第18夜「出会いと別れ」(下)

「月面ローバーでサーバールームに侵入してさ――」

「量子コンピュータで、レネさんのデータを――」

「いっそ、月面望遠鏡をのっとっちゃうとか――」


 ユキに「いや。もう、いいよ」ときっぱり言い切られ、キョウカに返す言葉はない。カウンターの方から聞こえる、マスターの洗いものの音だけが、カチャカチャと店内に虚しく響く。

 キョウカは引き止めてほしいのだ。

 でも、それをそのまま一言一句そのとおり言わない限り、ユキには伝わらない。


 出会いと別れは、いつだって非対称だ。

 出会いがあるから、別れがある。けれど、別れが先で、出会いが後なんてことはあり得ない。少なくとも、この宇宙では。

 だからといって「出会わなければ、別れなくて済んだのに」なんていうふうに、キョウカは片付けたくなかった。


 ――だって、もう、出会ってしまったんだもの。


 2人同じ額の代金を、2人別々に会計する。

 ここからはもう、それぞれの出会いと、それぞれの別れを進もう。


 庭園風の前庭を名残惜しそうに並んで歩き、正門まで来る。元来た道を振り返り、キョウカは灯りの消えた本館ビルのガラス窓を、下から上へと数えた。

 

 ――あと、25秒だけ。一緒に居たいな。


「……」

「……」


 そうしてキョウカが展望台まで数え上げたとき、屋上のアンテナ群をかき分けて、一筋のレーザー光線が発射された。日が落ちて暗くなった空の一点を、音もなく引っ張るような黄緑色の糸。

 その、今にも切れそうな細い線を挟んで並び、2人は空を見上げた。キョウカは月を探したが、見当たらなかった。


「――月? 見えないけど?」

「通信、いや、測距そっきょ用かな?」


 2人一緒に月を見られたら、まだ、元の2人に戻れる気がした。それなのに、ピンと張られた釣り糸の先はただの夜空で、月はなかった。

 黄緑色の境界線が、世界を夜空ごと2人分に切り分けたみたい――。キョウカはそう思いながらぐっと唇をかみしめて彼に別れを告げた。


「じゃあ、バイバイ……」

「ああ」


 念願のスバルに想いを伝え、受けとめてもらえて嬉しいはずなのに、キョウカにはその匂いも味もしなかった。変だ。

 それだけではない。こうやってユキの前に立つと、キョウカはなぜか引き裂かれるような胸の痛みを感じるようになった。


「キョウカさん。羽合先輩と、頑張ってね」


 ユキは、苦々しい表情で唇をかみしめた。「これでいい。彼女が幸せになるのなら」なんて、口にしなくても顔に書いてあった。


 お互いが、お互いのことを想うために出会い、お互いのことを想うがゆえに別れる。

 出会いと別れは、いつだって非対称で、いつも隣り合わせなんだ。


 ○


 2人が2人になってからも、理科部の活動は続いた。


 運動会の人気種目はクラブ対抗仮装リレーである。運動部だけでなく、同好会も帰宅部もエントリーできる。

 綿密な計算と万全の予備実験が売りの理科部は、馬術部と並ぶダークホース中のダークホース。昼隊の1年生が白衣の全力疾走で予定通り稼いだリードを、ユキとスバル扮する月面ローバーが砂にスタックして帳消しに。

 プチ喧嘩別れした理系男子2人に、仲直りの仮装大賞が贈られると「来年は火星ローバーにします」なんていうヒーローインタビュー。


 文化部の1つである理科部は、11月の文化祭でこそ、キラキラ輝く。

 今年の目玉は、美術部顔負けのアヤの個展と、茶道部と共催の創作スイーツお茶処。例のパンダ用の竹を、前面に出す作戦にしたキョウカ特製竹筒ようかんは、意外にも大好評。月の模擬砂が塗られた月面小皿とともに飛ぶように売れ、赤字続きの理科部の懐を大いにうるおした。


 アヤは月光賞の授賞式に和服で登場し、文化祭最終日の後夜祭を沸かせた。月ノ波高校ツキコウ希望の中学生も学園祭には数多く参加している。来年は男子の入部希望者が増えそうだ。

 その〈理系男子ギャップ大好き説〉提唱者のカサネは、軽音部の練習にかかりきりで、しばらく理科部に顔を出していなかった。最終日のステージにポップな衣装のスリーピースバンドで登場したかと思うと、細い腕でギターを掻き鳴らし「バイバイ! また会おう!」なんて学園祭のフィナーレを告げた。

 カッコよかった。


 季節は秋から冬へと移ろい、理科部の活動も、学校行事も、ぜんぶスワイプするみたいに、つぎつぎ過去の思い出になっていった。

 キョウカが「あれこれ手を動かしているうちに、名案が浮かぶだろう」なんてたかくくっていたレネのデータを月から取り戻す方法も、結局思いつかないまま2ヶ月が経とうとしていた。

 笑って泣いて、出会って別れて、理科部のメンバーと時間も空間も共にすればするほど、キョウカの戦いは孤独を極めた。


――課題も5問全部解けたし、AIプログラムだって正式採用されたんだから……。


 キョウカには、優柔不断だって上手く抑え込んで、先輩ともうまくいってるんだ、なんていうおごりもあった。

 自分1人の力で、なんとかしてレネのデータを月面基地から取り戻せるなんて漠然ばくぜんと考えてもいた。だから、キョウカはあてもなく夜の理科室に現れては、目の前に出された運動会や学園祭の準備を味わうことしかできないで過ごした。誰かに相談するという選択肢がはじめから抜け落ちていたので、優柔不断することもできなかったのだった。


 そして、気付いたときには、理科部夜隊よるたいの5人は、同じ場所から、みんな違う星を眺めるようになっていた。


 ずっと胸の奥で感じているズキズキとする寂しさの根源が、出会いのせいか、別れのせいかも分からずに。


 

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