第2話 謁見と宣言


 ぱたん、と扉が閉まる音だけが、謁見の間に沈む。 


「陛下。イーディス・ルイーズ=マクグリン、ただいま御前に上がりました」


「……」


 この国の現国王、クリストファー=ウィリアム・マクグリン陛下は、謁見の間の窓際にある座におられた。


 肩に垂らされた金髪と、海を映した様な蒼眼。

 血を分けた親子ではあるけれど、この謁見の間では、国王と臣下だ。


 座してそこある風貌は確かに統治者のものであり、思慮に耽る眼光は為政者のそれである。


 先王の突然の崩御からその座に着いて二十余年。御年四十三を迎える顔には、若干の疲れが窺えた。


 その脇には陛下の秘書官長であるカルロス=ピネダ・ガオナが、主と同じように無言で控えている。


「……陛下?」


 恐る恐る口を開くと、僅かにその眉がひそめられた。


「イーディス」


 そして、その低い声が私の名前を告げる。

 私はすぐさま最敬礼で応えた。


「はっ」


「以前、お前に命じたはずだ――」


 何か失態を演じてしまったのかと、私は息を飲む。

 けれど、待っていた言葉は想定していたどの言葉でもなかった。


「――『お父様と呼べ』と」


 刹那、何を言われたのか理解出来ず、私は言葉を失った。


「……は? 父上?」


 首を傾げながら、父と呼ぶ。

 しかし父王は、大きな声でそれを否定した。


「『父上』じゃなくて! 私は小さい時みたいに、お前の口から『お父様』って言葉を聞きたいんだよっ!」


「何、子供みたいなことを仰っているんですか!」


 先ほどまでの国王の威厳はどこへやら、目の前にいたのは末娘にすがる子離れが出来ない父親だった。


 父上は目を潤ませながら、決して臣下には見せられない表情でこちらを見てくる。


 そんな父上に助け船を出そうと、カルロスがその眼鏡の奥の瞳を笑わせながら口を開いた。


「殿下。僭越ながら、陛下は上のお二人が嫁がれてこの城を去られたことから、少しナーバスになっておられるのです」


 カルロスは「どうか陛下のお心をお汲み取りください」と続ける。

 私は溜め息を堪えて、言葉を探した。


「……めでたいことではありませんか」


 エトニア姉さまは一ヵ月前に、フレデリカ姉さまは先週、この城からそれぞれの嫁ぎ先に嫁いでいった。


「それにエトニア姉さまはともかく、フレデリカ姉さまは国内にいらっしゃるのですから、寂しいなら呼べばいいではありませんか」


 確かフレデリカ姉さまたちの新居は、二人が初めて出会った聖地ユウナロ湖の湖畔にある王族の別荘の一つだった。


 王都から馬車で小一時間。

 呼ぼうと思えば難しい距離ではない。


「リッカからは、『蜜月を邪魔してくれるな』と釘を刺されておってな」


「蜜月って……」


 まだ、二人は婚約の状態で、正確には蜜月ではないと思うのだけれど。


 それでも、やっと訪れた平穏な日々を、誰にも邪魔して欲しくないという姉さまの気持ちは理解出来た。


「あの聖女と謳われたフレデリカ姉さまが、〝邪魔するな〞とはね……」


 以前の、魔王討伐前の王城に籠っていたフレデリカ姉さまだったら、思っていても決して口には出てこない言葉だ。


 それが出てくるほどに、勇者様のことを大事に想っているのだろう。


「ああ。あの娘が、あんなに強い意志を持っていたとは、私も驚きだ」


 時は少し遡って、魔王討伐が果たされた直後。


 魔王を討ち果たした勇者ユウト様とその旅の仲間である精霊術師のフレデリカ姉さまは、その功績と血筋から、この国の次期統治者になるのでは、と噂されたことがあった。


 けれど王室は既に、王位継承権の第一位は、結婚を控えた長女エトニア姉さまがお産みになる、未来の王子に与えられることを決定している。


 どちらも同じ両親から産まれた姉妹。

 一方は、三国一と謳われた美姫。もう一方は、建国王の再来と謳われた聖女。


 一時、冷たい空気が城に流れた。

 そんな中、最初に声をあげたのは、次女のフレデリカ姉さまだったのだ。


『この世界に、聖女なんてもう必要ありません。私はユウトと一緒にはなりたいけれど、それで王位に就けと言うのなら、私は聖女の名も王族の位も返上します』


 大勢の人がいる中で言い放たれた言葉。

 あの時の姉さまの姿は、今でも鮮明に覚えている。


 かつて王城を離れる時の姉さまとは違う見たことのない一人の女性の姿に、私は驚き、同時に憧れた。


「――それで、本日私を召集された目的は何なのでしょうか。お父様?」


 いつまでも話の口火を切らない父に、私は要望通り娘として対する。


「ほ、ほら。最近、エトニアやフレデリカに祝儀があっただろう? この際、お前にもそんな話があっても、いいんじゃないかなぁって……」


「子離れしたいのか、したくないのか、はっきりしてください」


 ああ、この人もそうなのか、と心の中で毒づいた。


 両手の人差し指を触れ合わせてもじもじとする父王の姿は、決して他の臣下に見せられるものではなかった。威厳なさすぎでしょう。

 

「お父様。何度も言うようでお言葉ですが、私はどなたとも結婚する気はございません」


「だが、お前も今年でもう十六だ。エトニアがそれくらいの時には、既に許嫁がいたのだぞ」


 ……それは否定しない。

 普通の世の貴族の子女であるならば、もう私の年齢の頃には結婚していてもなんらおかしくはないのだ。


 先日、長年の婚約期間から晴れてご結婚されたエトニア姉さまは、相手方のレオナルド様のたっての希望で、魔王討伐が終わってからの挙式となっていた。


 それはレオナルド様が魔族との戦で命を落としてしまった場合、エトニア姉さまを未亡人にさせてしまう可能性を考慮したからなのだけれど。二人が無事に結ばれて本当に良かった。


「人魔戦争も終わり、各国からほら、こんなにも紹介状が――」


 いつの間にか、カルロスが両手に盆を抱えていた。

 その盆の上には、山積みの書簡。


 婚姻の紹介状ということは、宛先は私以外考えられない訳で。


「戦争を終わらせたのはユウト様とフレデリカ姉さまです。私には一切関係がございません」


 私の婚約話は、今に始まったことではなかった。

 それでも男嫌いと知れ渡っている私に対して、ここまで数が増えるのにはきっと訳がある。


 そう。例えば。

 

「相手はどこです? アースワード? それともゼルカですか? どちらも亜人族との諍いを、勇者様に丸投げする心積りですか」


「……」


 私を嫁に迎えることで、相手方に得られるメリット。

 例えばその一つに、勇者様とのコネクションづくりが挙げられる。


 そう言えば、先ほど朝市で見回りをしていた時のこと。


 近隣国では亜人族とのいざこざが収まり切っていないのだと話す、城下の民の声を思い出した。


 平和の象徴でもあり、自身の魔王討伐パーティーに亜人族を連れていた勇者と縁戚関係を持つことで、国内の燻りを抑えようという心積もりなのだろう。


「そんな自国の問題を他人任せにする御方の許へ嫁いだところで、一年と経たずに出戻りする自信がございます」


「そんな自信要らないよ……」


 私は本心を伝えているのに、父は肩を落として溜め息を吐いていた。


「私は、父としてお前に幸せになってほしいだけなんだよ」


「私は今のままでも、十分に幸せですわ。お父様」


 私の使命は、騎士としてこの国のために尽くすことだと思っている。


 確かに良家の子息と結婚して家庭を築き、子を産み育てるのも大事なことだ。

 大事なことだとは理解している。


 けれどそれと同じくらいに、私にとって騎士でいることは大事なことなのだ。


「それにお父様は、〈金獅子姫〉の私を嫁にほしいという奇特な方が、本気でいらっしゃっるとお思いなのですか?」


「……」


「恐れながら、殿下の人気は国内の方にあるかと」


 私が自分のあだ名を引き合いに出したところ、カルロスが口を開く。


「城下では専ら、騎士団でのご活躍が話題となっております。それに国内からですと、カートライト公爵家のジョン卿やエンゼル伯爵家のルーファス卿から求婚の申し出が――」


「誰から何の申し出ですって?」


 カルロスの言葉に対して、喰い気味に訊ねる。


 まるで自分の心の奥底に眠っていた竜(ドラゴン)を起こされた気分だった。


 よりにもよって、このタイミングでその名前を聞くことになるとは。


「あっ」


 自分の失言に気付いたのか、カルロスは言葉を濁して咳ばらいをした。


「……ともかく、殿下のご結婚は皆が待ち望んでいることですので」


 カルロスのその言葉に、あろうことか陛下もうんうんと頷いていた。我が父ながら、本当に呆れてしまう。


(……私の幸せ? それは誰が決めるものなの?)


 結婚だけが幸せの形ではない。


 それにもし政略結婚になるとしても、本来自分が成すべきことを他人任せにする様な精神の持ち主とは願い下げだ。


「私は……」


 私は自分の意志を、もう一度口にする。


「――私は絶対に、結婚なんていたしません!」

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