私は鷹に拾われた
ハル
前編
小学校から帰って家のドアを開けた。
「ただいま。」
と、いつも通りに声をかければ、いつもと同じく返ってくる言葉はなかった。2階に行くために外階段を上るたびに何かが軋んでいる音がするほどの古いアパートに母と二人暮らしだった。その母は夜の仕事をしており、この時間にはすでに家を開けていることを知っていた。それでも、声をかけたのは自分なりの精一杯の意地だった。
家なのに、家である気がしない、その場所に少しでも自分という存在があることを示したかった。母と顔を合わせるのは週に1回あれば良い程度で、小学校に入ってからこの2年はその度合いはますます減っていった。今では、もう3か月は顔を見ておらず、記憶にある母の顔はぼやけてしまうほどだった。
「ああ、またこんなに散らかしている。」
ランドセルを担いだまま入ってすぐの少し広いキッチンに入ると、床に散乱し倒れいているビール缶とその中身が零れたままだった。床に広がるビールが作った丸いシミからすると、ほぼ1缶全ての量だったが、その液体もそとの熱気により少し蒸発したのか、それとも床の木に沁み込んだだけか分からないが、そこに黒ずんだ影を作っていた。
「これって、落ちるの?」
それを目の前にしてしゃがみ込み首を捻った。母は家にいると必ずお酒の類やおつまみの袋なんかを部屋中に散乱させて片付けをしたところを見たことがなく、もっぱら、掃除、洗濯といった家事をしていたのは娘である私の担当だった。
しかし、今回はまた一段と酷い惨状になっていた。
「だんだんパワーアップしている。」
それが、RPGに出てくるモンスターのようでやりがいはあり、とっととランドセルを置きに6畳の部屋に入ると、そこにはおつまみの袋やお寿司が入っていただろう容器が残っていた。
「ここはそこまででもない、ラッキー。」
少し余裕が出てきたので、ランドセルを隅に置いてからゴミ袋を持って、部屋の方にあるおつまみの袋や空の容器を袋の中に突っ込み、それから、キッチンの方にあるお酒の缶は別のゴミ袋に入れた。ついでに換気扇を回して部屋の方の窓とキッチンにある窓を開けてビールの匂いを追い出した。
「あー、やっと呼吸ができる。空気がおいしい。」
キッチンの窓の前で思いっきり深呼吸をしてから、染み抜きをするためにその黒い部分にお酢をスプレーして拭いてを繰り返して何とか薄まった。
「まあ、これぐらいでいっか。」
使ったものを片付けて掃除機をかけていつもの掃除は終了し、やっと、夕飯を作り食べようとした。
・・・のだが、そこに玄関のドアの鍵が解除される音がして、口とわずか1ミリしか離れていないような場所でご飯を掴んでいる箸を止めた。
「暗っ。おい、マリ、いるんだろう!?」
ドアの方から扉一枚を隔てた場所まで聞こえる低く、少し掠れた声で怒鳴りながら入ってきたようだった。マリと言うのは母が使っている仕事上のニックネームで、本名は真理愛だった。
その名を知っていることから仕事関係の人だと思って、箸を置いて立ちあがって、隔てていた扉を開けた。
せっかく綺麗にしたキッチンが広がるそこに、土足で足を踏み入れる、1人かと思えば、3人のスーツを着た男がいた。人間、予想外のことが起きると固まるというのは本当だったと、現実逃避気味になっていたが、目の前に立つ彼らも目を丸くしていた。どうやら、母は娘がいることも知らせていなかったようだと、そこで気付いた。
「こんにちは。」
とりあえず、学校で言われている挨拶をした。挨拶は心と心を繋ぐ大切な言葉だと、もう齢58歳で独身の担任教師が言っていたことを思い出したからだった。
「・・・ああ。お前はマリの?」
「あ、娘です。母なら仕事に行きましたけど。」
「そうか。」
そこで、怒鳴っていて眉間に皺を作っていた男性はいつの間にかそれらが無くなり、彼を包んでいた剣幕は散っていた。「娘」という発言をして、彼は一変してこちらを凝視していた。
「どうします?」
「この子供連れて行きませんか?あの女が出て来なかったらこいつに償わせればいいですし。」
両側から金髪にピアスをしたヤンキーのような男性と眼鏡に黒髪のビジネスマンの対象的な男2人が話しかけていた。それは全く潜める気がないのか、丸聞こえなので思わず数歩下がった。
すると、母の名を呼んでいた若と呼ばれていた男、茶髪に目がグレーと青が混じった珍しい神秘的な色をしてる外国人風体の人がその2人の頭を思いっきり殴った。しかも、殴った手はグーだったことに気付いて、殴られて頭を押さえて俯いた彼らに同情した。
「お前たち、まだ10にもなっていない子供を怖がらせるな。」
「そうは言っても、実際問題どうするんですか?」
「何が?」
「あの女が持ち逃げしたお金はどうするんですか?このままだと、あなたが責任取らされますよ。」
ビジネススーツ男が心配げな声で必死に訴えていたが、外国人風体男はそこまで深刻に考えていないように見えた。隣でまだ頭を摩っているヤンキー男もビジネススーツ男同様に心配そうにしていた。
彼らの会話を聞いて、寝耳に水はこちらの方だった。確かに、母のお金の使い方は子供から見ても異常に思えていた。こんなぼろいアパートに住んでいながら、毎月のカードの領収書に記載がある桁は見たことないものだった。それに比べれば、同じく毎月の水道光熱費は微々たるものに思えていた。そんなお金がどこにあるのかと不思議に思っていたが、まさかそれも全て彼らの言う「持ち逃げしたお金」なんじゃないかと、思い至ったのでまた数歩下がった。
すでに、背中が壁についており、それ以上に下がることはできないので、彼らの決断を待とうと、まだビジネススーツ男の声がする方を見ると、外国人風体男が未だこちらを凝視していた。それには思わず
「ひぇ」
と小さく悲鳴を上げてしまった。
しかし、それからその外国人風体男は何もすることはなく、ビジネススーツ男を制して2人を連れて
「邪魔したな。」
と詫びて帰った。その瞬間、足が震えていることに気付き一気に脱力して力なく笑みが零れた。
「蛇に睨まれた蛙?いや、蛙は嫌いだから、例えられるのは嫌だな。肉食動物に睨まれた草食動物だな。」
冗談は言うほどに自分が馬鹿に思えてきて、テーブルに載せた冷めた食事を見てお腹が鳴った。食事の途中だったと思いだして、その食事の所まで這いて移動して、ご飯をお腹に入れた。
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