第19夜「クリスマスと初詣」(下)

 日本はとことん不思議な国だ――。


 先週クリスマスだったかと思うと、もうお正月。盆と正月が一緒に来たら忙しくて困るくせに、年末と年始はいつも2個セットだ。しかも洋から和への急展開。和洋折衷ジェットコースターに、神様もてんてこ舞いだ。

 新しい自分になれた気がするお正月のウキウキ気分も、3日もすると現実にめる。お年玉の喜びを感じなくなるくらいには、着実にキョウカも大人に近づいていた。 

 

 テレビで流れる箱根ロボット駅伝だけが、まだファンタジーだった。リビングでは父、兄、弟が、思い思いのチームに熱を入れて応援している。瓜2つ、いや、瓜の横顔をした大きな子供が3人。カウンターキッチンの向こうからは、母が優しく目を細める。

 今年もモーター破りの権太坂で、数台のロボットが煙を上げる。キョウカは「あちゃぁ」なんて呟いて、窓の外に月面ローバーを探した。

 透き通ったサイダーのような冬の青空に、白い月がアイスみたい。正月だというのに実家に顔も見せに来ない我が子ローバーに「まったく、もう」なんて思いをせる。

 

――キミたち、暇ならレネさんのデータ取り戻すの、協力してくれない?


 おせち料理に飽きたキョウカが、メロンソーダが飲みたいなんて思い始めた頃、スバルからメールが届く。内容はやっぱり、スカート禁止のお団子禁止。

 キョウカはニヤニヤしながらスマホを抱きしめ、いそいそと支度した。


 ○


 海沿いの道は「ここ、こないだも通りましたよね?」とキョウカもはっきり覚えていた。2人が向かったのは、海沿いの高台にある磯前いそさき神社という古社。今日の2人乗りは、不思議と恥ずかしくはなかった。


 鳥居から一直線に伸びる参道はタブノキや椿でトンネルのように覆われ、真冬だというのに緑が生い茂る。湿り気のある灰褐色の石畳と常緑のコントラストが何とも荘厳だ。


 理系クンも神頼みする――。これはキョウカが理科部に入ってから発見したことの中で、ベスト3に入る驚きの事実だった。

 拝殿の前で目を閉じ念入りに願掛けしているスバルの横顔に、月神社つきじんじゃでお参りするユキの横顔が重なる。

 視線を感じたのか、スバルは急に目を開けキョウカの方を向く。


「フフ。何? 俺、顔になにかついてる?」

「あがっ……。い、いや、べつに……」


 ――ただ見とれてただけです……。


 理系男子とて、人の子だ。神を信じようが信じまいが、聖ニコラウスとクリスマスを祝い、翌週にはこうして神社でこうべを垂れるのだ。流れ星には願いを言わないくせに。

 もうすぐ大学受験なので、学業成就でもお願いしているのだろう。でもそれこそ、神様に頼むことじゃない。


「海、見に行こっか?」

「はい!」


 そう言うとスバルはキョウカの手を取った。キョウカが思わず「ぁわ」と手を引いて驚く声に、スバルのほうが驚いてしまう。


「ああ、ゴメン。嫌だった?」

「違うんですイヤじゃないです。ただ、ちょっと、びっくりしただけ……」


 スバルは「ハハハ」なんて口元は笑っていたが、捨てられた子猫みたいに寂しそうな目をしていた。2人はどちらからともなく手をつなぎ、参道の中程にある急勾配の石階段から海岸に降りた。


 冬凪――。

 ポカポカと穏やかな日差しの砂浜に、波が静かに打ち寄せる。入り江にせり出した灯台と、遠くの埠頭からゆっくり顔を出す大きなコンテナ船。

 2人の足跡だけが、濡れた波打ち際にくっきり並ぶ。


「キョウカ、これ見て」


 そう言うとスバルはポケットからスマホを取り出し、キョウカに見せた。月面基地・量子計算機センターからの〈重要なお知らせ〉というメールだった。


 キョウカには砂をジャリッと噛むような、嫌な予感がした。


「こないだ、大きな太陽フレア爆発があったの、キョウカ覚えてる?」

「?」

「ほら! クリスマスイブの日。オーロラ、見えたでしょ?」

「あっ、そういえば! 私、初めてだったんです。オーロラ。北極とかでしか見られないと思ってました」


 キョウカにはそれとこれに何の関係があるのか、ちんぷんかんぷんである。


「太陽表面の爆発現象でね、大きいと地球10個分くらいの高さの火柱も上がる」

「ええっ!?」

「それでね、強烈なX線やら高エネルギー粒子やら大量に吹き出し、地球にも月にも降り注ぐんだ」


 太陽表面でフレアと呼ばれる巨大な爆発が起こると、まず8分ほどでX線やガンマ線が光の速さで地球に到着する。これだけでも、ひどい電波障害がおこる。

 恐ろしいのは、数時間から数日かけてじわじわと地球に忍び寄る、太陽の欠片かけらとも言える高エネルギー粒子の大群〈太陽風たいようふう〉だ。

 スバルは低くて透き通った声で説明を続けた。


「オーロラは、太陽風が地球の大気にぶつかったときの光なんだよ」

「そうなんですね。じゃあ、クリスマスイブに見たのも?」

「そう。こないだのはね、宇宙天気予報の読みどおり、Xクラスという大きなやつだったんだよ」


 スバルは手頃な流木を見つけ、砂浜に大小2つの丸を1メートルほど離して描いた。「こっちが地球、あっちが月」なんて言って特別授業が始まる。


 地球は磁場と大気に護られている。太陽風は地磁気によってねじ曲げられ、北極と南極の周辺に吹き溜まりを作るが、大気があるので太陽風はほとんど地表には到達しない。


「オーロラはね、大気が護ってくれた証拠なんだよ。太陽風と大気が衝突したときの光なんだ」

「だから、オーロラは寒い場所ってイメージがあるんですね。知りませんでした!」


 スバルは「でもね」と言って、大きいほうの丸に木の棒を突き刺す。 

 地球の磁場と大気が防ぎきれないほどの強烈な太陽風――太陽が地表に降り注ぐと、通信障害や送電線の故障を引き起こし、最悪、都市まるごと大規模停電なんていうことも起こり得るそうだ。


「大きな太陽嵐は危険だ。1859年には、ハワイでもオーロラが見えたらしい。これは、ほんと異常事態」


 大気や磁場など守るすべを持たない月面には、強烈な太陽風が直接降り注ぐ。だから、月の表面の岩石はボロボロともろくなり、やがて風化して月の砂漠を作る。

 大きな太陽フレア爆発があれば、月面基地は地球と比べ物にならないくらい甚大な被害が及ぶだろう。


「――それで、メールのとおりサーバーがダウンしたみたい。エラー訂正プログラムの許容値を越えてしまい、たぶん量子データはばらばらに。復旧の目処はたってないらしい」

「そ、そんな……」


 気がつくと潮が満ち、2人が月と呼んでいた小さな丸は、波にさらわれてしまっていた。


 ――こんなことが、あっていいのだろうか。やっぱり、神様なんて地球にも月にも居ないんじゃないか?


 キョウカは、神社の高台から突き落とされたみたいに落胆した。ため息も出ない。どん底だ。

 もう、どんなにあがいても、終わりだ。相手は太陽だ。


 スバルがどんなふうに慰めて、どんなふうに家まで送ってくれたか、まったく思い出せない。それほど、キョウカは激しく落ち込んだ。


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