第3話


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 妹が門 行き過ぎかねて 草結ぶ 風吹き解くな またかへり見む (作者不詳/万葉集第12巻/3056)


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「言っておくがお前も容疑者だからな」


 初めて会話を交わしてから一日経ち、私と亜鳥は文芸部の部室で重苦しいランチタイムを過ごしている。


 亜鳥の人を殺めんばかりの研ぎ澄まされた視線に、思わずおむすびを口に運ぶ手を止めた。


「いちいち顔が怖いんだよなあ」

「笑っていられると思うか」


 詰草が飛び降りた原因を一緒に探すという目的のもと、手を取り合って解散したと思っていたのは私だけだったらしい。私への疑いは晴れぬまま。話に乗ってくると思っていたので虚をつかれてしまう。


 カツサンドをリスのように頬張る亜鳥を横目に、部室にひとつ置いてあるデスクトップパソコンに体を寄せる。


 亜鳥の言うことはもっともだ。詰草が文芸部にいじめられていたことを告発したところで私が文芸部である事実は消せない。私はあくまで加害者側なのだと、暗に亜鳥は言っているのだ。


「告発したって見て見ぬ振りをしていたなら――」

「ああはいはい、そんなににらまないで。そのSNSを放っておいたんだから同罪だって言いたいんでしょ」


 照明を落としているせいで昼間でも仄暗く光るディスプレイを覗き込み、私はあるページを開く。


「ほら、これ」

「例のSNSか。今までのやりとりが見たい」


 ぱっとパソコンに食らいつく亜鳥に私は首を振った。


「それが出来ないの」

「なに?」

「私、このSNSグループのメンバーじゃないから。このSNSは招待制で、グループのマスターアカウントからの招待がないと入れないんだ」

「お前、文芸部なのにどうして文芸部のグループに入れないんだ?」


 私じゃなかったら傷ついているであろうその直球な問いに思わず苦笑する。


「実は私、元々はこの学校の俳句・短歌同好会のメンバーだったの。人数の関係で今年から文芸部に吸収されちゃってさ。だから文芸部だけどみんなの作品に意見言ったりしたことない。作品を評価しなくちゃいけないならSNSもやるつもりないって言ったの」

「ああ……確か部誌に短歌も載っていたな。お前のだったのか」

「お前じゃなくてあ、ざ、み」


 正直なところ文芸部では異質な存在だと自分でも思う。短歌が部誌用の作品として認められているのは私だけだし、みんなの作品を評価する時だって私は黙っていても許される。要はマイナーな和歌好きが、仕方がなく文芸部の一席に座っていることを、顧問も含めたみんなが理解しているのだ。だから私は文芸部の活動において常々自由であり、大体空気のようなものである。


「薊」

「なに?」

「ということは、お前は白じゃないか」

「あ、白確定でいいの?」

「グループに入れないのなら嫌がらせは出来ないだろう」

「SNSでのいじめが原因って言ってるのは私だけかもしれないのに?」


 その言葉に亜鳥は押し黙った。それもそうだ。亜鳥が前提としているのは私の告発内容。それがそもそも違っていたら私が白とは言い切れない。


「じゃあ薊はなんでSNSが原因だと思ったんだ?」

「文芸部で有名だったから。匿名で詰草の作品にケチつけてる人がいるって」

「実際に見たことは?」

「あるよ」


 亜鳥の鋭い視線に急かされて、私は付け足した。


「詰草が席を外している間に、彼がつけっぱなしにしていた画面を覗き見したの。酷い言われようだった。才能がない、書く意味ないとか、色々。それを部員の誰かが書き込んでいる。表面では笑顔で接していても、裏では……さぞストレスだったでしょうね」

「そいつが詰草を追い詰めた……?」


 空気が重い。私たちに共通の話題が詰草のこと以外にないからどうしても暗くなる。亜鳥は元々寡黙なのか相手が私だからか中々自発的に喋ろうとしない。仕方がないので私はわざと明るい声を出した。


「ねえ亜鳥、草結びってどういう意味か知ってる?」

「詰草の小説のタイトルか? いや……意味までは知らな、」

「知りたい?」


 ぱっと顔を上げると亜鳥は戸惑いの表情を浮かべていた。私は食い気味に文庫版の万葉集を広げて説明する。


「草結びっていうのは、まじないなの」

「呪い?」

「一種の呪術行為なんだって。植物の生命力を頼って草の端と端を結ぶ、呪い。誰かの安全や長寿を祈ったり、詩的な意味だと人と人とを結ぶ表現の一つ。昔の人は草根を結んで人を想い、祈りを込めたんだって」


 万葉集をパラパラと捲り、草結びが出てくる歌を示していく。すると興味がなさそうにしていた亜鳥がふと思いついたように呟いた。


「草結びって要はトラップじゃないのか」

「トラップ?」

「くくり罠のことだろう?」


 亜鳥はスマートフォンでブービートラップの画像を見せてくる。草の端と端を結んだそれは確かに草結びではあるのだが。


「亜鳥は情緒がないなー。サバゲーじゃないんだからさ」

「む」

「まったく。詰草と同じこと言わないでよ」


 結局詰草の話に戻してしまう私も会話が下手なのかもしれない。

 亜鳥の食べかけのカツサンドからぽたりとソースが垂れる。


「あいつ、なんで死んだんだ」

「さあ」

「本当になにも知らないのか? だってお前は――」

「私は?」


 亜鳥はなにか言おうとして、考え直したように口を噤んでしまった。


「なんでもない」

「気になるんですけど」


 もうすぐ昼休みが終わる。私はお弁当箱をしまってから、暗いオーラを放つ亜鳥に提案した。


「放課後、文芸部の見学に来れば? なにか分かるかもしれないよ」


 亜鳥がラグビー部で忙しいのは百も承知だ。けれど亜鳥には詰草が死んだ原因を暴いてもらわないといけない。


「俺からも提案がある。薊、例のSNSのアカウントを取れ。今からでもいじめがあったかどうか確認がしたい」

「はいはい分かりました」


 もはや提案どころか命令だ。両手を挙げて降参のポーズをとってから、二人そろって部室を後にする。


 少し話しただけで亜鳥が論理的思考の持ち主であることが分かった。直感的だった詰草と友人であることが本当に不思議だ。


 けれど、彼は詰草とは違って「万葉集なんて古くさい」とは言わなかった。少しだけ許しそうになる心を慌てて律する。亜鳥に向けられた冷たい視線を忘れたわけではない。


「『我れゆ後 生まれむ人は 我がごとく 恋する道に あひこすなゆめ』※――ってね」

「どういう意味だ?」

「ひみつ」


 柿本人麻呂が詠んだ、私のように恋をしてはいけないと、恋とは辛いものだと現代にまで伝える歌。歌に詠まれた気持ちは人を裏切らない。私は亜鳥の問いに答えずに、万葉集を大切に胸に抱く。私がこうすると詰草はいつも馬鹿にした。


※(柿本人麻呂/万葉集11巻/2375)


 ▽


「おーいアザミン! 亜鳥くんが呼んでるよ!」


 放課後になると亜鳥が私のクラスに顔を出した。それだけならまだしもクラスで一番声の大きい男子に私を呼ぶように言ったせいで教室が騒然とする。さすがはスクールカースト上位のスター選手だ。とても迷惑である。


「ち、ちょっとアザミン! あれラグビー部の亜鳥じゃん。アザミンに用事ってなんでなんで!?」

「華ちゃん落ち着いて。亜鳥は私じゃなくて文芸部に用があるんだよ」


 クラスいち仲良しな華ちゃんは少しミーハーなところがあって、鼻息荒く私と亜鳥の仲を問い詰めてくる。


「薊、早く来てくれ」


 華ちゃんに捕まっている私にしびれを切らして亜鳥が直接呼びかけてきた。クラスメイトの視線が痛いので小走りで教室を出る。


「ねえ亜鳥。連絡先交換しよう。いちいち教室に来られると困るから」

「何故困るんだ?」

「あー。亜鳥は天然というか、鈍いんだね……」


 亜鳥は注目されることに慣れているのかもしれないけれど私は違う。騒がれてありもしない噂を立てられても困るのだ。


「で、早速文芸部に来るつもり? ラグビー部の練習はどうしたの」

「一時間遅れると連絡した。その分帰ってからトレーニングするつもりだ」

「真面目だねー」

「手を抜くのが性に合わないだけだ」


 少しずつ亜鳥との会話にも慣れてきた。私達の初会話が険悪だっただけかもしれない。昨日は巨大なグリズリーを相手にしていたのが、今はパンダに変わったくらいの印象だ。


「私はこれから部長にSNSのアカウント作ってもらおうと思うけど、その間亜鳥はどうする?」

「部員の話を聞く」

「何を聞くつもり? そんな顔で問い詰めたらみんな怖がっちゃうよ。はい、練習してみて」


 私の無茶振りに亜鳥は逡巡し、口を開く。


「詰草を酷評したのはお前か?」

「いきなりそれはダメー! せめて詰草におかしな様子がなかったか、とか。詰草が悩んでいなかったかとかにして」

「まわりくどい」

「言ったでしょう。SNSが原因だって思ってるのは私だけかもしれないって。下手に刺激するのは良くない」


 表情の変化が少ない亜鳥は眉だけ寄せて不服を訴えてくる。勢いがあるのは良いことだが時と場合による。


「よく考えて。文芸部の中に誹謗中傷犯(ディスラー)がいたとして、私達が疑っていることに勘付いて証拠隠滅されたらどうする? それじゃあ本末転倒。詰草の友人って言って、さりげなく情報収集するのが得策だと思う」

「む」


 唇を真一文字に結んで、亜鳥は渋々といった様子で頷いた。それを横目で確認してから、疑問をぶつける。


「もしかして、焦ってる? それとも怒ってるの?」


 この男は表情が読みにくい。しかし昨日から行動が性急過ぎる。手を組むからにはペースを合わせたいし、怒りに暴走しているなら止めなくてはならない。


 亜鳥はしばし考え込み、「そうかもしれない」と言った。


「何に対する焦りなのか、誰に対する怒りなのか分からない。けど、詰草は友達だったんだ。俺は詰草が死ぬほど辛い思いをしていたことに気付けなかった。正直、罪悪感でどうにかなりそうだ」


 それはつまり詰草を死に追いやった人物を暴くことで、何も出来なかった自分を許したいといったところか。


 その考えはとてもよく理解できる。亜鳥も禊をしたいのだ。私とは異なる理由で。


「お前だって似たようなものじゃないのか」


 心を読まれたかのようなタイミングにどきりとする。亜鳥を見上げると亜鳥も私を見ていた。


「だってお前は、その……」


 そうやって言い淀むのは昼休みにも聞いた。そこまで言いづらそうにされると気になって仕方がない。目で続きを促すと、亜鳥はとびきり小さな声でそれを言った。


「だってお前、詰草と付き合ってたんだろう?」


「――は?」


 思わず口元がひきつる。聞き違いでなければ、今この男は私と詰草が恋人関係にあったと言ったか。大きく息を吸って、盛大に吐く。怒りを鎮めるには一呼吸置くことが大事だとテレビで言っていた。


「ええと、違うけど?」

「そうなのか? 俺はてっきり……」

「全然違うけど?」


 笑顔を張り付けて亜鳥に向き直ると、それ以上追及されることはなかった。

 

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