第27夜「日食と月食」(下)

「君が好き」


 目の前まで来てじぃっとユキの顔を見つめるキョウカ。皆の視線が「えっ?」と2人に集まる。

 彼は落ち着いた様子で、少しだけ頬を赤らめて「ふふっ」と優しい笑顔を返した。


「でもキョウカさん『月も好き』って言うんでしょ?」

「うん! だって――」


 キョウカは走馬灯のように皆の顔を思い出した。これはカサネの言うとおり、どっちも本気でどっちも浮気なのだ。そして量子ビット0か1か決まらず、いろんな影を落とすと得居とくいに教わった。アヤは昼と夜でキャラが180度変わり、スバルは大学生なのに子供だ。

 

 ――世界はみんな優柔不断で、みんな欲張りなんだ!


 『君』か『月』か選べないなら、どっちも選んでしまえばいい。量子の世界なら、それが許される。洗濯したてのバスタオルみたいな、ふわっふわの可能性が優しく包み込んでくれる世界に、キョウカは飛び込んだ。


 ――私、優柔不断やめない。だって「それでいいよ」って、キミが言ってくれたから! 


「ユキくん!」

「ああ。〈重ね合わせ〉でしょ? 自明!」


 キーボードの上をユキの繊細な指がタタタッと軽快に走る。


 [yuki@quantum01 ~]$ qudo chmod -R 777 ./

 『僕が好きな月が好きな君』 僕が好きなのは?

 qpassword: **************


 カタッという甲高いリターンキーの音がコンテナに響く。

 程なくして、量子ユーザー命令によりアクセス権が無事に変更されたという通知が画面に現れ、一同はほっと胸をなで下ろした。

 やはり先程のチューリングテストは2択ではなく、『君』と『月』を量子モードで両方答えるのが正解だったようだ。


 ベル測定プログラムの再実行を知らせる進捗バーがゆっくりと動き出す。

 5%……10%……15%……20%……。


 アヤはストップウォッチを見ると大声で「皆既食の終わりまで、あと20分!」と叫んだ。コンテナルームの中の空気が一気に張り詰める。

 30%……50%……70%……。


 固唾を呑んで見守っていたキョウカは堪えきれず、ついにユキに声をかけた。


「ユキくん? 間に合いそう?」

「たぶん大丈夫。もう戻れない――あと25秒」


 80%……90%……。

 

 キョウカは顔の前で手を組むと、祈るような気持ちで目を閉じた。そして、あの日みた本館ビルを思い出すと、ガラス窓を下から上へと数えた。


 ――あと、25秒。お願い……。


「……」


 キョウカが展望台まで数え上げ目を開けると、ついに進捗バーは100%に到達した。レシピの出力が通知され、間髪入れずユキがスバルに声をかける。2人の理系男子の画面の中で「はい。先輩!」「お、サンキュ」とメロンソーダを渡すみたいなやり取りが行われる。


 地球をじっと睨んでいた月面望遠鏡から、いよいよレシピデータを載せたレーザーが発射される。赤外線のため人の目には見えないが、キョウカが念の為にと向かわせてあったローバーのカメラは、その様子を鮮明に捉えていた。


 皆既日食により真っ暗になった月面から見上げる満点の星空。逆立ちする北斗七星と瞬かない二重星。一筋の白線が天の川に浮かぶ黒い地球を射抜いた。

 月面から送られてくる映像に、居ても立ってもいられなくなり、何人かがコンテナハウスの外に飛び出していった。月が見たくて仕方ないのだ。

 キョウカも目に涙を浮かべながらユキの袖を引いた。


「ねぇ、迎えに行こう?」

「えっ?」

「レネさんを!」


 屋上に出ると、そこには見たこともない光景が広がっていた。

 望遠鏡から伸びる一筋のレーザーが、赤銅色の月を必死に繋ぎ止めている。ピンと張ったロープのようだ。手繰り寄せるようにして、月からデータが送られてくる。もう手の届くところまで、来ている。


 ――おかえり。レネさん!


 キョウカはこの気持ちをどうしても誰かと共有したくて、ユキに話しかけた。


「アハハ。竹取物語とぜんぜん違うね、私たち」

「えっ!? どういうこと?」

「月面基地のかぐや姫はさ、月から帰ってくるんだもん」

「ハハハ。ホントだ! 逆だね」


 コンテナを振り返ると涙でボロボロのレネが、アヤとスバルに肩を抱かれ歩いてくる。最後に出てきたショーコが手を振りながら、月まで届くくらいの明るい声で叫ぶ。


「受信完了! データに欠損なし! みんな、おつかれ〜」


「やったああ!」「よっしゃああああ!」「わぁぁあ!」と歓喜の声が上がる中、アヤはキョウカを見つけるとすぐに駆け寄ってきて、むぎゅっと抱きついた。すかさずカサネも飛びついてきて背中をバンバンと叩く。3人ともお互いの泣き顔に大笑いした。


「わぁああ、キョウカ!! ウチらやったよ……やったんだよね?」

「うん。理科部にカサネが誘ってくれて良かった!」

「みんな、頑張ったよね。うまくいって本当に良かった……」

「うんうん。それに、アヤちゃんが部長で本当に感謝だよ!」


 レネは長い髪を下ろし、頬に涙をしたたらせながら空を見上げていた。その絵画のような美しさに恥ずかしそうな月が顔を出し、優しい光で彼女を照らし始めた。皆既が終わる。

 久しぶりのまばゆい月光に目を細めると、彼女はお決まりの台詞を呟いた。


「あの、ひとつ言い忘れてたけど――」


 いつの間にかレネを中心に輪になるように集まった一同は、彼女の一言に肝を冷やした。キョウカとユキだけはもう慣れたもので「やれやれ」と肩をすくめて笑った。

 もう今夜は、彼女のための月で、彼女のための時間だ。何に使おうか?


「……みんな、大好き! ほんとうに、ありがとう!」


 こうして、理科部の実験たたかいは幕を閉じた。

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