終 怖い話は終わった

「どこに行ってたの! 昨日あんな話するからどうしたのかと思ったじゃない!」

 水戸先生について、安藤を家に送り届け、学校に戻る先生と別れて家に帰ると、時刻はすっかり遅くなっていた。母さんはとっくに帰って来ていて、俺が帰ってないのに気付いて、学校に電話したり、俺の友達の母さんに連絡網で俺が行ってないか聞いたりしていたらしい。

「ご、ごめんなさい……」

 俺が素直に謝ると、母さんはがっくりとうなだれた。

「よかった……」

「片桐が図書室で勉強するっていうから、付き合ってたんだ。本当だよ」

「あの本には触ってないでしょうね」

「触ってないし、もう図書室になかったよ」

「そう」

 元々、俺は図書室にあの本があるところを見たことがない。嘘はあんまり言ってない。遅くなった理由だけは本当ではないけど。片桐が、あの文字が水に溶けるってわかったのは勉強と言い換えることもできるから、全くの嘘じゃない。

 水戸先生が、あの本を神社の手水ちょうず(水戸先生が教えてくれた)に投げ込むと、手水の水はみるみるうちに黒くなった。こんこんと湧き出す水に押し出されて、黒くなった水があふれてこぼれ出す。やがて、ちょっとずつ水は透明になって、皆で覗き込むと、インクどころか、本すら跡形もなくなっていた。

「安藤さん、具合どう?」

 水戸先生がそっと安藤を覗き込む。そして笑顔になった。安藤はまだ泣いていたが、その涙はもう、透明な液体だ。

「よかった…ちゆ、よかった。もう大丈夫なんだね?」

 佐山が安藤を抱きしめて、泣き出す。よっぽど心配だったのだろう。安藤も佐山の胸に顔を押しつけて泣き出した。片桐が声を上げる。

「すっげー!何かやべぇ本だと思ってたけど退治しちゃったよ!」

「皆のおかげだね」

 水戸先生が俺たちに、ちょっと申し訳なさそうな顔をしてうなずきかける。

「ごめんね、さっき怒鳴っちゃって」

「いいよ。先生も必死だったし」

 母さんと同じで、俺達を心配してくれたのはよくわかる。先生はずっと、安藤を見捨てなかった。水戸先生がものすごく優しい先生なのはもうわかってる。だからだれも、先生を責めることはしなかった。

 その頃になって騒ぎを聞きつけて出てきた神社の人に、先生は適当な言い訳をして追い返した。さっきは誰か来てくれと叫んでいたのに、結構勝手だと思ったけど、何があったか言うわけにもいかない。

「さあさ、帰りましょう。安藤さんはまだ変だったらすぐ先生に教えてね」

「はい」

「じゃあ安藤さんを送って行くね。皆は今度こそ帰りなさい」

「せっかくだから俺も送ってくよぉ。俺もちょっと安藤のこと心配してたんだぜぇ」

「私もついてく。ちゆのお母さんに怒られそうになったらかばってあげるから」

「じゃあ、せっかくだから俺も」

 家に帰るまでが遠足とはよく言ったもので、なんとなく、安藤が家に帰るところまで見届けないと気になる。

「何だったのかな、あの本」

 安藤を送り届け、先生と解散し、途中まで3人で帰る途中で、佐山がぽつりとつぶやいた。

「わかんねーけど、きっと呪いの本だぜ。そうじゃなきゃあんなことにならねぇよ」

「誰が書いたのかしら」

「もういいじゃん。終わったんだからさ」

 片桐が言った。

「終わりよければすべてよし!」

「すごく気になるけど、まあ、そうだね。いいか、ちゆも助かったし」

 何だかすごく時間がたったように感じたが、振り返ってみればたったの3日だ。長い3日間だった。

(もうこれで、母さんもこわがらなくてすむんだ)

 でも、今日のことを話すのはまだちょっと勇気がなくて。だって母さんがやめてくれてってあんなに言ったことをやってしまったから。

 だから、もうちょっとして、俺が大人になって、母さんに守ってもらわなくてもよくなったころに、話そう。母さんが怖がっていたものは、実は俺が小学校の時になくなったんだよって。

 もうちょっとがどれくらいかわからない。今はまだ、カレーの匂いにわくわくしてしまう子どもの俺は、父さんが鍵を開ける音に気付いて玄関に迎えに行った。

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文字を吐く本 目箒 @mebouki0907

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