第4話 勇者様からの相談事


 あれは忘れもしない、一昨年の春のこと。


 王都から少し離れた聖地ユウナロ湖の湖畔に突如、天より光の柱が落とされた。


 聖地の守り人であったフレデリカ姉さまと憲兵隊がその跡に向かうと、そこには目を見張るような黒髪の青年が一人倒れていたという。


 やがて目覚めた青年は自らを〝ニッポンジン〞と呼び、己の帰途を訊ねたそうだ。


 聞いたことのない国名に見たことのない文字、けれど言葉だけは通じる。


 そんな状況に当初、彼と相対したものは皆、彼を魔族かと思ったと口を揃えて戸惑った。


 しかし、神官長の口から「青年はこの世界の外から来た異邦人だ」という結論付けがされてから、事態は一変する。


 〝異邦の勇者、その手に聖剣を携えて、厄災をもたらす魔を討ち滅ぼさん〞


 これは〝異邦の勇者〞という古文書に伝わる譚(はなし)のはじまりの一節で、教会直轄の聖地でもあったユウナロ湖の祭壇に祀られている〝星の精霊剣〞こそが、その聖剣と云われていた。


 そして王国の記録上、祭壇ができてからは誰一人として抜くことができなかったその聖剣を、彼は紆余曲折を経て見事に引き抜いたのだ。


 かくして、その青年――ユウト=フジガネは名実ともに〝異邦の勇者〞となり、魔王討伐の旅に出ることになる。




「――それで。〝異邦の勇者〞様が、私に何用ですか?」


 個室の六人掛けのテーブルには、ユウト様ともう一人見覚えのある頭からフードを被った小柄な人物が腰かけていた。リクリオ卿とシャルルは席の前で立っている。


 てっきりリクリオ卿だけかと思って来てみれば、どうやらこれは面倒くさいことになりそうだ。


 なぜならユウト様は今、公的にはこの王都にいないことになっているからだ。


 勇者として多くの国を巡り、魔王を討伐したことでその地位を確立したユウト様は、今や世界にとってはかけがえのない御方だった。


 だから我が国を含めて世界各国が彼の力を悪用しないために、フィオルーシア教会の庇護下に入ることになったのだけれど……。


 未来の義兄となるユウト様は、席に着いた私の嫌みを軽く受け流して口を開いた。


「今日は、君にお願いしたいことがあって来たんだ。イーディス」


(……勇者様が私に?)


 救世の勇者が、私に一体何のお願いがあるというのだろう。


 まず金銭や権利等の話であれば、私ではなく国王である父にするはず。それに万が一その橋渡し役だったとしても、私ではなくフレデリカ姉さまの方が適任だ。


「アナ」


 ユウト様の隣に座っていた人物が被っていたフードを下し、同時に私はをどこで見たのか思い出した。


 勇者一行が王都に凱旋した時だ。


 始まりは三人しかいなかったパーティーメンバーは、凱旋時には七人になっていて、その中に彼女の姿があったのだ。


 あの時は口元から下を布で隠してしたけれど、素顔があらわとなった今、その理由を理解する。


 フードを取った彼女の外見は十代半ばの少女で、頭には犬のような獣の耳が生えていた。


 そして。


「その痣は……」


 少女の右頬には、大きな黒い痣があった。


 この目で初めて見るものの、噂では聞いたことがある病の特徴に似ている。

 その病の名は、〈獣魔の呪い〉。


 恐らく、凱旋時に口元を隠していたのは、余計な不安を仰がぬようにという周囲への配慮だったのだろう。


「この痣は、フレデリカの治癒魔法でも治らなかったものだ」


 〈獣魔の呪い〉は亜人のみが罹患する稀有な病で、治療法も見つかっていない難病のひとつだ。


 初期症状は体に痣が浮かび上がるだけだが、次第に身体全般の力が衰えていき、末期は魔獣のように理性を失ってしまうという。


 そうなってしまっては隔離を余儀なくされ、場合によっては拘束やそれ以上の対応をする必要がある。


 万病の癒し手とも謳われるフレデリカ姉さまに治せなかった病を、どうして私に打ち明ける必要があるのか……。


 少女の状況は飲み込めたものの、その真意を図りかねて眉をひそめていた私に、ユウト様は続けた。


「この呪いを、解く鍵が見つかった」


 その言葉に反応し、驚いたのは私だけだった。


「治すことができるのですね。でも、それは一体どのような……?」


「魔族の力を借りるんだ」


「……!?」


 驚きばかりだった頭の中が、すうっと冷静さを取り戻していた。


 今、彼は何と言ったか。


「……魔族の、力を借りる?」


 魔族とは、北の山脈から北方全土に住まう異形の者たちのことで、その魔力で世界に災いをもたらした存在でもある。


 魔王がその膨大な魔力で創り上げた種族とも云われており、すべての魔族が生まれながらにして強大な魔力を用いて様々な術を行使できるそうだ。


 千年前に領土の問題に端を発したかの種族と私たち人間の争いは、やがて亜人族や精霊を巻き込んだ大戦争に発展。


 精霊の協力を得た人間はその加護の許、魔王率いる魔族を北方の地へと追いやることに成功した。


 しかし、百年前。その平和は突如終わりを告げる。


 彼らは精霊の結界を潜り抜け、私たちの世界に進行してきたのだ。

 加えて、各地では魔獣の出没が多発し、被害が増大。


 ことを深刻に捉えた連邦議会が魔獣討伐軍を編成して以来、魔族との交戦は続き、いよいよ魔王討伐軍の発足も検討し始めた。


 そんな矢先にユウト様が現れ、魔王の討伐に向かわれたのだ。


「俺も詳しい原理まではわからない。けど、この目で見たんだ。彼らの魔力でアナの痣が回復するところを」


 かつての戦争相手の力を借りるという突拍子もない言葉に、私は目を丸くし、耳を疑った。

 けれど、勇者様は表情を変えずに口を開く。


「お願いだ、イーディス。彼らのことを守るために、君の力を貸してほしい」


「……はい?」


 私は、突然出てきた〝守る〞という言葉に首を傾げて聞き返そうとする。


「殿下。それは私の方からご説明させてください」


 そう言ってテーブルの前に一歩進んだのはリクリオ卿だった。


「私は陛下から命をいただく以前より、旧ベルディニア辺境伯領で、魔族と交戦をしておりました。それは事実です。


 ですが、一部の非戦闘員を含めた魔族が投降したため、現在秘密裏に旧辺境伯領内にて保護しているのです」


「……」


 私は文字通り言葉を失っていた。


 これまで私が知り得ているリクリオ卿からの報告内容は、魔王軍に占領され魔獣出現地帯でもあった旧ベルディニア辺境伯領の奪還と侵略して来る魔族への迎撃、この二点のみだ。


 些事は報告しないとしても、これは些末事と割り切れる問題ではない。


「――つまり、リクリオ卿は北方から逃げてきたという魔族を匿い、それを意図的に本国へ報告しなかった、と?」


 私が話を要約して卿へと訊ねると、彼は鈍く頷いた。


「はい。その通りです」


 そして私は、問題となるもう一人へと向き直る。


「そしてあなたは、その事実を知りながらそれを擁護しその隠匿に協力した、という訳ですか? 勇者様」


「ああ、そうだ」


 ユウト様は視線をそらすことなく、真っ直ぐ私を見つめ返してきた。


 リクリオ卿が魔族との争いの最前線にいたのは、戦意の無い魔族たちを見付けて、人間のいなくなった旧ベルディニア領へ匿うことが目的だった。


 けれどそこへ、魔族の目撃情報を聞いて訪れた勇者ユウト一行が現れ、事が露見。


 魔族悪しで戦ってきた一行の中には、直ちに連合軍へ報告するよう意見する者もいたという。


 両者を交えての話し合いの末、勇者であるユウト様はリクリオ卿や魔族たちに理解を示し、魔王討伐が終わるまで報告は保留にすると決めた。


 そして、今へ至るというわけだ。


「……ユウト様。あなたのその判断は、ことと次第によっては戦況を悪化させるものだったとわかっておいですか?」


 言いたいことは山程ある。

 私が更に口を開こうとした時、それまで無言だったアナと言う少女が初めて口を開いた。


「けど、結果は何も起きてない。ユウトを責めないで」


 冷静ではあるものの、静かな怒気を含んだ声だった。


「それは結果論に過ぎません。投降した魔族たちが武装蜂起しなかったからよいものの、もし彼らが約束を違え、こちらに反旗を翻していたら? いかな救世の勇者であるユウト様でも、世界からの信用を失いかねない、由々しき事態に発展していたのかもしれないのですよ。それは、あまりにも――」


 それはあまりにも、自身の力を過大評価し過ぎているし、楽観以外のなにものでもない。


 もしもそんな未来になっていたら、エトニア姉様の結婚式も、フレデリカ姉様の婚約式も実現していなかったのかもしれないのだ。


「そこまでにしてやってくれないか、イーディス」


 そう言葉を投じたのは、立っていたシャルルだった。


 私は彼を静かに見上げ、その碧眼の奥へと問い掛ける。


「シャルル……あなたも、ユウト様と同じ考えなのね?」


「確かに、俺も最初は君と同じことを言ったさ。だが、ユウトはそれでも彼らを信じると言い切ったんだ。

 ユウトの決意を、俺は信じる」


 ユウト様は魔族たちと信頼関係を築けている、シャルルは少なからずそう思っているのだ。


 模擬戦と言えど、一度は背中を預けた相手の言葉に、私は一呼吸おいて考える。


 落ち着け。

 終戦は約一年前。魔族側が何かことを起こすなら、例えその動きが水面下であったとしても既に各地のから何かしら報告があるはずだ。


 けれど、今日までそんな報告は上がっていない。少なくとも、我が国周辺ではそのような報告はなかった。


 なら、ユウト様の言葉を頭ごなしに否定するわけにいかないのも事実だ。


「……あなた方とは異なり、私は魔族と対峙したことはありません。なので、今ここで私の考えを決めるわけには……」


『――ならば、話す機会があればよいのですね?』


 不意に、目の前で聞きなれない声がした。


「――っ!?」


 私が声のした方に顔を上げると、リクリオ卿とシャルルの間にもう一人、見慣れない男性が立っていた。


 男性の外見はリクリオ卿と同じ背丈で、浅黒い肌に艶めく黒髪を後ろで一つに結わえている。


 そして、燃える炎のような真紅の瞳は、明らかに人ならざる気配を帯びていた。


 リクリオ卿もシャルルも驚いた様子ではあったものの、警戒しているという雰囲気ではなかった。


「グブレルト」


 ユウト様が男性のものとおぼしき名前を呼んだ。


「いやはや。こちらだけ聞き耳を立てるのは、それこそ公平(フェア)ではないでしょう」


 気配に気付かなかったのは、恐らく魔術か何かの類いだろう。


「お初にお目にかかります。イーディス卿」


「あなたは……魔族、なのですか?」


 話の流れで、恐らくそうなのだろうと理解しつつも、私は推測を口にする。


 グブレルトと呼ばれた男性は静かに頷いた。


「はい。元魔王軍、人骸五将(ディストラビア)が一人、グブレルトと申します」


 彼はすっと自身の額に一瞬だけ手をかざすと、次の瞬間にもその額には、黒々とした角が生えていた。


 前置きがなければ奇術か何かと間違えてしまいそうな早業だった。


 獣人族のなかでも同じような角を持つ者を知ってはいるけれど、その角の漆黒の輝きは一目見て獣人のそれではないと本能で理解する。


 魔力のない私でさえ、人間離れした男性の雰囲気に息をのんだ。


「驚かせてしまい、申し訳ありません。ですが、あなたにはお見せした方が早いかと思いまして」


 再び同じ手際で角を消したグブレルトは、静かに微笑んでいる。


 そして、私が言葉を探すよりも前に彼が口を開いた。


「ユウト殿やリクリオ殿からあなたが我々の希望であると伺い、お会いしに参りました」


「私が……あなたたちの希望?」


 一体どういうことか。

 私はユウト様を見て、首を傾げた。


 けれど今から何か、とてつもないことに巻き込まれようとしている。

 それだけは理解できた。

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明星の金獅子姫 都辻空 @tsutsujisora

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