第30夜「月夜と理科部」

第30夜「月夜と理科部」(上)

 皆既月食の夜以来、月夜は理科部夜隊よるたいの活動日となった。


 東の空に上ったばかりの十三夜月じゅうさんやづきに照らされ、キョウカとカサネは砂埃を上げて校庭を走っていた。ローラーがけされた灰白の校庭の真ん中には、もう幾筋も理科棟に続く足跡が並んでいる。


 じわりと汗ばむブラウス。袖から入る8月のぬるい夜風が気持ちいい。誰も居ない教室と、非常口の常夜灯。静まり返った教室の窓で、キョウカの明るい声が響く。


「アハハ。あの日も、みんなで走ったね。研究所の正門からさぁ」

「ほら、キョウカ! 急いで! 時間決まってるんでしょ? 遅れちゃうよ!」

「うん。もうじき月が沈んじゃう! うっかりしてた!」


 ハアハア言いながら階段を登ると、その先の静かな廊下にスバルとアヤの口論が漏れだしていた。


「だ・か・ら! 太陽フレアのロマンがわからないかなぁ……」

「だ・か・ら? 望遠鏡ならこの前、研究所から譲り受けたじゃないですか?」

「違うんだよ! 今度は磁場を見るの。磁場!」

「違いません! とにかく、天文部の機材のことでしたら天文部の活動費を充てるのではだめなんですか?」

「そう、固いこと言わずにさ、アーちゃん――」


 相変わらず仲のいい2人だ。


「コホン。あのぉ、お取り込み中、すみません」


 キョウカが扉を全開にして声をかけると2人の口論はぴたりと止み、スバルは「キョウカ! ちょうどよかった」と八重歯を出して笑顔で振り向いた。

 彼は大学が夏休みに入ったとかで、ここのところ毎晩のように理科室に顔を出していた。そしてついに、理科部の活動費で望遠鏡を新調しようとしていたのが、アヤにバレてしまったらしい。


「アヤちゃん、ごめんね。もう、羽合はわい先輩! 磁場望遠鏡は衛星のを使うことにしたってメールで言いましたよね?」

「あは。ほらぁスバルくん! 部長がこう言ってますから。ね?」


 アヤがキョウカをチラチラ見ながらスバルをなだめる。

 天文部の部長になったキョウカの最初の仕事は、情報通信研究所からの太陽望遠鏡の移設であった。理科棟屋上の望遠鏡を研究所に移した代わりに、研究所で使われていた太陽望遠鏡を譲り受けたのだった。おふるとは言え研究の第一線で活躍していたもので、高性能フィルター付きの本格的な太陽望遠鏡だ。


「エヘヘ。先輩、天文部の話は、またお昼に――。さぁ、アヤちゃん。始めよう?」

「ふふ。よーし。キョウカちゃんも揃ったことだし、始めましょう」


 月面ローバーに課せられた次なるミッションは、裏面にあるクレーター電波望遠鏡の建設だ。顧問の得居とくいの元には、レネからのお願いメールがいくつもの課題とともに既に届いていた。

 しかしその前に、夜隊よるたいには今夜しなければならないことがあった。それは、レネのデータを取り戻すために1番コンテナに残してきたブレードを、元の9番コンテナに戻す仕事だ。

 先月末まではレネとノベルで「太陽フレア爆発のせいだ」なんてとぼけていたらしいが、それもさすがに限界に達し、ようやく重い腰を上げ元に戻すことになったのだ。


 今夜は月面基地とのリアルタイム通信で、実際の月面ローバーを動かす。皆既月食の夜にそうしたように、理科室の中は3、4人ずつの班で実験テーブルに別れ、みな黙々と調整を進めていた。

 月面基地との通信の確立を任されたのは2人の2年女子、ハルミとミノリ。ブレードを抜く前にサーバーに走らせるダミー量子プログラムの実行は、2年男子のコンビが買って出た。

 もちろん、キョウカ率いるローバー班が肝となる。何が起こっても良いように、今夜は3台体制で臨む。


 準備が整うのを見計らい、アヤは久しぶりの月ミッションに目を輝かせて各班の最終確認を始めた。


「通信班」

「GOです。霜連しもつれさん」

「計算機班」

「GOです」

「ローバー班」

「GOだよ。アヤちゃん。さぁ行こう!」


 VRゴーグルの先は月の地下洞窟。クロスワードパズルを難なく解いたキョウカのローバーが先頭になり、2台のローバーが後に続く。キョウカの「1番コンテナ」という指示を受けたローバーが、低速でコンテナに向かう。キョウカは、ようやく訓練が反映されたと、ほっと胸を撫で下ろした。


 ロボットアームでコンテナ扉を開けると後を振り返り、キョウカは2人に声をかけた。


「まず、私のローバーが5番ブレードを戻すから。そしたら、イチコちゃん、ジュンコちゃんの順番で行こう。いいかな?」

「は、はいっ」

「OKです」


 レネのデータはもう入っていないとは言え、ブレードを損傷したら大問題だ。2年生の2人はシミュレーターでたくさん訓練してきたが、実物のローバーを動かすのはこれが初めてだ。いくら注意しても注意しすぎることはない。

 今夜のキョウカには作戦があった。まず彼女の操縦をAIに学習させ、それを2人のローバーのAIに伝授するのだ。このとき、ローバーからローバーへは手取り足取り教える必要はない。〈転移学習〉という仕組みにより、あとに続くローバーにはキョウカのローバーの経験が瞬時にコピーされ、その分だけ賢くなった状態で同じ課題に臨むことができるのだ。


 さっそくキョウカは危なげないローバー裁きで1番コンテナからブレードを取り出すと、洞窟の奥へと消えた。しばらくして戻ってくると「5番OK。じゃあ次は、イチコちゃん。学習完了マークが出たらスタートね」と言ってバトンタッチした。


「は……はいっ」


 少し緊張した彼女のトーンに気づいたキョウカは「大丈夫。リラックス! 練習どおりやれば大丈夫だよ」と優しく声をかけた。

 やがて、少し時間はかかったものの、キョウカの操作を学習したAIに支援された2年生の2人もブレードを無事に9番コンテナに戻すことができた。慎重に作業を進めていた2人は、ようやく「ふぅ」という安堵の声をもらした。最後に計算機班の2人が「サーバー、OKです」と正常動作を確認すると、作業完了だ。


 それを聞いたキョウカはVRゴーグルも外さずに、2人に話しかけた。


「ゴメン。私、予定あるから、行くね」


 そしてスキップでもするように、キョウカはローバーをエレベーターに滑り込ませた。

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