赫き銀嵐のカタリス

八山たかを。

第1話

【聖贄暦九十七年、黒鷹月・十五の日】

 大聖都バーセラスは、堅牢さにかけては大陸随一であった。

 三方を絶海に囲まれ、唯一陸続きである南側は、うずたかく積み上げられた石壁が何十にもそびえ立つ。

 無論、石壁には幾千もの機工槍弩バリスタが備え付けられ、数百年間現れていない侵入者に目を光らせていた。

 通りにあふれかえった人々の存在は、聖都の高すぎる人口密度を如実に表しており、それはすなわち、聖都のかつてない繁栄を意味していた。

 しかも、人々の顔はみな明るい。

 それほどまでに、聖都は活気に満ち満ちていたのである。


 そしてその日、大聖都バーセラスは一瞬のうちに壊滅した。

 元凶は、都市の中心部より発生した八枚の巨大な斬撃波である。

 二秒間隔で発生したこの斬撃により、家々はもちろんのこと、バーセラスの誇る大聖堂ですら、葉野菜のように切り刻まれた。

 運よく斬撃から逃れた人々は、運の無い人々から流れ出た夥しい血液の川の間を、訳も分からず逃げまどう。

 さらに運に見放された者たちは、崩落した建物に圧し潰され、死を待つだけの痛苦を味わう羽目になった。


 死屍と瓦礫の山と化したかつての大聖都。

 その中心部には、小柄な少女が一人立ち尽くしていた。

 深き深き黑をたたえる瞳と、枝毛ばかりで振り乱された銀髪は、あまりに痛々しい。

 土気色の襤褸ぼろの奥には、胸元に埋め込まれた赫々かっかくの魔晶球がある。

 そして彼女が、このちっぽけな子供こそが、十五万八千ものバーセラスの住人を死に至らしめた惨劇の立役者であった。


(カタリス、帰っておいで)


 どこからともなく聞こえてきた声に、少女はうなずく。

 そして少女は、薄い皮膚を瓦礫が刺すのを気にするそぶりを見せないで、聖都の残骸に埋め尽くされた道の上を裸足で進んでいった。

 一見すれば、災禍に巻き込まれた哀れな子供に思われただろう。

 しかし、この世界で前例のない規模の大虐殺を行ったのは、まぎれもない彼女である。

 誰にも知られぬうちに大聖都を壊滅させた少女は、何の表情もたたえずに、どこかへ去っていった。


――


「えー、うそじゃん」


 大聖都への山道を抜けて、わたしは口をあんぐりと開ける。

 冬の冷たい風が、外套越しに体温を奪っていく。

 わたしの家は果物農家だ。

 普段は森の中に住み、リーネムという果物を採って生活している。

 リーネムは食べられないが、貴重なモノらしく、とても良い値段で買い取ってもらえるのだ。

 そしてわたしは普段通り、塩漬けにしたリーネムも聖都へ売りに来ていた……のだが。

 わたしの視界の奥には、見るも無残に崩れ落ちた大聖都の姿があった。

 これでは普段取引している胡散臭い僧侶も、生きているかすら分からない。

 ましてや、代金を払ってもらえる可能性はさらに低いだろう。

 幸い、塩漬けにしたリーネムは日持ちする。

 ちょっとは悪くなるかもだけど、ひと月程度置いておいて、落ち着いたときにまた売りに来ればいいか。


「てわけで、家に帰るね」


 引いてきた荷車に向け、わたしは声をかける。

 返事は無いが、もとから無口な子だったから、聞こえてはいるはずだ。

 というのも、大聖都へ向かう道中で、わたしは一人の女の子と出会ったのだ。

 それはもう、それはそれは運命的な出会いで……というわけでは無かったけど、ボロボロの服に包まれた細い体を見て、わたしは黙っていられなかったんだ。


 少しぬかるんだ道を引き返そうと、わたしは荷車の取っ手に力を籠める。

 その時、遠くから駆けてくる一つの影があった。

 わたしは物珍しさを隠しもせず、その影が近づいてくるのを待つ。

 絢爛な白い鎧は、大聖都の騎士のそれだ。


「そこのお前、何者だ?」

「マフラー。果物売りのマフラーです」

「奇妙な名だな。私は聖騎士だ。偽りを申すのは無礼ではないか」

「本名ですよ」

「本当か?」

「ええ、父親がロクデナシだったもので」


 にこやかに応じるわたしに、騎士は整った顔を気まずそうに歪める。

 ごく自然に、相手が負い目を感じてくれること。それがこの名前でいる唯一のメリットだ。


「すまない、礼を失したのは私の方だったようだ」

「平気ですよ、慣れていますから」

「詫びと言ってはなんだが、果物を一つもらおう。何がある?」

「申し訳ありませんが騎士様、わたしの果物は聖堂の儀式に使うもので、食べるものではないのです」


 わたしが慣れた口ぶりで言うと、騎士はさらに困ったような顔をする。

 たっぷりと蓄えられた口髭からは、「壮年の実直な騎士」といった印象を受ける。

 鎧の装飾もかなり豪華だから、年齢相応に高い身分にいるのだろう。


「ところで騎士様、大聖都で一体なにが?」

「分からない。だが突然、大聖都が崩れ落ちたんだ。巨大な斬刃が走るのを見た者もいるが……」

「切断魔法でしょうか」


 わたしの考え無しな言葉に、老騎士はおごそかに首を振る。


「それは無い。巨大すぎる。おそらくは天災の一つだろう」

「たかが天災で、大聖都が崩れ落ちますかね」

「落ちないだろうな。だが崩れ落ちた。今までに無かったことが起きている」

「というと?」

「さあ、分からん。その原因を探るために、こうして一人で巡回に出てみたのだが……見ての通りだ。今のところ目ぼしいものは見つかっていない。大聖都以外は普段と変わらない光景だよ、不気味なほどにね」

「それはご苦労なことで」


 適当に相槌を打ちつつ、わたしは嘆息する。

 目の前にいる騎士は階級が高そうだ。その彼が何の情報も持っていないとなると、大聖都の人々は大混乱に陥っているに違いない。

 リーネムを売りに行けるようになるのは、まだ当分かかりそうだ。


「ところでマフラー、銀髪の少女を見なかったか?」

「王女様ですか?」

「そういう意味ではない。銀色の髪の少女だ」


 騎士の言葉に、わたしは首をひねって見せる。

「白い髪を持つ少女」に該当する人物は王女しかいないからだ。

 ここマグセン王国では、王家の直系のみ銀髪を持って生まれてくる。

 ほかの血糖では生まれながらに銀髪の人はおらず、また髪を銀に染めることは難く禁じられている。

 自分でも筋が通らないと思っているのだろう、騎士はごまかすように話を続けた。


「特に被害が大きかったのは、大聖都の中心部だ。そこで銀髪の少女を見かけたという証言が二、三あった。話を聞いていた限り、彼女はどうもこちらの方へ歩いて行ったらしい」

「見間違いでは? 遠くから眺めていただけのわたしですらちょっと混乱してますし、直接巻き込まれたのであれば猶更でしょう」

「その可能性はある。しかし今は、どんなことでも手掛かりが欲しい。猊下も同じ考えであられる」

「そうですか。ですが残念、わたしはお力になれそうにありません」

「やはり見ていないか。では、私はもう少しあたりを探してみるとするよ」


 そう言って、騎士は白馬の首を翻した。

 わたしはわざとらしく愛想笑いを返して、その白い鎧を見送ろうとした。


「ああそうだ。念のため、荷車の中を改めても?」


 騎士の言葉に、たぶん、わたしは表情を変えなかったと思う。


「ええ、もちろん。どうぞこちらへ」

「悪いな。疑っているわけでは無く、『しらみつぶし』という奴だよ」

「分かっています」


 口角は上げたまま。目は細めたまま。

 わたしは愛想笑いを崩さない。

 騎士は白馬から降り、荷車の後ろへ回った。

 荷車の中には、リーネムの塩漬けがたっぷり入った壺が五つ――だけじゃない。

 銀の髪の少女。わたしが騎士と出会う前に出会った、線の細い少女が載っている。

 騎士はそっと、荷車にかけられた布をめくりあげた。直後、彼は大きく目を見開く。

 視線の先には、銀髪の少女の屍があった。


「貴様、なにも――」


 振り返る騎士の言葉は、最後まで音にならない。

 彼の眼窩に突き立てられたナイフ、それを握るわたしの手。

 騎士は絶叫し、地面に倒れこむ。


「ガァッ!! 何を、バカなことを!?」

「……」

「やめろ止せ、俺は聖騎士で魔術師だぞ! 手を出したらどうなるか、いや待て、そのか――」


 騎士の声は頭蓋もろとも、路傍の岩に叩き潰される。

 わたしは入念に、入念に騎士の顔を岩で殴打し続けた。

 二十五回で完全に動かなくなり、そこからさらに二十回。

 人が通りかかったら大ごとになっていただろうけど、幸いにして不幸な通行人は現れなかった。

 わたしは落ちたナイフを拾ってため息一つ、なんとかして騎士を荷車に詰め込み、覆いの布をもとに戻す。

 ついでに、脱げていた外套の頭巾もかぶり直した。

 刹那。


「あれ?」


 違和感に従い、わたしは再び荷台の布をめくる。

 やっぱりだ。銀髪の死体が消えている。

 首を折った時の感触がまだ手に残っているから、死体になっているのは確実なはず。

 わたしの知る限り、死体が勝手に動くことは無いのだけれど。

 反射的に周囲を見回すわたしは、飛び上がった。

 なんのことはない。背後に銀髪が立っていたからだ。


「……なんで? なんで生きているの?」


 少女は答えない。不気味だ。

 さすがに怖くなって、わたしはナイフを少女の首に突き刺した。


――


 わたしの家で、銀髪の少女はスープを啜っていた。

 なぜ餌付けしているのか自分でも分からないが、家に帰った時に私はお腹が空いていたし、自分一人で食事をするのは、なんだか忍びなかったのだ。

 小刻みに動く少女の喉元には、傷一つ見当たらない。絶対に切り裂いたはずなのに。

 血だって出た。「血が出るなら殺せる」と聞いたことがあるけど、あれはどうやら嘘だったらしい。

 少女はカタリスと名乗った。彼女はとても無口で、自分の名前以外なにも言葉を発していない。

 唯一、「帰らなきゃ」を除いては。


「あなた、つんぼなの?」

「カタリスは、カタリスという名前」

「……だろうね」


 耳は聞こえているみたいだ。でも話は通じていないあたり、白痴なのかもしれない。

 私はため息をついて、羽織っていた外套を脱ぐ。すその端に付いた返り血に、わたしは更に顔をしかめた。

 首を折り、喉を割き、それでも少女は死ななかった。

 それを見たわたしは、半狂乱になって少女の頭を潰したけれど、家に着いた時には少女はケロリとした顔で荷台に腰かけていた。泣きそうだった。


「やっぱり、原因はその髪かな」


 王家の直系にのみ与えられた、白銀に輝く美しい髪。

 目の前の少女はボロボロだけれど、その銀髪だけはキラキラと輝いている。

 そもそも王家が王家たる所以ゆえんは、その絶大な魔力にある。

 銀色の髪は、魔力を増幅させる効果があるらしい。

 しかしいくら強力な魔法が使えたとしても、死んでから生き返ることは出来ないはずだ。

 髪を切ってから殺せば、殺されてくれるだろうか。


「カタリスは帰らないといけない」


 声の主を、わたしはしかめっ面で見つめる。

 銀髪の少女は、スープを飲み干していた。

 少女の言葉を無視して、わたしは器をあおる。


「カタリスは帰らないといけない」

「それはいま聞いた。どこに帰るの?」

「カタリスの家に」

「どこの家よ。ここも家だよ」

「ここはカタリスの家ではない」

「『そうかも』って思ってたよ。で、帰る家ってどこ? マゴニアの王宮とか?」

「王宮はカタリスの家ではない」

「あら、あなた王族じゃないの? 銀色の髪をしているのに?」


 冗談と本気が入り混じったわたしの問いかけに、カタリスは答えない。

 うんざりして、わたしはスープの残りを飲み干した。

 わたしが騎士を殺すのを、カタリスは目撃している。

 普段なら目撃者は殺してしまえば良いけれど、カタリスは殺しても死んでくれなかった。

 白痴と思うほどボンヤリとした子だから、妙なことを言いふらすことは無さそう。

 でもやっぱり、このままハイサヨナラとは行きにくい。


「困ったなあ」


 誰に言うわけでもなく呟いて、わたしは机に頬杖をつく。

 とその時、かすかに馬蹄が近づいてくるのが聞こえた。


「ああ、しまった。こっちの問題もあったんだった」


 わたしは立ち上がり、外套を頭からすっぽりとかぶる。

 馬蹄が家の前で止まるのを聞きながら、腰のナイフを抜いて背に隠し、なるべく間抜けな表情を準備しておく。


「カタリス、布団の中に隠れてて」


 自分で言っていて変な話だが、カタリスが素直に従ったことにわたしは驚いた。

 しかし今は、カタリスに気を取られている暇はない。

 下馬する足音。擦れた鎧が鳴る。殺した聖騎士の仲間だろうか。

 扉の横に身を隠し、わたしはジッと息をひそめる。


「誰かいるか?」


 戸を叩くと同時に、外から若い男が呼びかけてくる。

 さらに足音。戸の向こうには複数人いるらしい。

 わたしは内心で舌打ちしつつ、間抜けな顔を崩さない。


「はーい、なんですかー?」


 右手でナイフを隠したまま、わたしは左手で家の戸を開ける。

 案の定、そこには聖騎士の鎧を着た男が立っていた。

 視界の端にいるのも含めれば、全部で二人。


「こんにちはお嬢さん。夕暮れに失礼」


 戸の前に立った若い騎士が、にこやかに会釈する。

 つられて、わたしも会釈を返した。


「こんにちは。あなたは聖騎士様?」

「ああ、見ての通りだ。家に親御さんはいるかな」

「どうでしょう、答えられません」

「何故だ?」

「家に一人だと明かす娘は愚かで、わたしは愚かではないからです」

「これは失礼した。しかし俺たちは聖騎士だ。乱暴な真似はしないよ、賢いお嬢さん」

「なら安心しました」


 にこやかに言う若い騎士に、わたしはかわい子ぶって肩をすくめる。


「おい」


 離れた場所にいる騎士が、早くしろと言わんばかりに不機嫌そうな視線を向けている。

 若い騎士は、わたしにだけ見えるように眉を吊り上げた。

 おどけた仕草に、わたしは愛想笑いを返す。


「実は俺たち、人を探しているんだ。俺と同じような鎧を着た人を見なかったか?」

「聖騎士様を、ですか?」

「ああ、副隊長だ。このあたりを巡回すると大聖都を発ったきり、連絡が取れなくなっている」

「心配ですね」

「マメな人だからな。普段は絶対にこんなことは無いんだが……」


 本当に心配そうに、若い騎士は眉をひそめる。

 するとしびれを切らしたのか、もう一人の騎士がいらだった様子で口を挟んできた。


「何を無駄話をしているんだ、エドガー」

「すみません。ですが恐らく、彼女は無関係です」

「根拠はあるのか?」

「それは……無いですが」

「チッ、お前くらいの年頃の奴は、若い女に甘くなりがちなんだ」


 吐き捨てるように言って、年かさの騎士はわたしに顔を近づける。


「失礼お嬢さん、ちょっと家の中を見せて欲しいんだが」

「できません」

「何故だ?」


 当然の疑問に、わたしは慎重に言葉を選んでいく。

 わたしは、嘘をついてはいけない。


「その、申し上げにくいのですが」

「気にするな。なんだ」

「……わたしは処女です。いくら聖騎士様と言えど、家族のいない家に殿方を招くことは出来ません」

「ああ、そうか。それは済まない、一理あるな」


 年かさの騎士は目を瞬かせ、気まずそうに視線を泳がせる。

 その肩を、エドガーと呼ばれた若い騎士が叩いた。


「もう行きましょう。この子は何も知らない」

「あー、同感だな」


 その言葉に、わたしはホッと肩を下す。

 さすがに聖騎士を二人相手にするのは厳しい。

 彼らは騎士で魔術師で、わたしは魔術師ではないからだ。不意をついたのならともかく、真正面から渡り合えば到底勝ち目はない。

 わたしは彼らの誤解を解かぬよう、最後の一押しを試みる。


「それでは聖騎士様、あなた方の旅路に祝福が多からんことを」

「ありがとう。君も元気で」


 若い騎士――エドガーは、照れくさそうに

 すると、年かさの騎士がエドガーの肩を抱いた。


「エド、お前まさか……マジかよ」

「な、なんですか!?」

「お嬢ちゃん、どうやらコイツは、アンタに気があるらしい」

「バカなこと言わないでください! 俺はそんな――」

「おい、上官に向かってバカとはなんだ」

「そんなつもりじゃ……」

「分かってるよ。なあお嬢ちゃん、ちょっと頼みがあるんだが」


 年かさの騎士に水を向けられ、わたしは小首をかしげる。

 流れが、悪くなっている気がする。

 冷や汗をかく私に、年かさの騎士は言った。


「旅の土産に、頭巾を脱いでその可愛い顔を見せてくれないか。エドはまだ青いが、良い奴だ。アンタにも悪い話じゃないだろう」

「そんな、困ります」

「どうして? どんなに敬虔で貞操を重んじる聖教徒でも、顔までは隠さない。だろう? 頼むよ、な」

「ですが……」


 ここで今、頭巾をとることは出来ない。

 わたしが言いよどんでいると、年かさの騎士が何かに気づいたらしい。


「血の臭いがするな。アンタ、普段は何をしている?」

「果物を、大聖都に届けています」

「何の果物だ」

「リーネムを」

「リー……、なんだ? 聞きおぼえの無い名前だが」

「あまり知られてはいませんから」

「見せてくれ。興味がある。家にはあるのか?」

「ありますが、困ります」

「ちょっと失礼」


 年かさの騎士は扉をこじ開け、家の中を覗き込む。

 わたしは密かに抵抗するが、聖騎士に力ではかなわない。

 そしてなお悪いことに、年かさの騎士は中々に目聡めざとい男だったらしい。


「器が二つある。一人でいるんじゃ無かったのか?」

「片付け……忘れてしまって」

「怪しいな。エド、副隊長の通信石を起動してくれ」

「わ、分かりました」


 エドガーはくらくくりつけられた革袋から、青光りする石を取り出した。

 石は輝きを増し、直後、家の中で物音が立つ。

 こここ、ここここ――。

 乾いた音に、二人の騎士は互いの顔を見合わせた。


「お嬢ちゃん、どうして副隊長の通信石を、アンタが持っている?」

「答えたくありません」

「自分で何を言っているか、分かっているか?」

「落としたんじゃないですか、副隊長さんが」

「なあお嬢ちゃん、俺たちの知っている副隊長は、通信石を絶対に失くさない。そんな男じゃない。俺は十四の時からヤツを知っている。アイツは目立った才能は無いが、絶対にミスはしない男だった。だからこそ、アイツは副隊長を任せられるまでになったんだ」


 言いつつ、年かさの騎士は腰の剣に手を伸ばす。

 それまでの雰囲気とは打って変わって、彼は貫くような視線をわたしに向けた。


「頭巾を取って、顔を見せろ」

「できません」

「なら左手に持ったナイフを捨てろ。言っている意味は、分かるな?」


 貫くような視線は、本当にわたしを貫いていたらしい。

 透視魔法の存在を、以前わたしは聞いたことがあった。


「もう一度言う。ナイフを捨てろ。そして、俺に顔を見せるんだ」

「……嫌です」

「だったら、多少の怪我は覚悟して……待て、どういうことだ?」


 年かさの騎士は、わたしの背後に目を向けていた。

 つられて、わたしも振り返る。

 そこには、カタリスが無表情に立っていた。


「銀髪……マゴニアの王族がなぜここに?」

「カタリス、このバカ」

「お前たち、一体何者だ!?」


 一緒にされても困る、とわたしは思う。

 わたしはわたし。でも、カタリスのことは全然なにも分からない。

 二人の騎士は、完全に警戒態勢に入っている。

 これでは不意打ちも何もあったもんじゃない。

 わたしが途方に暮れていると、カタリスがのんびりと歩み寄ってくる。

 するとなぜか、年かさの騎士は数歩あとずさった。


「銀髪の娘、アンタ今日、大聖都に行ったか?」


 カタリスは答えない。

 纏うのは襤褸ぼろだけなのに、吹き込む冬の寒気にも、眉ひとつ動かさなかった。


「止まれ。動くんじゃない。俺たちは、聖騎士だぞ」

「カタリス、何を考えてるか知らないけど――」


 聖騎士は強い。

 暴力的なまでに強い。

 普通の魔術師でさえ、生身の人間では太刀打ちできない。

 そして聖騎士は、魔術師を選りすぐって訓練される。

 なんの誇張も無しに、千人力なのだ。

 もし彼らがわたしたちを捕らえようとするなら、それは若木を手折るより簡単なことだろう。


「もう一度言う、止まれ。そこから動くな」


 年かさの騎士の声は、かすかに震えていた。緊張の色だ。

 聖騎士の力は圧倒的で、それを知らぬ者はいないが故に、彼らの目には命令に「従わない人間が奇異に映るらしい。

 そしてカタリスはなお、ゆっくりとした歩みを止めなかった。

 その時、わたしはカタリスの胸のあたりが光っていることに気づく。


「アンタ、それ魔晶球――?」

「ご」

「は?」


 背後から聞こえた、奇妙なうめき声

 振り向いたわたしは、目を疑った。

 年かさの騎士の右肩から腰の左側にかけて、奇妙な線が走っている。

 彼はそのまま前に倒れこみ、おびただしいほどの血液で池を作った。

 うわー片付け大変そう。

 状況が理解できない私は、分かることだけ考えることにする。


「う、うわぁあああ!? なんなんだお前!?」


 完全に怯えきったエドガーは、愛馬にまたがって一目散に逃げだした。

 意味不明な状況から逃げるのは、判断として正しい。

 実際、わたしも逃げ出したかった。膝が笑ってて無理だったけど。


「マフラー」


 背後に立ったカタリスが、わたしの名前を呼ぶ。

 壊れた碌音石ろくおんせきみたいな奴だと思っていたけど、いつの間にか、わたしの名前を憶えていたらしい。ちょっと嬉しいのが悔しい。


「ねえ、これアンタがやったの?」


 年かさの騎士だったモノを指さして、わたしは尋ねる。

 その問いかけにカタリスは答えず、徐々に顔を近づけてきた。

 瞳の奥に、あかく燃える炎が――。

 思わず見惚れたわたしの唇を、カタリスが塞いだ。


「むぐっ――!?」


 混乱に混乱を重ねるわたしの頭。直後、鋭い痛みが走った。遅れて濃厚な鉄の臭い。

 カタリスがわたしの唇を噛み切ったのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 

「アンタ、本当に何をして――」


 カタリスの胸に埋め込まれた魔晶球が、燃え上がるように赫く輝く。

 言葉を失ったわたしをよそに、カタリスは口元の血を舐めとった。


はやくてながい鎌よ、走れ」


 聞いたことの無い呪文が、カタリスの口から紡がれる。

 彼女の視線の先には、もうすっかり遠くなったエドガーの背中がある。

 その背中が、馬の首ごと薙がれる。

 ぼとりと地面に落ちたエドガーの上半身は、数秒だけもがくそぶりを見せ、止まった。

 わたしは何度も瞬きをしたけれど、やっぱり見間違いではなくて。


「カタリス、わたし思ったんだけど――。大聖都を滅茶苦茶にしたのって、アンタなの?」

「正しい。カタリスの魔法には銀の血が必要。無ければ魔法は使えず、普通の少女とほとんど変わらない。マフラーと逢えたことは僥倖だった」

「じゃあ、二人を真っ二つにしたのも?」

「カタリスの魔法攻撃による。マフラー、あなたにはカタリスの願いを聞いて欲しい」


 本日二度目のイヤな予感。

 とっさに、わたしは首を横に振った。


「ゴメン、わたし『一人称が自分の名前の女』が嫌いなの。だからアンタのお願いは聞けない」

「カタリスの願いは、ある人物の殺害。対象はマゴニアの王女で、カタリスの生みの親。名前は――」

「メイティス。でしょ? よく知ってるわ」

「そう、メイティス」


 うなずいて、カタリスはわたしの髪を撫でる。


「マフラー。あなたと同じ銀の髪をしたあなたの妹を、メイティスを、カタリスと一緒に殺してほしい」


 カタリスの手の中で、わたしの銀の髪は場違いに美しく輝いていた。

 一方のわたし自身はというと、今すぐこの場で舌を噛んで死んでやろうか、かなり真剣に考えていた。


 ――つづく?

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赫き銀嵐のカタリス 八山たかを。 @8yama_tko

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