第22夜「想いと想い」(下)
2人は守衛所で受付し、研究棟5階のレネの部屋に急いだ。
多くの人で賑わい、暖かな夕陽の注ぐ科学館側と打って変わって、研究棟は
キョウカはスバルの言葉を
「お久しぶりです。レネさん」
「あらぁ、おふたりさん。お揃いで」
マグカップを片手に「どうしたの?」と明るい声のレネが出迎える。ボーダーのトップスにデニムのロングスカート姿で、リラックスした表情だ。
研究所で泣き崩れる姿を見て以来、キョウカは彼女が自暴自棄にでもなっているのではないかと心配していた。幸いなことに、それは
「レネさん。月面望遠鏡のサイト、見てもらえますか?」
スバルから戻ってきたトークンを使い、月面望遠鏡の利用申請サイトにアクセスする。レネは長い髪を耳にかけながら、ラップトップのモニタを指でなぞって慎重に確認した。
「! ――これって……」
驚いたことに、月面望遠鏡は地球に向けられていた。観測開始は4月25日の23時39分――皆既月食の開始時刻だ。
「
レネはラップトップを開いたままテーブルに置き、わけが分からず顔を見合わせる2人に微笑みかけた。「コーヒー、いれるね」と部屋の隅に行き、2人のためのカプチーノが出来上がると、部屋中にいい香りが漂った。
「あの時もね、月と地球との間のレーザー通信に使ったの。光学望遠鏡はね、地球からのレーザーを受信するだけじゃなく、送信にも使うのよ」
「えっ? 望遠鏡からレーザーが出るってことですか??」
「ふふ。そうよ? アレ、私、変なこと言った?」
月と地球の間のレーザー通信は、向かい合わせにした2台の光学望遠鏡を1本のレーザー光線が糸電話のように結んで行われる。レネによると、38万キロメートル離れた2つの望遠鏡の鏡の向きを、精度良く揃えないといけないらしい。そのため、月側・地球側ともに、高性能の望遠鏡が必須となる。
しかも、地球の自転によりレーザーの照射角は刻一刻と変化する。2つの鏡のズレはわずかなものでも致命的だ。通信速度の低下や最悪の場合データが喪失する。そのため、高精度の制御も要求されるのだった。
理系男子が「すっげ」なんて目をキラキラさせるのを横目に、キョウカは「攻撃用のレーザーじゃないよ」と口元の白い泡をぺろりとなめた。マグカップをテーブルに置くと、彼女はレネに打ち明けた。
「地下にあるサーバー? 行ってみたんですけど……練習に」
「え? ああ、シミュレータで?」
「はい。でも、
「そうよ――あれ? 言ってなかったかしら?」
相変わらず大事なことを後から言うレネ。クラスメイトに悪ノリするみたいなトーンで「量子データは、量子コンピューターでアクセスしないとダーメ」なんて笑う。
「――あ! そういうこと!? ――レネさん、これ」
「?」
「これで、量子コンピューターにアクセスできるみたいです」
キョウカは「そうだよね?」という視線をユキに送りながら、銀色のトークンをテーブルに置いた。レネは宙を見て、人差し指を頬に当てながら首をかしげた。大人の女性がふと見せる子供っぽい仕草に、キョウカは「どこで身につけるんだろう?」と羨ましい。
月面基地附設の量子計算機センターには、望遠鏡の観測データを処理するため高性能量子コンピューターが設置されている。利用には月面望遠鏡とは別に申請が必要だ。世界各国の研究者から提出される提案書の中で、選ばれたもののみに
「ダメ元で申請してみたんです。
「すごい! これがあれば――うん、なんとかなるかも……」
ここ数ヶ月のユキの苦労を思い、レネは俄然やる気を見せた。腕まくりして立ち上がると、ホワイトボードを引っ張ってきて、その上にきゅきゅっとマーカーを走らせた。
〈月面ローバー〉〈月面望遠鏡〉〈レーザー通信〉〈量子コンピューター〉
3人の目には、必要なピースはこれで月面に全て揃ったように見えた。
問題は、これらをどういう順番で使えば量子データを壊さずに地球に持ち帰れるか、だ。
レネは不安と興奮が入り混じった顔で「こういうときはゴールから考えるの」と、自分に言い聞かせるように呟いた。
データが地球に届くのがゴールだから、当然その1つ前は〈レーザー通信〉だ。ユキは「さすがにこれは自明」と手元の緑マーカーで〈4〉とつけた。その前は、地球への照準合わせの望遠鏡だろう。レネは彼からマーカーを受け取り〈月面望遠鏡〉の脇に〈3〉と記した。
残るは2つ。渡されたマーカーを手にキョウカは深く考え込む。量子データには量子コンピューターでアクセスするのだから〈2〉は決まり――あれ? 月面ローバーは不要?
手はぱたりと止まり、3人の間に沈黙が流れた。
ピースが足りないのならまだしも、ここにきて余るというのはいかにも変である。キョウカには、思い描いているパズルの完成図そのものが違っているとしか思えなかった。
「押してダメなら、もっと押せ……だ」
親友の名言をキョウカが呟くと、レネもユキもその意図を瞬時に汲み取った。大丈夫、3人の想いはひとつの方向を向いている。そっち向きに、もっと押せばいい。
余って困るなら、もっと余らせよう。何に使うか今は分からないピースも、形にならない想いも全部持ち寄って。そして――。
――もっと、ずぅーっと大きな完成図を描かなきゃ!
キョウカは、理科室にまだたくさん転がっている
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