第20夜「雪月花と松竹梅」(下)


「紅茶、のむ?」


 そう言うと、カサネはいそいそとガラス扉の棚まで行き、ビーカーとアルコールランプ、三脚やらをガチャガチャと持ってくる。〈コウチャノム?〉は〈ハナビヤロウヨ!〉と並び、キョウカのご機嫌をとる2大魔法だ。

 キョウカは無言のままセーターの袖で涙をこすると、準備室に行き理科部のラベルが貼ってある広口試薬瓶を取ってきた。

 

 ビーカーを金網にのせ、アルコールランプの火にかける。湯が沸くまでの間は、揺らめく炎をただじっと眺める〈陰〉の時間。黒い実験台の真ん中で揺れる炎を、ひたすら眺めて過ごす。

 しっかり沸騰したら火を止め、試薬瓶から茶葉を取り出す。2人のお気に入りのアールグレイだ。ステンレスのやくさじで2杯半すくって湯に入れると、ここから3分間は〈陽〉のひとときだ。

 フタをしたビーカーの中で、茶葉がふわんふわんとダンスする。茶こしを通し、ティーカップ代わりの取っ手付きビーカーにいい香りとともに注げば、理科部謹製・ビーカー紅茶の完成だ。

 

羽合はわい先輩とは上手くいってんの?」

 

 カサネはまだ熱いビーカー紅茶をふぅふぅ吹きながら言った。

 キョウカも紅茶の水面を少し吹いて一口飲むと、あいまいな返事をした。


「うん……。まぁまぁ、かな……」

「ふーん。ンならいいけど。キョウカ、つまらないって思ってる時、顔に出るからさ。気をつけたほうがいいよ?」


 キョウカは自分に嘘をつくのは上手いくせに、人に嘘をつけないタチなのであった。カサネは手提げから袋入りのショートブレッドを取り出すと「ヘヘ」とキョウカに目で合図した。波乗りウサギの描かれた、キョウカお気に入りの銘柄である。

 目の前に差し出された小袋に、キョウカは雨上がりの太陽みたいに笑った。


「アハハ。ありがと。でも先輩、国立受けるって言ってたから。受験勉強の邪魔しちゃ悪いと思って、最近あんまり連絡とってないんだ」

「クリスマスもお正月も、一緒だったんでしょ?」

「そ。初体験!」

「ブッ……。コホっ、ゴホっ……。ちょ、キョウカぁ!」

「? バイクの2人乗り……そんなに、変かな……?」


 かじりかけたショートブレッドにむせるカサネ。慌ててビーカー紅茶をあおり「もう! 言い方!」なんて恥ずかしそう。キョウカは「ちょっとぉ、大丈夫?」なんて言いながら細身の背中をさすった。

 

水城みずきくんとは? 月からデータを取り戻すんなら、彼に手伝ってもらうしか、ないんじゃない?」

「10月からほとんど話してないナ……」

「え、そうなの?」

「だってさ、私へのあてつけ? なのか分からないけど、最近モテモテなんだよ。売れ残りの理系男子のくせに……」


 ――ちぇっ。ユキくんの良さを見つけたのは、私が最初なんだけどな……。


 キョウカは両手でビーカーを持つと、少し傾けて紅茶の水面を眺めた。カサネはきょとんとした顔で「ハハハ。まぁ、運動会の仮装リレーでも目立ってたからね」と声をかけた。


「最近も、アヤちゃんと2人でつるんで。なんか怪しいんだよね、あの2人」

「ハハハ。考えすぎだって! あ、軽音部はバンド内恋愛禁止なんだよね。誰と誰がくっついたとかでギスギスするの、嫌だから」

「へぇ、そうなんだ。チョット意外……」

「あ、でも夜隊ウチらの場合は違うか。私はさ、今の5人が5人で居られるなら、どんな可能性もも受け入れるけどね」

「うーん。そういうんじゃない、と信じたい……」


 ほとんど2人同時に最後の一滴を飲み干すと、カサネが「レネさんのデータ、どうするの?」と優しい目をして話しかけた。キョウカは一瞬だけ弱気な顔をしてから、何かを思い出すように天井を見つめた。


「カサネ、前にさ『2択はダメだ。3択にしろ』って言ってたよね?」

「うん」

「この際、3択で考えてみようかな。松、竹、梅、みたいに」

「お、いい方向だね」


 カサネは相変わらず、キョウカの取り扱いが上手かった。〈キョウカもおだてりゃ月に上る〉である。こうして、今夜もまた1つ名言が生まれた。

 キョウカはえっへんと胸を張り、全てが都合よくいくプランを披露した。


「松プランはもう無敵な感じだよね。例えば、月面ローバーでサーバールームに侵入して、データが入ったディスクを地球に持ち帰ってくる」

「いいね。ポジティブ思考。とりあえず、それを〈松プラン〉にしよう」


 カサネが「じゃあ、竹プラン。月面基地の偉い人に土下座して、データーを地球に送り返してもらう!」と続く。


「その発想はなかった! うん、それもアリかもね。じゃあ、梅は――」


 そういうとキョウカは目を閉じ、腕組みなんてしてしばらく考えた。


「梅プラン。データは消えてしまってるけど、レネさんを何か別の方法で喜ばせる」

「……」

「……」


 2人は無言になって、互いの目を見た。


 このままでは取り返しのつかない結果に終わることは、目に見えていた。データの消滅から連鎖反応して、レネとの関係もユキとの関係も、終わるだろう。失って初めて大切だったと気づくのでは、遅すぎる。


 ――どうすればいい? もしかして、3択じゃないのかな?


 気まずい空気を追い払うように、カサネが口を開いた。


「まだ、本命プランを決めるには早いね……。よし、しよう」

「えっ!? あ、ああ、ゴメン。私、相変わらず優柔不断で……」

「ううん。私の〈なんでも二股〉と、キョウカの優柔不断。似てると思わない?」

「えっ?」

「私たち、波乗り上手なんだよ、きっと。いい波が来るのを、待ってる」

「――そうかも。アハハ」


 キョウカは空になった小袋の上で、陽気に波乗りするウサギを、人差し指で小突いた。


 この問題がキョウカ一人の手には負えないってことは、カサネも分かっている様子だった。スバルにもユキにも助けを求められないでいるキョウカは、一人でなんとかすると意固地になっていた。すべて自分の優柔不断が招いた結果だと、きっとこのまま一人で背負い込むつもりなんだろう。


 ――雪月花は揃わない。松竹梅は比べられない。


 全ては可能性の海にある。データが消えていない可能性、他の良い手立てが見つかる可能性、誰かが助けてくれる可能性。

 目には目を、歯には歯を、可能性には優柔不断を。次々に現れては消える沢山の選択肢と、そこから繋がる無数の可能性。キョウカは、いま決断ことを決断した。


「カサネ、今日はありがと。話聞いてくれて、だいぶ楽になった」

「そ。良かった」

「カサネの言う通り、もうちょっとだけ〈本気の浮気〉に踏みとどまってみようと思う」

「ふふふ。二股の免許皆伝も近いね」

「アハハ」


 カサネに「優柔不断は武器だよ」なんて背中を押してもらったような気がしたキョウカは、大きく波打つ確率の大海原に漕ぎ出した。

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