第22夜「想いと想い」

第22夜「想いと想い」(上)

 ドンピシャなタイミングの乗り換え。駆け抜けるエスカレーター。


 ――はやくはやく! 東京テレポートに私を転送テレポートして!!


 キョウカは夕暮れのお台場を急いだ。街行く人の楽しそうな姿に目もくれず、レネの研究室を目指し遊歩道をひた走る。もう1秒も無駄にできない。足元を照らす月の形の街灯が、逆順で満ち欠けする。

 息を切らせて科学館までたどり着くと、そこは休日の穏やかな時間が流れていた。ガラス越しに見るホールには大勢の人。皆が見上げる先には、大きなLEDの地球が浮かんでいた。

 すると、モノレールの駅まで伸びるプロムナードを、誰か走ってくるのが見えた。


 ――ユキくん!?


 ここで彼に会うのは、偶然のようにプログラムされた必然に思えた。


「あれ!? キョウカさん? どうして?」


 質問に質問で返さないでよ、と思いながらキョウカはちょっぴり嬉しそうだ。


羽合はわい先輩が、行けって……」

「え? 俺は、霜連しもつれさんに……。部長命令だって」

「えーっ! それじゃあ――」


 こうして、本当の気持ちに気付いてないのは当事者の2人だけということが分かる。ユキは照れくさそうに「はい、これ」と銀色のトークンをキョウカに手渡した。月面基地にある量子コンピューターのアクセス用パスコードが表示されるらしい。どこから入手したのだろう。

 

 レーザー通信、月面望遠鏡、量子コンピューター。それに2人が育てた月面ローバーもある。パズルのピースはこれで全部揃ってるのだろうか?


 恥ずかしそうに「あ、とんぼ玉! 使ってくれてるんだ」なんてキョウカの首元にぶら下がる琥珀色の月を指差すユキ。スマホにぶら下がる白うさぎの根付けを自慢気に見せてきて「へへ、俺も使ってるよ」と照れ笑いした。

 どちらも2人の手作りで、あの日に交換したものだ。2つが揃わないと開かない鍵。広い宇宙で誰ひとり解けない、2人だけの秘密の暗号。

 ユキは優しい眼差しでキョウカを見つめ、そっと話しかけた。


「ほら、これでスマホは間違えない。ハハッ」

「そだね。アハハ」


 そうだ――。2人の出会いはスマホの取り違えから始まったのだった。それ以来ずっと、キョウカはユキのことを見ていたのだ。

 彼女は思い切った表情で、心のうちを彼に明かした。


「あのさ、私、ようやく分かった」

「?」

「ずっと考えてたの。憧れの先輩に想いを伝えてみて。それで、レネさんのデータをダメにして、カサネの前でわんわん泣いて……」

「うん」

「でも私、優柔不断やめない。それでいいよって、キミが言ってくれたから」


 あの日、キョウカが彼に想いを伝えたのも夕暮れのお台場だった。優柔不断で飽きっぽく、嘘つきですぐ気移りする恥ずかしいキョウカの姿を、彼は笑顔で認めてくれた。

 ユキは穏やかな顔をして、彼女の潤んだ瞳を静かに見つめた。科学館の地球ディスプレイが月に模様替えされ、彼のセルぶちメガネが鏡のようにそれを映す。


「私、世界から嫌われて、宇宙に見放されてもいい。でも、ユキくん。私、キミだけは悲しませたくない」


 一緒に、ウサギだらけの神社に行ったことを思い出す。

 理科部員がこんなときだけ神様に頼るなんて非科学的だねと、あの時キョウカは笑った。運を天に任せるというが、そのこそが太古の昔からずっと、寸分の狂いもなく動いてるのに。


 ――あの日、私が泣いたのはね、別れが寂しかったからじゃないよ。


 ユキの未来に、なにもできないことがどうしようもなく悔しくて、それで泣いたのだ。きっと2人が出逢うことは、宇宙誕生の瞬間から決まってたというのに。


「――キョウカさん!」

「あ、ゴメン。私、なに言ってるんだろね。ほんと、ゴメンね」

「いや、謝らなきゃいけないのは俺のほうだよ」

「え!? どういうこと?」


 懐かしい問いかけに思わずユキは「ぷっ、ククク」と噴き出し、キョウカはつられて「アハハハ……」なんて胸を押さえて笑った。


「――竹戸瀬たけとせさんのデータ。一人でなんとかするなんて見栄張ってさ。ゴメンね。キョウカさんが、いろいろ頑張ってくれてたの、知らなかった……」

「ううん。いいの……。私もいっぱい、嘘ついてきたから――自分に」

「フフッ」


 キョウカは彼だけには嘘をつくまいと心に決めていた。彼の想い人が誰であれ、ありのままの自分で勝負しよう。お互いの想いがすれ違ったその先に、どんな未来が待っていようとも。


「あの……あのさ」

「?」

「私の全部、キミにあげる! 心も身体も、全部。返してもらった月面望遠鏡も、大事に育てたローバーもあげる。だからさ……大切な人の笑顔、一緒に取り戻そう?」


 ぎこちなく向かい合う2人に、ガラスの向こうの大きな月が微笑みかける。ユキはきょとんとした表情で「えーと、さぁ」と後ろ頭をポリポリ。そして、彼女のあふれんばかりの気持ちを全て受け止めようと、夕陽みたいに笑った。


「――俺の一番大切な人、目の前で笑ってるよ?」


 彼は戸惑いがちに一歩近づくと、キョウカの長い髪を優しくなでた。


「あ……」

「……フフ」

「えっ? あ……。えええっー!」 


 ――ちょ、ちょ、ちょっとストップ。理解が追いつかないよ。どういう意味? そういう意味? 落ち着け、私! 静まれ世界!


「ずっと、伝えられなくてゴメン。いくらでも機会はあったのにね……」

「ユキくん……」

「かけがえのない人だって気付いたときには、キョウカさん、もう隣に居なくてさ」


 恋人のような関係じゃなく、今度こそほんとうの恋人になれるのかな、なんて思ったキョウカは、包み隠さずに全部を彼にぶつけると決めた。


「ユキくん。やっぱり私、ユキくんのことが好きだよ」

「俺も好きだよ。キョウカさん」


 そうして2人は〈スキ〉というたった2文字を交換しただけで、宇宙の秘密の全てを知ってしまったような気持ちになった。もう何も怖くない――。

 太陽嵐も物理法則も、何もかもが味方してくれるはずだ。


「……えへへ。嬉しい! 大好き!」


 さぁ、まだ間に合う。

 大切なデータを取り戻しに、一緒に月に行こう!

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