第7話


 ▽


「遅いですよう薊センパイ。部長と二人きりにしないでください」


 憂鬱な気持ちで部室の扉を開けると、すぐにピンク色のパーカーを着た後輩が駆け寄ってきた。


 文芸部のムードメーカー、『ゆめかわいい』ものが大好きな緒車おぐるまゆめちゃんだ。長いまつ毛をラメでキラキラさせて、オシャレに巻いたボブヘアーにはキャラクターもののヘアピンを何個もつけている。


 そんないつもどおりの後輩の様子に、少しだけほっとした。


「そりゃどういう意味だ緒車ァ」

「だーって部長怖いんですもん! 特に顔!」

「もっぺん言ってみろ!」

「ほらー!」


 狭い室内で追いかけっこを始める常盤先輩と夢ちゃんの間に挟まれてしまう。このやりとりはいつも長くなるので困ってしまう。


「夢ちゃん。遅くなってごめん。怖かったね」

「えーん薊センパイ〜」


 夢ちゃんは猫耳のついたフードをかぶり、甘えるように私の背中にくっついてきた。常盤先輩は筆が進まないのか額に青筋を立てて万年筆を握りしめている。


「お前はうるさくて気が散るんだよ! 図書室行け図書室!」

「ひどーい! ここ部長だけの部屋じゃないですよう」


 部長の凄みに負けずぶーぶー文句を言う夢ちゃんはラノベが大好きで、自分でもラノベを書きたいと思って文芸部に入ったと聞いた。


「ラノベなんておしること同じだ! BY太宰治!」なんて言っている常盤先輩とは根本的にそりが合わないのだと思う。


「じゃあ夢ちゃん、私と一緒に図書室行こうか」

「薊センパイと一緒なら行きます〜」

「ったく調子のいいやつだな。おい薊、お前もちゃんと部誌用の作品書いとけよ」

「はーい」


 夢ちゃんに纏わり付かれながら部室を出る。文芸部の活動場所は部室か図書室と決まっていて、どちらに居てもいいことになっている。常盤先輩はもちろん詰草も部室を占領しがちだったので、私は図書室で本を読んだり短歌を作ることが多い。そんな時に居場所を追われた野良猫のような夢ちゃんが隣に来ることは珍しくない。


「薊センパイだけですよ。怖くないセンパイ。部長はアレだし、生徒会長もアレだし。対して薊センパイは優しくてラノベを馬鹿にしないから大好きですよ〜」

「うちの部ただでさえ人数少ないのに変な人の割合が高いよね」


 大股で前を歩く夢ちゃんがぴたりと止まって振り向いた。腰に付いているパステルカラーの一角獣のチャームがチャリンと音を立てる。


「ねーセンパイ。人数といえば、来年文芸部どうなるんです?」

「え……と、それは一人減ったからってこと?」

「そうですよう! 部員は五人いないと部活として認められないんですよね。薊センパイが文芸部に来たみたいに、またどこかと合体するんですか?」


 確かに詰草がいなくなった今、もうすぐ卒業の部長副部長、そして私と夢ちゃんの四人になってしまった。


 幽霊部員のような三年生たちもいたが、受験を理由にとっくに引退している。


「学校側もまだ落ち着いてないし、とりあえず急に廃部になったりはしないんじゃないかな」

「だといいんですけど。だって文芸部がないと薊センパイとの関わりがなくなっちゃうし」


 私の歩幅に合わせて夢ちゃんは不安げに私の顔を覗き込んできた。その仕草が可愛らしくてたまらず頭を撫でると、夢ちゃんは笑顔に戻る。


「私も夢ちゃんがいないとやだな。夢ちゃんがいつもどおりでいてくれると安心するの。最近気持ちが暗くなることが多くて」

「それって詰草センパイが死んだからですか?」


 単刀直入にそう言われてドキッとした。言葉が出ずに「え」とか「あ」を繰り返した後、ゆっくりと頷く。


 夢ちゃんのキラキラした目が黙ったままの私を見つめている。


 夢ちゃんは可愛くて明るくて、ラノベが好きで文芸部が好きな後輩。


 だけど。


「あんな人いなくてもよくないですか?」


 詰草のことを酷く嫌っている人物でもあった。


「夢ちゃん。いくらなんでも亡くなった人のことをそんなふうに言っちゃダメ」

「でもあの人が死んだからって〜。薊センパイが落ち込んでるのは嫌です」

「んー、うん。だからこそ、夢ちゃんといると明るい気分になれるよって話」

「そうですか? じゃあセンパイが明るくなれるようにいつも一緒にいますねっ」


 そう言う意味ではなかったのに勢いに押されてしまう。夢ちゃんは自分を持っているし、自分を押し通す力を持っている。


 私はそんな夢ちゃんに気に入られているようで、ペースを乱されっぱなしだ。こんな風にべったりとくっつかれてしまうとめちゃくちゃ苦しい。


「あいつ一年の『ゆめかわ』ちゃんじゃね」


 背後から聞こえてきた囁きに、くっついていた夢ちゃんの体が一瞬強張るのが分かった。振り向こうとすると夢ちゃんの体がやんわりとそれを止める。


 背後の男子たちは私達に聞こえていると分かっているのかいないのか、悪意のある囁きを続けている。


「目立つんだよなーあいつ。制服もメイクも校則違反だっつーの」

「ホント恥ずいし痛いよなー」

「よくやるよ――男のくせに」


 男のくせに。何回も言われて来たであろうその言葉は夢ちゃんが夢ちゃんでいる限りずっと夢ちゃんを苦しめる。


 夢ちゃんは『ゆめかわいい』ものが好きで、可愛くて明るくて、ラノベが大好きな、男の子。


 夢ちゃんは何も悪くない。いや、校則違反は確かに悪いことだからこれから指導するとして。でも問題はそこじゃない。


「うちの部員の何が悪いの」

「あっセンパイ……」


 夢ちゃんを引き剥がし、男子たちの前に進み出る。


「男の子だからなんなの。あんた達の百倍かわいいんだから別にいいでしょ! 馬鹿にしないで!」


 怒りに任せて啖呵を切る。更には思い切り睨みつける。こんなに頭にきたのは久しぶりだ。


「うわっなんだよ」「もう行こうぜ」と男子達はあっという間にいなくなった。


「あんなの気にしなくていいから」

「センパイ……」


 困惑と悲しみが入り混じった表情を浮かべる夢ちゃんの手を引く。


「薊センパイ、ありがとう。薊センパイのそういうところが大好きだよ」

「夢ちゃん」


 大人しく手を引かれる夢ちゃんはどこか遠くを見ながらぽつりぽつりと語り始めた。


「文芸部は好きだよ。部長は怒りっぽいけど男のくせになんて言わないし、生徒会長は冷たいけどメイクに目をつぶってくれる。緒車夢という人間を、否定しないでくれるんだ。でも、でも! 詰草センパイだけは違った。詰草センパイはいつもいつも……!」

「夢ちゃん、分かってるよ。夢ちゃん」


 肩を震わせる夢ちゃんを見て、前に心から怒った時のことを思い出す。


 それは私が俳句・短歌同好会から移動して来た初日で、夢ちゃんが初めて文芸部の部室に現れた日。


 私の隣で恥ずかしそうにする夢ちゃんに向けて


『なんだお前、気持ち悪い』


 そう言って、詰草は夢ちゃんのことを笑ったのだ。


 当然私は詰草を殴り飛ばして、夢ちゃんと一緒に帰った。夢ちゃんの手を引いて、帰り道にアイスを食べた。夢ちゃんは虹色のアイスを頼んで、私はバニラを頼んだ。


 夢ちゃんは泣いていた。だから私より頭一つ半高いところにある夢ちゃんの頭をいっぱい撫でた。夢ちゃんは悪くないよと伝わるように。


 次の日夢ちゃんは部活に来なかったけれど、その次の日には何事もなかったかのように入部届けを持って来たものだから、常盤先輩とともにあんぐりと口を開けたのを覚えている。


「薊センパイがいるから文芸部がなくなるのはいやだよ。でも俺は詰草センパイのことが嫌いだったから死んでも別に前と変わらない。むしろ清々してる。俺、嫌な奴だけどこの感情間違ってる? ねえセンパイ」


 夢ちゃんのその問いかけに、私は答えられなかった。


 亜鳥、知らないでしょう。詰草はそういう人だったよ。


 亜鳥の前では穏やかな小説好きだったのかもしれないけれど、こうして人の心を傷つけもしたよ。


 良くも悪くも、人間らしかったよ。


 ――君の見る 人の形に 我惑い 身捨てし彼に あとり鳴くまで。


 心の中で一首詠んで後悔した。部誌に載せるには重すぎる。


 夢ちゃんの感情を否定したら、私には何も残らない。


 ▽


「今日偶然彰人くんのお母さんに会ったわよ」


 母はリビングのテレビで流れるお気に入りのドラマから目を離さずに言った。


 私は「ふーん」とだけ返し、読書を続ける。


「女手ひとつで育てた一人息子にあんなことがあってお辛かったでしょうね」

「詰草のお母さんと何か話したの?」

「昔話よ。彰人くんの子供の頃の話とかね。あんたにも会いたがってたし、お線香あげに来てほしいって言ってたわよ」

「そう……」


 詰草の母親なんて顔も思い出せないし、向こうだって私のことを見かけても分からないだろうに、よく知っているように言われると不気味だ。詰草の母親も私と詰草の仲が良かったと思っているのかもしれない。


「そういえば詰草さん、あんたに渡したいものがあるって言ってたわ」

「私に?」

「ええ、なんでも量が多いものらしくて。今度送ってくれるって言ってたけど、お線香のついでに取りに行ったほうがいいんじゃない」

「えー……」


 嫌だという気持ちを表情に込める。子供ながらに詰草の母親は苦手だった。


 詰草がいつも同じ服を着ているのに、彼女の方は見かけるたびにいつも違うゴージャスな格好をしていたからだ。


「詰草のお母さんってどんな人?」

「噂では偉い政治家との間に彰人くんを授かって、未婚で産んだって聞いてるけど」

「それって愛人ってこと?」

「噂だけどね。きっと養育費たっぷりもらってたんでしょう」


 子供の頃詰草はなかなか家に帰りたがらなかった。もしかしたらずっと居場所がなかったのかもしれない。机に齧り付くように小説を書いていたのは、詰草にはそれしかなかったから。そう思うとどんどん気分が悪くなってきて、私は逃げるようにリビングを出た。


 自室で充電していたスマートフォンに着信があることに気付き、のそのそと相手を確認する。


 画面に表れたのは亜鳥の二文字。電話が来るのは初めてで、なんだか嫌な予感がする。恐る恐るかけ直すと、ワンコールで繋がった。


「はい亜鳥」

「あ、薊です。何か用?」

「明日、詰草の家に行こう」


 当たって欲しくない時ほど予感は当たる。


 明日は学校で行われる資格試験の会場準備のため、授業が午前で終わる。


 いつもより長い放課後、亜鳥と詰草の家へ?


「行ったら何か分かるの?」

「あいつが死ぬ前に何か残しているかもしれない」

「でも警察は遺書はなかったって……」

「遺書は、だろう」


 詰草の死の真相を暴くために、亜鳥はなんでもやるつもりだ。私もそれを望んでいた。だから手を組んだというのに。


 亜鳥に踏み込まれることを恐れている。

 詰草の母親に会ったら私はどうすればいい?

 亜鳥の前で、どんな態度を取るのが正しい?

 亜鳥は私と詰草が幼馴染であることを知らないのに。


「分かった」


 頭の中で警鐘が鳴るのに、自然と亜鳥に追従しようとする。真実にたどり着けるのなら、私は喜んで亜鳥に従おう。


 それが詰草を友愛する亜鳥の望むものではないとしても。


 ▽


「文芸部のメンバーはとにかく個性豊かでね。今も相変わらず活躍しているそうだよ。常盤先輩は外国で日本語の教師をしながら小説家を目指してるらしいし、笹隈先輩は事件や事故のルポライターをしているって。そして何と言っても出世頭のスーパーモデル緒車夢には恐れ入ったよ」


 詰草彰人が口にする文芸部員の名前と顔を、亜鳥はパズルを組み立てるように繋げていく。


「意外だな」

「亜鳥ほど意外性がない人もいるっていうのにね」

「お前が一番意外だった」


 間髪いれずに亜鳥は詰草彰人から目を離さずに言う。


「詰草彰人が小説を書くのがおかしいかな」

「詰草彰人はもう死んだ」

「酷い酷い、詰草彰人は死んでいない」


 カチャリとソーサーにカップが置かれる。


「詰草彰人はここにいる」


 亜鳥の固い表情から目をそらさずに、作家詰草彰人は自身の書籍に印字されたその名前を指でなぞった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る