溶解(3)

 水戸先生と安藤は結構先に行っていた。でも、この辺の神社は1カ所しかない。あそこじゃなかったらもうおしまいだ。俺にも佐山にも心あたりはない。

 途中で、しゃがみ込んでいるランドセルの人影が見えた。男子だ。俺と佐山がそいつの傍を通り過ぎようとすると、その人影はこちらをくるりと振り返る。

「よお、高見沢と佐山じゃん。先生の話終わったの?」

 片桐だった。先に帰った片桐に追いつくくらいしか、俺たちは図書館にいなかったらしい。それとも、こいつが寄り道してたんだろうか。

「見ろよ、これ」

 片桐が指さしたのは、転がった缶コーヒーの空き缶だった。その口からコーヒーがこぼれている。こぼれた茶色いコーヒーの中に、黒いものが何か溶けている。

「これだよ、これ」

 わくわくしたように、片桐は指に摘まんだものを見せた。平仮名の「な」だった。安藤と先生がここを通ったらしい。

「安藤が落とした文字か」

「すごい勢いで、水戸先生に引っ張られて神社の方に連れて行かれてたよ。その途中で安藤さんがむせて出てきた字がこれ」

 そう言って、片桐は「な」をコーヒーの中に落とした。すると、みるみるうちに溶けていく。最後には、コーヒーの中の黒いしみになった。

「インクなんだ」

 佐山が何かをひらめいたように呟く。

「インクなんだ! あの文字は。だから、あの本を水に入れたらインクが全部溶けるかも!」

「なに? なに? 何の話?」

「安藤を助けられるかもしれない」

「すげぇじゃん」

「お前のおかげだよ」

「あ、ありがとう片桐くん」

 佐山が泣きそうな顔でお礼を言うと、片桐はきょとんとしていたが、「どういたしまして」と、笑顔で返す。本当に素直な奴だ。こいつの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい奴がたくさんいる。

「じゃあ俺も行こうか?」

「うん、来て」

 片桐が言うと、佐山がすぐに頷いた。1人でも仲間は多い方がいい。片桐も入れた俺たちは、神社に向かって走った。ランドセルの中で教科書が跳ねてやかましい音がする。置いてくればよかった。正直なことを言うと、重い。

 神社に到着すると、鳥居の向こうから、「誰かいませんか!」と水戸先生が叫ぶ声が聞こえる。もうその声は悲鳴みたいになっていて、ずっと誰かを探していたんだと俺でもわかった。

「巫女さんとかいないのかよ。神主さんとか」

 俺達が駆け込むと、水戸先生ははっとしてこちらを見る。安心したような、泣きそうな顔だ。

「どうして来たの!」

「先生、わかったかもしれない! その本を水に沈めるんだ! 安藤が吐いてるそれはインクと同じで水に溶けるから、その本をまるごと水に沈めれば全部溶けるかも!」

 先生は自分が握りしめるようにして閉じていた本を見た。そして、ひしゃくの並んだ、水の溜まっている台の中に本を投げ込んだ。

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