第30夜「月夜と理科部」(下)

 銀色の太陽が燦々さんさんと照らす月面――。


 真っ暗な縦孔たてあなエレベーターを抜けると、そこは色のない別世界だった。

 ライトグレーの砂丘の奥に、雲一つない黒い空。白と黒のコントラストに、シャープな境界線が美しい。モノクロームの世界で見る唯一の色は、三日月形の地球の青。

 太陽を背に空を見上げれば、見事な天の川がカメラに飛び込んでくる。どの星もまたたかず、ここが地球でないと証明している。


 ――本当に月に居るんだ。

 

 キョウカが丘の上に向かう道を登り始めたところで、ローバーの接近警報が鳴る。後方5時の方向に、見慣れない識別番号。新型機?


 ――ユキくん?


「おまたせ」


 2人はこうして月で会おうって、ちゃんと約束していたのだ。


「エヘヘ。いま来たとこ。そっちは、どう?」

「こっち? こっちは夜中の2時過ぎ。さすがに眠いよ。ふぁ」


 いつ聞いても優しい声。好きだよ。顔が見たいよ――。そんなふうに思いながら、キョウカは努めて明るく振る舞った。


「アハハ。ゴメンゴメン」

「メール、見たよ。天文部に新しい望遠鏡来たんだってね?」

「そう。研究所のお下がりだけどね。太陽望遠鏡!」


 彼の居るロサンゼルスと日本との時差は17時間。生活時間タイムラインは違うけれど同じ地球に乗っている。2人の会えない時間は電話とメールとチャットが埋めてくれていた。


「久しぶりに聞いた。キョウカさんの楽しそうな声!」

「フフフ。いいでしょ? 昼休みに活動する天文部なの。アハハ」

「ハハッ。昼の天文部に、夜の理科部? 上手いこと考えたね」


 彼は新型ローバーのロボットアームをぎこちなく動かすと、キョウカのローバーの金属タイヤにぽんっとタッチした。

 キョウカはユキのローバーを振り返った。愛くるしささえ感じる新型ローバーの双眼カメラが向けられている。キョウカはその奥のユキを想った。


「夜は夜でも、月夜だけ――月夜の理科部なの」

「えっ!? どういうこと?」


 ユキは思わず定番のフレーズを叫んだ。 

 月面基地とのレーザー通信は、月が見えていることが絶対条件である。そのため、理科部夜隊よるたいも最近は活動日を月夜に設定しているのだった。アヤもカサネも「月が出るとそわそわする」なんて言い出す始末だ。


「理科部も天文部もどっちも本気。浮気じゃないよ」


 キョウカがスパッと言い切ると、遠くでカサネがくすっと笑った。2人の会話はVRゴーグル越しだから、理科室の皆に筒抜けだ。すかさずスバルが気を利かせて「じゃあ、今夜は特別に、太陽望遠鏡を案内するよ」と皆を屋上に連れ出した。

 少しして、理科室に1人きりになったキョウカはユキに打ち明けた。


「……今日はね、特別な月夜なの」

「フフフ。そうだね」

「こうして、ユキくんに会えるからだよ」

「うん。俺もずっと、楽しみにしてた」


 じつは、8000キロ離れた2人が月夜を迎えられる時間は限られている。

 2人が見た今日の月は十三夜月じゅうさんやづき。これは地球上どこで見ようとも同じ形だけれど、見えるが違う。キョウカが見た月は東の空に上ったばかりでも、ユキはあと1、2時間もすれば西の空に月を見送ることになる。

 だから、2人が共有する月夜――月面基地で会える夜――はとても貴重だ。


 キョウカはカメラを左右に動かし、ユキの白い機体をまじまじと眺めた。


「新型ローバー。かっこいいね」


 ユキが操縦しているのは、NASAジェット推進研究所の新型ローバーである。2ヶ月ほど前に投入されたばかりの、正真正銘の新型機。研究所と大学の共同研究の一貫で使わせてもらえることになったそうだ。


「ヘヘ。いいでしょ? でもまだ訓練中。AIが上手く訓練できなくてさ。大学の課題もなかなか解けてないんだ……ハハハ」

「よーし、手伝うよ! ……じつはこっちもさ、レネさんの新課題がなかなかハードで、行き詰まってるんだよね……」

「OK。じゃあ交渉成立! とりあえずお互いのを転移学習してみようか?」


 新しいオモチャを買い与えられた子供のような彼の声が、キョウカにはたまらなく懐かしい。ユキはわざとらしく何か思いついた様子でキョウカに声をかけた。


「あ、そうだ! キョウカさん。これあげる!」

「えっ?」

「ほら、アメリカ来る前、くれたでしょう?」


 彼のロボットアームの銀色の指から2センチほどのガラス玉が手渡される。大きさといい繊細さといい、キョウカとてロボットハンドで受け取るのは一苦労だ。

 キョウカはそれをカメラに近づけ、じぃっとピントを合わせて眺めた。


 ――とんぼ玉だ!


「えっ!? どうしたの、これ?」

「ロボットハンドの手先の練習。余ってる光ファイバーをバーナーであぶってさ。ハハハ」

「きれいな月白げっぱく色! カワイイ!」


 月光を思わせる、青みを少し含んだ白。

 ほんの少し月の砂を入れるのがポイントだそうだ。偶然が作り出したまだら模様が、キョウカには月の上で遊ぶ2羽のウサギに見えた。

 

「ありがとう。あ、でも、せっかく貰っても、これじゃあ持って帰ってこられないね……。アメリカじゃなくて、月にあるんだもんね。アハハ」

「フフ、自明」

「……あ! じゃあさぁ、ここに埋めない?」

「え?」

「それで、10年後――いや何十年かかってもいいや。理科部の誰かが宇宙飛行士になって、これを地球に持ち帰るの。どう?」

「いいね! じゃあ念の為、写真に残そう。どこに埋めたかわからなくなっちゃうのは困るからね」


 そうして彼がロボットアームで器用に掘った深さの20センチほどの穴に、キョウカは花の種でも埋めるように、そっと大事そうにとんぼ玉を納めた。

 2台のローバーを並べ、ロボットアームの恋人繋ぎ。キョウカもユキも、肩を抱き寄せられないのがもどかしい。仕方なく、2人はカメラ取付マストを精一杯互いの方向に倒した。

 ユキは広角カメラ付きアームを伸ばした。ローバーの自撮りだ。背景には、遠くの白い丘と黒い空。2人の間に浮かぶ地球がなかなかフレームに収まらない。


「キョウカさん。もう少しこっち寄って?」

「えぇっ、もう限界。警報鳴りっぱなしだよ!」


 2人で写る写真なんて月神社で撮って以来だ――。キョウカはユキに会いたくて仕方なくなった。


「ユキくん……。私たち、また、会えるよね?」

「もちろん! 俺もキョウカさんも、同じ地球の、同じ宇宙に居るよ?」

「そうだよね。……ありがと」

「じゃあ、いい? 撮るよ? 笑って!」

「アハハ」


 いくら笑顔を作ってもローバーが写るだけなのが、キョウカにはたまらくおかしかった。

 そして2人が手をつないだまま振り返り地球を見上げた頃、屋上にいるアヤのスマホが鳴った。彼女は転送ダウンリンクされてきた写真に「地球みんな、ちゃんと写ってるよ」と目を細め、空を見上げた。

 夏の風に吹かれ、スバルもカサネも、そして2年生たちも皆、同じ月を眺めていた。



 私たちは皆、同じ宇宙に暮らし、同じ未来を共有している。

 大人も子供も。先輩も後輩も。そして、理科部も天文部も。


 だから、月を見たら思い出して。

 いつも誰かと、同じ月を見ているってことを――。



 『月夜の理科部』

  ―おしまい―

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