第27夜「日食と月食」
第27夜「日食と月食」(上)
太陽――地球――月。
3つの天体がこの順で一列に並び、月が地球の影にぴったり収まる偶然が起こると皆既月食となる。
このとき月面基地からは、太陽が地球によって覆い隠される皆既日食が見られる。地球が身を挺して、有害な放射線や太陽風から月面基地を護ってくれるのだ。
地球から月に伸びる38万キロメートルの影。その中を針のようにレーザー光線を通すことができれば、太陽風の影響を最小限に抑えた通信が行えるという算段だ。
スバルとレネは部屋の最前列に陣取り、まるで10年来のコンビのような阿吽の呼吸で量子通信確立の手順を進めていく。
「皆既まであと1分。
「ええ。テレメトリに異常なし。もつれ光子対発生準備中。望遠鏡はどう?」
「両方とも追尾OKっス。地球側1.5メートル鏡の
早口で言い終えたスバルはおもむろに後を向き、勢いよく開いた引き戸から飛び込んでくるアヤとショーコに手を振った。こんなときでも、よく周りが見えている男だ。追跡班の2年生も合流し、これで晴れて理科部15人全員が揃った。
早速アヤがスバルに声をかける。
「よかった……間に合った! スバルくん……心配したんだよ!」
「ハハハ。ゴメンゴメン。終わったら、ちゃんと説明するからさ、アーちゃん」
アヤは怒りと安堵の入り混じった表情で正面の掛時計に目を移し「――23時39分」と呟いた。振り子のように揺れていた2つ結びがピタリと止まり、彼女は首から下がるストップウォッチを握りしめた。
――ついに、皆既月食が始まる。
地球から真っすぐ伸びる影が、月へと続く漆黒の道を作り出す。
その途中、地球から32万キロメートル地点に浮かぶ量子通信衛星〈かささぎ〉から、2本のレーザーが音もなく発射される。1つは地球に、もう1つは月に向かう。
本館屋上の1.5メートル望遠鏡が即座にこれを受信すると、データは本館ビルを光速で駆け下り、地下5階のサーバーに量子データ形式で保存される。
月面基地でも同じようにして、月面望遠鏡の観測データは瞬時に地下洞窟内1番コンテナのサーバーに送られる。
「ユキ、あとよろしく」
レネもポニーテールをしならせて振り向き、ユキの目を見てコクリと頷いた。彼は震える小指をエンターキーの上で浮かせたまま「ベル測定プログラム、実行します。
量子コンピューターでこのプログラムを実行すれば、オリジナルの量子データは破壊され、もう元には戻せない。そんなことは、レネが一番よく分かっているはずだ。それでも彼女は少しの
ユキは後ろに立つキョウカを一瞬振り返ったあと、すぐに目線を正面モニターに戻し、静かにエンターキーを押した。
彼のラップトップ画面がミラーリングされた正面モニターを、皆食い入るように見守った。
量子レジスタの初期化、量子プログラムのコンパイル、量子データへのアクセス開始。ここまで順調だ。進捗バーがゆっくりと伸びてくる。
5%……10%……15%……。
――アクセス権限エラー
彼は
「ユキくん。大丈夫? 落ち着いて!」
「いや、これ、落ち着いていられる状況?」
「いいから! 落ち着いて! これ、あれだよ。お父さんの言ってた――」
「――あっ!」
彼はなにかに取り憑かれたようにキーボードを叩くと「プロテクトか!」と大声を上げレネの量子データのアクセス権の変更を試みる。結果待ちの2秒の通信タイムラグがじれったい。
やがて正面スクリーンに、AI封じのためのチューリングテストが大きく映し出された。黒背景に白文字で、こう書いてある。
『僕が好きな月が好きな君』 僕が好きなのは?
「……何これ?」
「なぞなぞ……かな?」
AI向けのなぞなぞである。自然言語の
想定外の事態に「とんち問題?」「待って、定義がさ――」「意味わかんね!」と騒然となるコンテナハウス。皆が頭を抱える中、キョウカの優柔不断だけがじりじりと思考を前に進めていた。彼女は一人ブツブツと呪文のように問題文を唱え始めた。
「僕が好きな、月が好きな君……。僕が好きな月が、好きな君……」
前者は「僕は、月が好きな君のことが好き」という意味だから、『僕』が好きなのは『君』だ。一方、後者は少し変だけど、意味は「君は、僕が好きな月のことが好き」だろう。それなら答えは『月』だ。
なるほど。読点をどこに置くかで意味が全く変わってしまうのだ。
――これって…………2択?
そうと分かれば怖いものはない。
答えはもちろん――。
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