじゃない?」
篠田だ。篠田が僕を助けようとしている。声は震え、酷く緊張した面持ちだった。精いっぱい勇気を振り絞っての行動だというのが十分に伝わった。
僕を庇えばどういう目で見られるのだろう。少なくとも今周りにいる奴らからは目障りに映るはずだ。篠田には僕と違って築き上げてきた立場もあるし、人望もあった。それらが崩れてしまうリスクを背負ったうえで今僕の前に立っているんだ。
「はあ? なんでリミが入ってくるわけ?」
女の一人が篠田に不満そうに突っかかる。
………僕はどうするべきだ。
昨日篠田に酷いことを言ったはずだ。篠田のことを信じ切れなかったはずだ。
それでも篠田は今も僕のことを信じて、一歩前に立ってくれたのだ。
────僕にはその思いに答える義務がある。そう直感した。
「お前らにあげるお金なんて、一円もないから」
そして僕は言った。言ってやった。初めてだろうか、面と向かって自分の主張を押し通すのは。胸がスッと軽くなるのを感じた。
そいつらは想定外の返答にやや面食らった様子だ。両者の間で少しの沈黙が生まれた後、諦めたのか不愛想に舌打ちをし、腹いせに僕の机を蹴ってどこかへ行ってしまった。
僕は篠田の方を見た。すると篠田も全く同じタイミングでこっちを見たので、何だかおかしくなって二人で笑った。
「私、嫌われちゃったかもね。人気者もさ、辛いんだよ?」
「……うん。あのさ、昨日はあんなこと言ってごめん。僕、頑張るから。頑張って、篠田もみんなも驚くくらい、見返してやるから」
僕は初めて自分のために頑張ろうと思った。
僕は初めて誰かのために頑張ろうと思えた。
いつか大好きなあの人に、恥じない男になるために。
正反対×Everyday 未咲しぐれ @AoiRaiti
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