第3話 姫というしがらみ
「それはイーディス様が正しいです!」
私の父上譲りの金髪を梳かしながら、侍女のグレンダ=ベアリングが大きく頷いた。
その手はまるで風の精霊の加護でもあるかのように、なんの躊躇いもなく腰まである髪をいくつかの束に分けて丁寧かつ素早く編み込んでいく。
「出来ましたよ」
ものの数分で、綺麗な編み込みが施されたシニヨンが出来上がった。
「グレンダは本当に器用ね。いつもありがとう」
手鏡で自分の髪型の出来栄えに感心しつつ、私はグレンダに感謝を述べる。
私には絶対に完成させることが出来ないであろう凝った髪型を、彼女はこうして毎朝必ず騎士団の宿舎まで赴き、手速くやってくれるのだ。
「何を仰いますか。でも、そうですねぇ……イーディス様とでしたら、シャルル=カレ卿なんて、美男美女カップルでお似合いだと思いますよ」
「……グレンダ。そこでなぜシャルルの名前が出てくるの?」
シャルル=カレは二つ年上ではあるけれど騎士団の同期で、今は第一部隊に配属されている。
先日城下で会った娘たちは、シャルルのことを〝イケメン〞と言っていた。
どうやら、見目麗しい男性、つまりは美男という意味で使う語彙なのだそうだ。
「シャルルとはただの同期で、会話もそんなにしたことがないのよ?」
「会話もなく、一昨年の共闘戦で優勝されたんですか!?」
グレンダが驚愕の声を上げる。
「確かにあの時は、いくらか話はしたけど……」
一昨年の春に、三日間に渡って開かれた模擬共闘戦。
それは、勇者ユウト様と共に魔王討伐へ向かうフレデリカ姉さまの護衛騎士を選抜するために開かれた試合だった。
試合はあくまでも任意参加だったが、聖女と謳われる姉さまの人気は凄まじく、ほとんどの王室近衛騎士が名乗りを上げた。
とはいえ人数も人数のため、急遽二人組でのトーナメント戦に変更され、厳正なるくじ引きの結果、私はシャルルと共闘することになったのだ。
「あの時のお二人の息の合い様といったら、もう伝説の武闘家スラン・イナベリア夫婦の演目を観ている様で……」
あの時の試合を思い出しているのか、グレンダが自分の頬に手を当てて溜め息を吐いた。
私と同い年のグレンダは、会話の中で異性の話が出てくるといつも色恋の話に繋げたがった。これが、普通の女子の会話なの?
かくいう私もドラゴンと対峙までしたという武闘家夫妻に例えられ、誇らしい半分、気恥ずかしい気持ちになる。
確かにあの時は模擬戦とはいえ、全神経を集中させて戦ったことはなかった。
それほど本気で姉さまの護衛として選ばれる覚悟があったし、相棒(バディ)となったシャルルの足を引っ張る訳にはいかないと思ったから。
結果は見事優勝。
けれど、姉さまの護衛として選ばれたのは、シャルルの方だった。
理由は数多あれど、結局はいつもひとつ。
――私が姫だから。
どれだけ努力をして研鑽を積もうが、最後は決して変えることの出来ない、生い立ちの部分を見られて終わる。
生まれや性別は、本人には選べないのだ。
「イーディス様?」
「……何でもないわ。それより、もうそろそろ行かないと」
「リクリオ卿とのお約束には、まだ時間があるのでは?
……それに何も、騎士団の非番日まで制服で行かれる必要はないのではありませんか?」
ブラウスの袖に通したのは、私が所属している部隊〈金糸雀(カナリア)〉の制服だった。左胸と背中には団全体の鷲のエンブレム、背中や細部には黄色の糸で意匠が施されている。
「ええ。でも卿との待ち合わせは城下だから、見回りがてら向かうことにしたの」
非番日のため、いつも脇に差す愛剣〈
グレンダに帰りは昼頃になると伝え、私は自室の扉に手を掛けた。
「イーディス様は、もっとご自愛されるべきです。着飾ったら、上の姫お二方にも見劣りはしませんはずなのに……」
その背中に、グレンダの言葉が投げられる。
「ふふ。ありがとう、グレンダ。覚えておくわ」
「もう! 世辞ではありませんよ!」
振り向かなくとも、彼女の声色からは、頬を膨らませている姿が見て取れた。
私は苦笑を閉める扉で隠し、リクリオ卿と待ち合わせをしている城下町へと向かった。
「あと残り五つ! これを買わないと仕入れ待ちだよ!」
「あの『ここから離れた遠くの世界へ』で有名なクネマ・ド・ベリエの最新作!」
マクグリン国の城下、王都グリアスは今日も活気に溢れていた。
このペリティシア大陸の中心に位置し、東西南北すべての街道から人や荷が集まるこの交易都市は、建国以来の隆盛を誇っている。
時刻はいつもの見回りよりも少し遅めのため、朝市の活気のピークは過ぎていた。
けれど目抜通りに位置する通りにはまだ多くの露天が並び、野菜や日用品の販売を行っていた。
通りの真ん中で、一人の女性が抱える荷物を落としそうになるのを見掛け、とっさに受け止めた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう――って、イーディス様じゃないか! 一人ってことは、今日はお休みかい?」
「ええ。今日は非番なんで――っ!?」
不意に、視界の左から何かが向かってきた。
私は顔へ投げられた〝それ〞をキャッチする。
「おお、ナイスキャッチ」
手に取ったそれを見てみると、赤く瑞々そうな林檎だとわかった。
「金獅子姫、今日も凛々しいねぇ! それ持っていけよ。いつもの〝勤務中だから〞って言い訳は通じねえからな?」
言質を取られた私は、苦笑しながら素直に感謝を述べる。
「ありがとうございます。それでは、遠慮なくいただきますね」
「いやぁ、感謝してるのはこっちだぜ。本当にめでたいことが続くと、こっちの商売にも勢いがつくってもんだからな」
「そうですか。それは何よりです」
城下の人たちに別れを告げ、私は再び先へと進んだ。
けれど、頭の中はあのことでいっぱいだった。
(あの父上のことだから、無理に縁談を持ってきて押し付けることはしないはずだけど……)
それでも、今さら騎士ではなく姫として生き直すには、私は曲がりすぎた。
それに、今さら教会に入って、修道女として慎ましく生きていくのは考えられない。
第一、私は修道女にはなれないのだ。
遥か古の時代。
精霊術師でもあった初代マクグリン国王は、光の精霊と盟約を交わし、精霊の加護つまりは王室の繁栄と引き換えに、精霊を使役する精霊術を失った。
以来五百年間というもの、我がマクグリン王家には精霊の加護はあれど、それを使役する精霊術師の能力が発現することはなかった。
たった一人の聖女を除いて。
それが、フレデリカ姉さまだった。
精霊術師の能力があると分かってから、姉さまは初代国王の申し子だと国中から賛美の声が上がった。
そして精霊に愛された聖女として、一年前、勇者と共に魔王討伐に参加。見事世界の宿願を果たした姉さまは、名実共に聖女となったのだ。
そんな聖女を既に抱えている教会が、今さら何の能力もない王族の私を受け入れるとは到底思えなかった。
昔からそうだ。
三国一と謳われた美姫エトニア姫。
建国王の再来と謳われた聖女フレデリカ姫。
二人の姉は、私がどんなに努力をしても手に入らないものを持っていた。
羨ましくはあったけれど、それでも私にしか出来ないことはあるのだと信じた。
そのために出来ることは何でもやろうと、心に誓った。
けれど、現実は無情なもので。
エトニア姉さまの婚約発表。
フレデリカ姉さまの聖女の力の発現。
重なる祝福を心から祝えない自分を嫌った。
そう思うのは、自分の心が弱いからだと思った。
その頃からだ。
男装をするだけではなく、本物の騎士を目指して剣術に打ち込むようになったのは。
そして、私は努力を重ねて騎士となった。
これは紛れもない私自身の力の結晶でもあり、誇りだった。
だのに、今度はそれを手放せと?
――冗談じゃない。
いけない。思考がネガティブになっている。
「ここで大丈夫よ」
先を行く老女が立ち止まった。
そうだ。
道中大荷物を持っていた老女に出会い、その家路まで見送っていたんだ。
「ありがとうね、イーディス様」
「いいえ」
「貴女に、シュメリアの加護がありますように」
「貴女にも」
今の私には、これだけしかできないけれど。
それでも十分に幸せだった。
それに今の私には、フレデリカ姉さまのように、これまで自分が捧げてきたものすべてを手放してまで守りたいと思うものが、得たいと思うものが存在しない。
いつかそういうものが、私にも出来るだろうか。
(……〝明確な目的にこそ行動が伴う〞か。今のまま師匠に会ったら怒られそうだな)
それからしばらく歩いて私がやって来た場所は、王都の大通りから一本外れた通りにあった小さな酒場だった。
リクリオ卿に指定された場所はここであっている、はず。
扉をあると予想通りと言って良いのか、店内の利用者は少ないことがわかった。
〝待ち合わせ〞と店主と思われる男性に声をかけると、奥の個室に視線を投げられる。
僅かな仕切りではあるけれど、他の客と距離をおけるのは間違いなかった。
「……これは随分と、皆様お揃いで」
そこにはこの世界を救った、救世の勇者一行が揃っていた。
元王室近衛騎士団団長。
現王室近衛騎士団所属であり、〝イケメン〞剣士。
そして。
「やあ、イーディス。久しぶり」
この世界を救った、救世の勇者ユウト様だった。
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