第9話

 亜鳥は淡々と落ちたアイスの処理をする。


 そんな亜鳥の姿を見て、あの日、自分の知らない事実があったという可能性に背筋が冷える。


「ど、どういうこと夢ちゃん」

「俺も見かけただけなんですけど。あの日下校の鐘が鳴った後、先に帰ったハズの詰草センパイが西階段の踊り場で誰かと話してたんですよお。すごい剣幕だったから喧嘩してるのかなって。さっさとその場から離れたんですけど……その相手がかなりガタイのいい人で、亜鳥センパイっぽかったなあと思ったんです」


 ガタイがいい生徒なんて亜鳥の他にもたくさんいる。夢ちゃんもそれを分かっていて、断定的な言い方をしていない。それなのに。


「亜鳥、なんで黙ってるの」


 この状況で否定をしないのはもはや肯定としか取れない。


 亜鳥はようやく顔を上げて、しばらく逡巡するとまた顔を伏せてしまった。


「まあ……揉めたと言えば揉めた」

「何それ」

「あの日詰草は虫の居所が悪かったらしい。話しかけたら口撃された。それだけだ」


 亜鳥の表情は分かりにくく、しかし確かに曇っていて、触れられたくないとでも言っているようだ。端的なその説明には違和感がある。亜鳥は詰草は穏やかだと言っていたのに。側から喧嘩に見えるほど口撃されて穏やかだなんて評価をするだろうか。


「ふーん。それは大変でしたね。それじゃあ亜鳥センパイって詰草センパイのことどう思ってたんですか?」


 夢ちゃんが身を乗り出して、俯く亜鳥の顔を覗き込む。


「友人だ」

「本当ですかあ? あんなに自己中で、他人を思いやらない人間の、どこがよくて友達に? 俺は信じられませんけどねえ。もしかして友達って言った方が都合がいいことでもあるんですか?」


 夢ちゃんはぶりっ子のような口調で、悪魔のような問いかけをする。亜鳥は夢ちゃんが詰草を嫌っていることを知らないからさぞ驚くだろう。しかし亜鳥の反応は思ったよりも薄かった。


「そうかもしれないな」

「ああ〜もしかして。詰草センパイが死んだのって亜鳥センパイと揉めたからですかあ? だから友達って言って容疑者から外れようとしてるとか」

「夢ちゃん何言ってるの! 冗談でもそんな事言っちゃダメ」

「でも〜」

「そう言うお前は随分と詰草を嫌っているんだな。毎回その調子で来られたら詰草も精神的にキツかっただろうに」

「俺と詰草センパイは互いに嫌い合ってたんで、今更です。ある意味両思いですよ」

「もうやめよう二人とも。あの詰草が誰かと揉めたくらいじゃ死なないって!」


 このままでは埒があかない。私は両腕を思いっきり広げて、睨み合う両隣を突っぱねた。しかし運悪くその勢いで亜鳥のベストにアイスが飛び散ってしまう。


「わ! やだっごめん亜鳥!」

「構わない。洗ってくる」

「私がやる……」

「いいから」


 そう言って私を手で制し、ずんずんと大股で水場に向かってしまった亜鳥。その背から発せられるオーラは暗く、明らかに様子が変だ。


「もう夢ちゃん! 言い方キツいよ」

「ごめんなさーい。詰草センパイが死んだ謎を探ってるって感じですかあ? でも、亜鳥センパイ何か隠してません?」

「そう……だね」


 ただ、これ以上追及しても今日はもう話さない気がする。私はかき込むように残っているアイスを口に詰め、夢ちゃんに向けて両手を合わせた。


「話してくれてありがとっ。また部活で!」

「え〜もう行っちゃうんですか? 俺も付いて行っちゃおうかな」

「別にいいけど……詰草の家行きたい?」

「うげえ。さようなら薊センパイまた明日〜」


 詰草の家というのがよほど効いたらしい。バイバイのハグをして夢ちゃんは去って行ってしまった。


「あいつは帰ったのか」


 ベストを脱いだ亜鳥がベンチに戻って来る。


「うん……ごめんね亜鳥。それ洗濯するよ」

「アイスが跳ねたくらいで大袈裟だな。それより早く詰草の家に行くぞ」


 何事もなかったかのようにベストを脇に抱えてスタスタと歩き始めてしまう亜鳥は、やはりどこか様子がおかしい気がする。それに何故か詰草の家に行くと言って真逆に進もうとしている。


「亜鳥、詰草の家知ってるの?」


 何の気なしに放った疑問に亜鳥がピタリと立ち止まる。


「お前が……知っているものだと……」

「え、知らないのに行くぞ行くぞ言ってたの? もーホント猪突猛進なんだから」

「む」

「そっちじゃないよ。ほらこっち」


 シャツをチョイチョイと引っ張って、亜鳥を正しいルートに導く。そのまま私が先行して、詰草の家に向かうことにした。


 生まれてずっとこの田舎に住んでいる私と違って、亜鳥は地方からスポーツ推薦で入学して来たと聞いている。土地勘がないのは当たり前だ。だとしても、目を離すと別の方向に進んで行ってしまうのは方向音痴と言って過言ではない気がする。


 もう何度目かになる亜鳥の体の方向修正を行うと、軽く咳払いで誤魔化された。もしかしたら方向音痴の自覚があるのかもしれない。


「さっきのあいつは詰草と仲が悪かったんだな」

「夢ちゃん? うん、でもあの二人の場合は詰草が悪いよ。夢ちゃんも時々意地が悪いけど、いつも詰草が夢ちゃんに酷いこと言うから」

「酷いこと?」

「女の格好して気持ち悪いとか恥ずかしいとか。子供の悪口だよ。詰草ってそういうところあったでしょ? 私も何回口論になったか。でもそんな揉め事いつものことだったし、亜鳥もそれが詰草の死の原因とは思わないよね?」

「ああ。いや、そうか……元々、そういう奴だったんだな」


 どこか上の空な亜鳥は納得したように頷いた。


「元々って……もしかして亜鳥、詰草のことあんまり知らないの?」


 そういえば詰草から亜鳥の話を聞いたことがないことを思い出す。詰草の性格や口の悪さは長く付き合えば付き合うほど気になるはずだ。それを知らないで友人だと言うのならごく最近友人関係になったとしか思えない。


「クラスで時々話はしていた。ちゃんと会話するようになったのは夏頃からだ」

「へえ」


 道理で亜鳥の抱く詰草の人物像が私の抱くそれとズレているわけだ。


 詰草は外面が良かった。数ヶ月付き合っただけではその内面まで辿り着けないことは想像がつく。


 亜鳥は取り繕った詰草を見ていたのだ。だったら口撃されてさぞ驚いたに違いない。


「それなのに詰草の敵討ちをしたいくらいに仲良しだったんだ?」

「それは……薊も同じ部活って理由だけで動いているだろう」

「でも私は別に最初から敵討ちだなんて思ってないよ」

「何?」

「私はずっと、詰草が死んだ原因を知りたいだけだよ」


 私たちの間を風が抜ける。こんなに冷たい風が吹いているのに三段アイスなんて食べて、私達は何をしているんだろう。何がしたいんだろう。


「それなら俺も敵討ちとは言っていない」

「あれ、そうだった?」


 亜鳥は詰草を追い詰めた犯人探しと言って、こうして私と動いてはいるが、当初から私と亜鳥の目的は微妙に違っていた。


 亜鳥があまり知らない友人のために部活の時間を削ってまで真実を暴こうとするのは何故なのか。


 暴く必要があるから、こうまで必死になるのではないか?


 亜鳥の隠す何かはまだ見つけられない。しかし、詰草が死ぬ前日に本人と揉めていたことが限りなく怪しい。


 あの詰草が誰かと揉めたくらいで死ぬはずはない。詰草を知っている人なら分かるはずだ。


 でももしもその時、他にも何か重要な出来事が起こっていたら?


 詰草が死んで、亜鳥が必死になるほどの何かがあったならば?


 サスペンスのシナリオとしてはつじつまが合うのではないか。


 現に亜鳥は不器用に何かを隠している。


 私は自分の口が吊り上がりそうになるのを抑えて、斜め後ろを歩く亜鳥に向けて言った。


「亜鳥の目的は犯人に罪を償わせることだっけ。私の目的は原因を知ること。もしも私の目的が達成できて、亜鳥の目的が達成できなかったら。私は亜鳥の目的にまでは付き合わないよ」

「ああ。逆の場合は俺もそうさせてもらう」


 その亜鳥の答えに満足する。私の望むものを亜鳥は持っているかもしれない。そう考えただけで気持ちが軽くなる。


 亜鳥がいれば告発文を書いた時のような罪悪感が薄れていく。


 私の中で亜鳥真尋が容疑者となったことが、勝手に死んでいった詰草への最高の意趣返しになろうとしている。


 ▽


 あしびきの山の陰草むすびおきて恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ(大伴家持/新古今和歌集/1213)


 ▽


「ブレンドをもう一杯」


 穏やかな表情で飲み物を追加注文する詰草彰人はどこか他人事のように過去を語る。亜鳥は何故今更自分達の学生時代を振り返る必要があるのか未だに分からない様子で腕を組んでいた。


「そうそう、『野草結び』はどうだった? 亜鳥はちゃんと読んだのは初めてじゃなかったかな」

「そうだな……離れ離れの恋人が互いを思い合い、草を結んで呪いをかけるシーンが実にお前らしいと思った」

「それは前半の見せ場だからね。後半はどう? ラストは?」

「恋人の元に戻ろうとした男が、恋人の結んだ草に足を取られて崖から転落死する結末も、お前にしか書けないと思った」

「そこまで読んでてなんで分からないかなあ」


 困り果て頭を抱える詰草彰人に、亜鳥はむっと口元を歪める。


 話途中で届いた二杯目のブレンドを混ぜながら、詰草彰人は緩やかに目を閉じて口を開いた。


「残された女は自分の結んだ草が原因で男が死んでしまったなんて、可哀想だよね。でも、もしも、女が男を愛していなかったとしたら? 結婚したくない、相手の人生に関わりたくないと思っていたとしたら? 女にとって男の転落死は吉報だったかもしれないね」

「そんなこと作中にはなかったぞ」

「亜鳥はそれだからねえ」


 詰草彰人は盛大にため息をつく。そして大袈裟に両手を広げて、歌を詠うかのように亜鳥に向けて語り始めた。


「記述がなければその事実は歴史からなかったことになる? そんなことはない。そこには確かに誰も知られない事実が存在する。確かめる術はないけれど、その事実があるかもしれないと考えることが過去を振り返るのに重要だと思うけどね。書かれていることだけが全てだと言うのは想像力がないよ」

「かもしれないをいちいち拾っていたら話が終わらない」

「そうじゃなくて、IFルートを考えなさいってことだよ」

「IF……?」


 亜鳥と詰草彰人はテーブルを挟み、黙って視線を交わす。亜鳥は何かを言いかけて、思い直し口を閉じた。


「詰草彰人は何故死んだのか。あの時のもしもをいっぱい考えてご覧」

「それはもう散々考えた。もしもあの時詰草が死んでいなければ、もしも詰草が……」


「もしも詰草彰人が『野草結び』を書いていなかったとしたら」


 詰草彰人の言葉に二人は言葉を続けなかった。空虚に流れていく時間に店の入口の鈴が鳴り響く。


「あの時、君が辿り着いた答えはそれだったね」

「それでもお前は、その答えを否定するんだな」

「当然だよ。書いた書いてないは重要じゃない。結ばれていた草はそこにはないんだから。詰草彰人は君の考える理由では死なないんだよ」

「お前の口ぶりからすると、詰草は『野草結び』の男のように予期せぬ罠で死んだように聞こえるな」


 亜鳥の言葉に詰草彰人は嬉しそうに笑みを浮かべた。


「読解力に成長が見えるね亜鳥。そのままもう少し、思い出に浸ろうか」

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