第8話
午前の授業が終わると、生徒は速やかに帰宅するようにとの校内放送がホームルームの代わりに入った。
私はそそくさと帰り支度を始める。
今日はどこの部活動もないので、亜鳥と一緒に詰草の家に行くことになった。
アポなしで訪ねることになるが仕方がない。詰草の家の連絡先なんて知らないのだから。
母に聞いたら分かるのかもしれないが、私は今日あくまで詰草の部活仲間として線香を上げに行くつもりであって、詰草の幼馴染を名乗るつもりはない。
詰草の母親に会っても、私は子供の時とは大分雰囲気が違うからきっと気付かれないだろう。そうは思っていても、詰草の家に行くのは身構える。
詰草が遺したものを見る勇気が私にあるか分からない。
華ちゃんにバイバイを言おうとすると、教室の入口に独特な色合いにアレンジされた制服が現れ、周囲がざわつき始める。
「薊センパイ〜! 公園前のアイス食べて帰りませんかあ? 今日は部活ないですし」
「夢ちゃん?」
見るとそこには大きな声を出してこちらにブンブンと手を振る夢ちゃんがいた。隣の席の華ちゃんがそれに気付いて「はいはい」と手を上げる。
「ゆめかわちゃんだ〜。アイス私も行きたい! いいかなアザミン?」
「いいですよねっ。今ダブルを頼むとシングルがおまけでついてくるんですよう!」
「あー、えっと」
夢ちゃんと華ちゃんがアイスの話で盛り上がっている中、私のスマートフォンが鳴り響く。
「ごめん二人とも。今日は先約が……」
「ええ〜!? ヤダヤダヤダ薊センパイがいないとヤダー!」
「ちょっとアイス食べるだけだしいいじゃんー!」
ノリが似ている二人に両腕をがっちりとホールドされ、ズルズルと引きずられてしまう。その間もスマートフォンは鳴り止まない。
「あーもう、今日は本当にダメなんだって。また今度」
「もしかしてその先約ってまた亜鳥くんなんじゃないのー? 最近お昼も放課後も一緒にいるし」
「えっ」
「亜鳥? 誰それ男?」
着信音がプツリと途切れた。興味津々といった目をする華ちゃんと、突如真顔になってしまった夢ちゃんに覗き込まれ思わず縮こまる。
「えーっと」と口ごもっている間も二人の視線が痛すぎる。これはもう何か言わなければ解放してもらえそうもない。
諦めて正直に話そうとした時、噂をすれば影とでもいうように教室の入り口から亜鳥が顔を出した。
「薊?」
手にスマートフォンを持った亜鳥が私を呼べば、もう答えは丸分かりだ。
華ちゃんはキャーキャー騒ぎ出すし、それにつられてクラスのみんなからは好奇の目で見られるし、何より夢ちゃんに抱きつかれた腕がさらに締め付けられて変な方向に持ち上げられているのが辛い。
「ラグビー部の亜鳥センパイじゃないですかあ。薊センパイに何か用ですか?」
いつもの口調なのに今の夢ちゃんの問いかけにはどことなく圧を感じる。亜鳥は一瞬きょとんとしたように見えたがすぐにいつもの仏頂面に戻った。
「これから薊と出かける約束をしているんだが……取り込み中か」
「ち、ちょっと亜鳥」
「きゃー! それってデートじゃん!」
「あああ違うの華ちゃん静かにして」
これ以上目立つ前に亜鳥と退散しようとするが、夢ちゃんの強い力に引き戻される。
「ゆ、夢ちゃん?」
「ラグビー部は今花園に向けて大変な時期だってうちのクラスのラグビー部員が言ってましたけど。亜鳥センパイは暇そうですねえ」
「えっ」
夢ちゃんの挑発的な態度にも驚いたが、ラグビー部が花園、つまり全国大会まで勝ち進んでいることを失念していた。毎年冬になると全校あげて応援をするが、去年私は何らかの事情をつけて行かなかったので頭からすっぽりと抜け落ちていたのだ。
ラグビー部いちの点取り屋、絶対的なエースの亜鳥は凄まじく忙しいはずではないか。
「そうだったんだ。じゃあやっぱり私一人で行ってくるよ」
「いや、何度も言うが自分で確かめたい」
おずおずと提案するもばっさりと断られる。隣の夢ちゃんはまだ腕を離してくれなくて、華ちゃんは口に手をやり成り行きを見守っている。
「そういうわけで薊を借りるぞ」
「え〜。それってウチのセンパイじゃないといけないんですかあ? 亜鳥センパイなら他にもお友達いますよねえ」
「おい今なんて言った」
亜鳥の強い返しに、場にヒヤリとした空気が流れる。そしてついには亜鳥が夢ちゃんの両肩をガシリと掴んでしまった。止める間もなく亜鳥は険しい表情を夢ちゃんに向けて言う。
「ウチのセンパイと言ったな。お前、文芸部か」
「そうですけどお……」
「なら聞きたいことがある。一緒に来い」
「あっ。ちょっと!」
亜鳥は私の腕にしがみついたままの夢ちゃんを無理やり引っ張る。当然私もそれに引きずられる。こんなの不可抗力だ。そのまま何故か楽しそうな華ちゃんに見送られて三人揃って教室を出た。
▽
亜鳥が夢ちゃんと私を連れ出したのは学校近くの自然公園で、丁度夢ちゃんが行きたがっていたアイス屋の目の前だった。自然な流れでアイス屋の行列に加わった私達を見て亜鳥は何か文句を言いたそうにしていたけれど、意外にも私達の後ろに並んで、結局三人とも三段アイスを購入した。
私はバニラ、チョコ、ストロベリーの定番三色。夢ちゃんはマーブル、パッション、オレンジライムの色鮮やかなチョイス。
そして亜鳥は三段アイスに挑戦するのが初めてらしく、飾ってある見本と同じ味を頼んでいた。
気持ちのいい秋晴れの下、公園で友人とアイスを食べる。こう言うと絵に描いたような青春の一ページのよう。風が吹くと体がちょっとだけ冷える季節だけれど、長袖の制服の上からカーディガンを羽織ればちょうどいい。
紺色に水色のラインが入ったセーラー服は地元でも地味可愛いと言われていて、人によってはスカート丈をいじったりスカーフを外してリボンを付けたりとおしゃれを楽しんでいる。
私は面倒なのでベーシックな制服にベージュのカーディガンを適当に合わせるだけ。だから私だけなら何も目立つことはないし、ベンチに座ってアイスを食べているだけで通行人に二度見されることなんてないはずなのだ。
やたら肩幅の広い筋肉質な男子とやたらキラキラしたものを身につけているゆめかわ男子に挟まれてさえいなければ。
こんなに味の分からないアイスを食べるのは初めてだ。正しくは味を気にしていられないほど、私の両脇に座る二人の空気が重い。
亜鳥がムッとしているのはいつものことなのだが、夢ちゃんがここまで黙っているのは珍しい。仕方がないから私が口火を切る。
「ねえ夢ちゃんも知ってた? 文芸部のSNSで詰草の悪口が書かれてたの」
「え〜よりによって聞きたいことってそれですか? そりゃあ知ってますけど……あれって詰草センパイが自分やってたんじゃなかったんですかね?」
「やっぱり知ってたんだね……」
マーブルのアイスを口に運びながら夢ちゃんは言う。
「そもそもあのSNSってあんま機能してなかったというか。作品アップしてるのも詰草センパイだけだったし」
「そうだったんだ」
「でもあの最新作、『
「もう一つの方?」
三段アイスに苦戦しながらも亜鳥が反応した。夢ちゃんは渋々といったように続ける。
「あの人確かもう一つ、いつもどおりの海外文学チックな作品をコンクールに出してたはずですよ。そっちはSNSにアップして感想募ってましたもん。結局大賞受賞したのは『野草結び』でしたけど。部長は最後のコンクールだって気合い入ってたのに詰草センパイより下の佳作だったからもー荒れて荒れて大変でした」
「つまり詰草はコンクールで一つ落選したってことか?」
「そうなりますねえ」
同じコンクールに複数作品を出すのは珍しくない。一人一作までと決められていない限りはルール上何作でも出していいことになっている。亜鳥にそう教えると顎に手を当てて考え込んでしまった。
「受賞した『野草結び』はどんな話だった?」
私は思わずアイスのスプーンで亜鳥を指す。
「亜鳥読んだって言ってたよね」
「あれは……すまん。嘘だった」
「だよね、分かってた。そう言えばどうせ私が喋ると思ったんでしょ。まあ私はSNSやってないから内容は知らないけど……」
私はそう言ってから夢ちゃんをちらりと見る。夢ちゃんは私の視線を受けてうーんと唸ってから、空を見上げて思い出すように説明する。
「どんなって言われても……離れ離れになった男女の恋愛物語ですよお。最後は死に別れちゃって……詰草センパイにしては繊細な題材だったんでよく覚えてます。別の作風に挑戦したのかなってレベルでいつもと雰囲気違いましたし」
男女の恋の話。詰草らしくない繊細な。
アイスを一口掬って、少し躊躇ってから口に放り込む。口の中でバニラが蕩けた。亜鳥も夢ちゃんもアイスが全然減っていない。
手をつけられずに溶けてしまうのはもったいない。せめて私だけでもと飲み込むように口に運ぶ。
学校の方角から、昼終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「俺からも亜鳥センパイにひとつ聞いてもいいですか?」
スプーンを口元に当てた夢ちゃんが亜鳥を見る。
「なんだ?」
「詰草センパイが死んだ前の日、誰かと揉めているのを見かけたんですけど。あれって亜鳥センパイじゃないですか?」
「え……?」
詰草が死んだ前日に誰かと揉めていた?
その相手が?
錆び付いたように固まる首を無理やり回す。亜鳥の持っていたアイスがボトンと一段、地面に落ちるのが見えた。
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