第6話

 亜鳥が詰草と友人だということを知ったのはつい最近だ。他に詰草彰人が生前仲が良かった人といえば、私には一人しか思い付かない。


 詰草の――正確には詰草の海外文学への入れ込みように唯一理解者を示していた文学部のメンバー。


 文芸部副部長であり、本学の生徒会長でもある笹隈ささくま美子よしこ先輩だ。


 生徒会の仕事が忙しくてなかなか部活に来れないが、来たら来たで部のためにキビキビと働いている仕事人間。


 艶のある黒髪にフレームレスのメガネがよく似合う、まさに才色兼備を体現した彼女を知らない生徒はいないだろう。


 放課後、その人に会うために、私と亜鳥は生徒会室の前までやってきた。


「悪いが今日も三十分したら部活に行くぞ」

「私が聞いてくるから亜鳥はもう部活行けば?」

「いや、自分の耳で聞かないと気が済まない」

「はいはいそうですか」


 笹隈先輩に聞くべきことはひとつ、本当に詰草が文芸部のSNSグループの管理者だったのか。


 もしもその答えがイエスならば、SNSの誹謗中傷は詰草の自作自演、そうでなくとも詰草が自分の意思で十三番目の鴉を放置していたことになる。


 メールで尋ねてもよかったが、亜鳥の性格を考えると直接会って話をした方がいいと判断した。


「亜鳥から見たら私もまだ容疑者だからねー。私から又聞きした情報なんて信じられなくて当然。まあそこんとこは仕方がないって分かってるから」


 詰草が死んだ理由がSNSのいじめでないのなら、私の書いた告発文はもはや意味を成さない。


 では他の何事ならば詰草が死ぬに値する?


 思考する私の隣で亜鳥はどこかぼんやりとしながら、自分の首の後ろに手をやっている。


「今はもう文芸部だけでなく全てが等しく疑わしい。SNSの中傷が詰草の自演なら、詰草が死んだ原因がなにも分からなくなる」

「そうだね」

「だから薊、俺のことも疑ってくれ」

「え?」


 思いもしなかった頼みに耳を疑う。亜鳥は視線を彷徨わせながら続けた。


「詰草とは仲良くやっていたつもりだった。でももしかしたら知らないうちに詰草になにかしてしまったかもしれない。なにも分からない以上、俺だって白とは限らない」


 ぼんやりとしているんじゃない、亜鳥は恐らく戸惑っている。私の告発文という前提が覆って、なんの手がかりもなくなることを恐れて。生徒会室になかなか入ろうとしないのはきっとそのせいだ。


「でもそんなこと言い出したらキリがなくない? 亜鳥には心当たりないんでしょ。きっとみんなそうだよ。疑い合う前にまずは最近の詰草の様子を探ってみようよ。きっと手がかりがあるって」

「そう、だな……」


 その広い背中をポンと叩くと、亜鳥は不器用に笑った。初めて見る表情に思わず目を丸くする。


「亜鳥はもっと笑うといいよ」

「なんだ急に」

「別に。ほら行こう」


 バンバンと適当にノックをして、返事を待たずにスパンと戸をスライドさせる。


「失礼しまーす。あ……」


 途端、部屋の中から複数の視線が突き刺さった。どうやら生徒会の皆さんは話し合いをしていたようだ。コの字に並べられた机の最奥で笹隈先輩が美しく片眉を上げるのを見て、私は慌てて「出直します」と言おうとした。


「笹隈美子はいるか」


 空気を読まない亜鳥の台詞に邪魔されなければ。


 普段から先輩に対してそうなのか、あるいは文芸部のメンバーだからか、敬う素振りの全くない亜鳥の呼び出しに笹隈先輩が苛つくのが見て取れた。


「会議中の札が見えなかったかしら?」

「重要な話がある。今すぐ来てくれ」

「ちょっと薊、なにこの子」


 亜鳥の態度が変わらないのを見て、笹隈先輩は横で小さくなる私に不機嫌な顔を向ける。


「すみません本当に……亜鳥、出直そう」

「時間がない。詰草彰人の件で話がある」


 その名を聞くと先輩はピクリと肩を震わせた。そしてしばらく考えてから席を立つ。


「会議は中断します」


 騒つく生徒会のメンバーを無視して、彼女は私達の目の前に来て部屋を出るように目で促した。


「で、詰草くんがどうかしたの」


 人通りの少ない西階段の踊り場に私達を誘導して、笹隈先輩はそう切り出した。亜鳥を見ると何故かへの字に口を歪めている。さっきから笹隈先輩が亜鳥を睨みつけているからだ。常盤先輩にもそうだったように、先輩に対する口の利き方がなっていない亜鳥も悪い。けれど話が進まないのは困るので私が返答する。


「部長が言ってたんですけど、文芸部のSNSグループって詰草が管理していたんですか?」

「そうよ。薊はグループに入っていないんだっけ。それがどうかした?」


 あっさりと求めていた解答が得られ、私と亜鳥は顔を見合わせる。


「まさかそれだけ聞くために会議を中断させたの? 冗談でしょ」

「SNSで詰草の作品に悪口を書いていたのは誰だ」


 眉間の皺を深める先輩に亜鳥が即座に問う。先輩は亜鳥の頭からつま先まで二、三度目でなぞってから口を開いた。


「ラグビー部のレギュラーの子がなんでそんなこと気にするのかしら」

「詰草は友人だ」


「友人?」先輩は怪訝そうに首を傾げる。


「詰草くんにあなたみたいな友人がいたの。知らなかったわ。詰草くんって自分のこと話さなかったから。浮世離れしてるというか、他人と一線引いてるというか。ああ、もしかしてSNSの悪口が原因で詰草くんが亡くなったと思っているなら見当違いね。だってあれは――」

「詰草の自演だから?」


 うっかり先輩の後を引き継ぐと、二人の剣呑な目が私に向く。


「薊も気が付いていたの。そう、あれは詰草くんが自分で書いたのよ」

「どうしてそう言い切れる?」

「だって彼、いつも部室のパソコン使った後ログアウトしないんだもの。彼が十三番目の鴉って名前のアカウントでログインしてそのままにしてるところを何度も見たし。部員みんな知ってるわ。知ってて好きにさせていたのよ。誰も詰草くんと揉めたくなかったから」


 それは決定的な証言だった。詰草が十三番目の鴉としてログインしているところを見たと先輩は言ったのだ。


 やはりSNSの誹謗中傷は詰草の自作自演。

 私以外の部員は知っていて放置していたのだ。


 詰草と揉めたくないという気持ちは、あの激情を知っている私にはよく理解できる。


 押し黙る亜鳥に先輩はひとつため息をつき、「戻るわ」と背を向けた。


「裏を取りたいなら本人の携帯かパソコンがあればすぐに分かるんじゃない。部室のパソコンでログアウトしない人が自分のパソコンの履歴を消してるとは思えないしね。じゃね、薊」

「あ、ありがとうございました。あっ先輩、もうひとつだけ……詰草、最近様子がおかしかったりしませんでしたか?」


 そう言う私を先輩はまじまじと見て、「さあ」と呟く。


「薊の方が詳しいんじゃない。仲良かったでしょう」

「全然仲良くないです」

「そう? でも悪いけど知らないわ。最近話してなかったから。――私、春先に詰草くんに振られてるの。『野草やそう結び』を書き終わった頃かしらね」

「えっ」


 信じがたい告白にがばりと顔を上げる。先輩はうまく笑えないような顔をして、それ以上何も言わずに生徒会室に戻って行った。


 笹隈先輩は詰草のことが好きだった。

 詰草は笹隈先輩を振っていた。


 文芸部内でそんなことが起こっていたなんて知らなかった。私は知らないことが多すぎる。もしかして私が知らない文芸部の秘密がまだあるのかもしれない。


 それも気になるがそれ以上に私は俯いたまま顔を上げない亜鳥が気になって、すぐ隣の筋肉質な腕をつついて恐る恐る声をかける。


「やっぱり詰草の自作自演だったみたいだね。それにしてもびっくりしたよ。笹隈先輩が詰草のこと好きだったなんて。しかもなんか変なこと言ってたし。浮世離れとか。詰草自己主張激しいのに」

「くそっ!」

「わあ!?」


 突然響いた亜鳥の大声に肩が跳ねる。亜鳥は顔を伏せ自分の膝に拳を落とし、盛大に悔しがっているのが見て取れた。


「だったら何故詰草は死んだんだ……!」

「ね、ねえ亜鳥。時間……」

「分かってる!また明日!」


 軽やかに階段を下っていく亜鳥の背を呆然と見送る。その途中で、ふと思い出したように亜鳥が私を見た。


「俺の知っている詰草は至極穏やかで、小説の話をすると楽しそうで……そしてよくお前の話をしていた」


 一瞬虚をつかれるも思い出す。お互いの知っている詰草について話し合うと、そう約束を押し付けたのは私だった。


「あ、ああ。覚えてたんだその約束」

「じゃあ」


 今度こそ見えなくなった亜鳥に、私は違和感を覚えていた。


 詰草の友人だから、詰草を死に追いやったものが許せない。


 本当にそれだけだろうか。


 亜鳥をあれほどまでに突き動かしているのは本当に正義感なのだろうか。


 私は亜鳥とは正反対だと思っていた。


 しかし、もしかしたら私と亜鳥はとても似ているのかもしれない。


「何故そんなに焦っているの?」


 誰もいない階段には私の声だけが響く。

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