後編

 夜中、寝床になっている押し入れに布団を敷いて寝ていたが、母に起こされた。3か月ぶりに見た母は化粧が崩れているのか、目の周りが真っ黒で鬼婆のようだった。記憶にある彼女の姿と違って固まったのはしょうがないと思っていたが、母は

「どんくさいわね。さっさと荷物をまとめて。」

 と怒鳴った。その高い声での大きな声に驚いて耳を手で押えた。しかし、押さえるのは遅すぎて、耳からキーンとした音が頭の中で響いた。

「早くしなさい。」

 母は履いた高いヒールのつま先でフローリングの上に小刻みに音を鳴らして、こちらを睨みつけていた。だから、飛び起きて服といっても数着の上下の洋服とランドセルをボストンバッグに詰めた。寝間着はジャージなのでこのままで外を歩いても問題ないと思ったので、着替えはせずにいた。

 ボストンバッグを持って母の所まで行くと、彼女は

「ついて来なさい。」

 と言ったので、後ろからついて行った。


 着いた先は公園だった。その入口で母はこちらを振り向いて笑みを浮かべて言った。

「あなたはここにいないさい。私が落ち着いたら迎えに来るわ。」

 と。小さな、まだ言葉の意味を理解できない子供に言い聞かせるように。

 呆然とした娘を置いて母は軽い足取りで来た道を戻って行った。行った先はあのアパートとは限らないけれど。

 そんな母を見送って、まず安堵した。真夏なので昼は厳しいが夜だったので外で寝ても風邪は引かないことは想像がついたからだった。

「とりあえず、寝ようかな。」

 公園のベンチより丸い穴が開いたドーム型の大きな遊具の中の方が安全な気がして、その中に入り込んでボストンバッグを枕にした。

「明日のことは明日考えよう。」

 まだ夜中の時間なので欠伸が止まらずボストンバッグの硬さも高さもちょうど良かったので、目を瞑ったらいつの間にか寝ていた。もう頭の中にすでに母に対する何かしらの感情はなかった。あったのはこれから先の自分のことだけ。


 上に開いた穴から差してきた朝日のおかげで、目が覚めた。

「朝だ。もう少し寝たい。」

 上を見ていたから朝日を避けるように寝返りを打つと、真横の穴から人の顔があった。

「うぉっ。」

 と思わず大きな声が出て飛び起きたせいで壁に頭や体を打ち付けて、頭を抱え呻いた。

「大丈夫か?」

 その人は苦笑しながらも気を遣い声をかけてきた。目が昨日初めて見た色だったので、涙で視界が滲んでいてもすぐに分かった。

「昨日の?」

「ああ。」

 頷いた彼はこちらに手を伸ばしてきたが、その手はとらずに自分で遊具から出た。その外国人風体男は昨日と同じく黒いスーツを着ていた。

「こんな所で何してるんだ?今日学校だろう?」

「そうですけど。今日はお休みです。」

「何で家で寝ないんだ?」

「いや・・・・。」

 母を追っている人で、彼女に恨みがあり、その娘の自分がどう答えていいか分からず言葉が出ずに黙ってしまった。すると、彼は頭に手を置いてわしゃわしゃと乱暴に撫でた。

「お前、お人好しで可愛いな。」

 彼はしゃがみ目線を同じにしてニカッと笑った。その綺麗な笑みに見惚れた。乱暴な口調と王子様然とした容姿のアンバランスさがあってこそだと思った。

「お前、行くところあるのか?」

「ありません。」

 即答できた自分に母の言葉を信じていなかった、信じたいとも思えないほどに母を想っていなかったと知った。彼女を切り捨てた瞬間だった。

 すると、彼は笑みを深めた。それを見た瞬間、背中に悪寒が走り陽気な天気なのにおかしいなと思いながら体を摩った。

「そうか。じゃあ、俺の所に来るか?」

 彼は立ち上がり手を差し伸べてきた。それは、蜘蛛の糸か神様の髪の毛かと考えるもすぐにその手を取った。強く握りしめてきた彼はそのまま私を立ちあがらせてくれた。切れなかったことに安堵した。

「それじゃ、行くか。」

「はい。」

「学校にも行けよ。勉強は義務だし、やっておいて損はねえよ。あと、敬語も要らねえから。」

「うん、分かった。」

 彼に手を引かれながら公園を出た。ボストンバッグは彼が持っていたが、それが手元に返ってくることはなかった。


 公園を出ると、すぐに横付けされた車に乗り込み、どこかに向かって走りだした。

「名前、何て言うんだ?」

「隆良」

「たから?男みたいだな。」

「私もそう思う。」

「俺は鷹人。」

「たかと?」

「ああ、鳥の鷹に人。」

「ふうん。やっぱり、肉食?」

「は?」

「いや、何でもない?」

 訊き返されて焦って誤魔化した。

「まあ、いいか。じゃあ、これから末永くよろしくな。隆良。」

「こちらこそ。」

 末永く?と首を傾げるも、そこを突っ込まなかったのは、これから住む場所への期待がありそっちに意識が向いていたからだった。その間に車はどんどん道を進み、生まれ育った町を出て見たことのないほどに高い建物が並び立つ新天地へと進んでいた。

 母親とあの古いアパートを捨てて、切れなかった手を取ることができその先に掴んだのは、獰猛な鳥の名を持つ男だった。


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私は鷹に拾われた ハル @bluebard0314

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