第18夜「出会いと別れ」

第18夜「出会いと別れ」(上)

 情報通信研究所の本館は、県立の公共施設としての役割も担っている。そのため、最上階の展望台と1階のエントランスホールは、研究所の休日である土曜日でも、一般開放されている。

 レネの部屋を去り、ガラス扉のおしゃれなエレベーターを降りたところで、キョウカは知る顔に出くわした。


「あっ」

「よ!」


 よ、じゃないよ、とキョウカは眉をひそめた。

 研究室フロアにつながる専用エレベータの前に立っていたのは、ユキだった。


「あれ? ユキくんもレネさんに呼ばれて?」

「え!? 竹戸瀬たけとせさん、来てるの?」

「あ、いや……。うん。だけど……」


 ――今は行かないほうがいいよ。1人にしておいてあげようよ?


「今、忙しそうだったから。また今度にすれば?」

「ああ、大丈夫。こないだ、ちゃんと話したから」


 キョウカはガラス工房の前で泣きべそかいてバイバイした手前、いまさら2人きりで彼の顔を見るのは気まずかった。

 ユキはいつもどおりの落ち着いた声で、相変わらず飄々ひょうひょうとしている。


「今日は、ちょっと證大寺しょうだいじ先生に聞きたいことがあって。メールしたら、研究所のほうに来るようにって」

「え!? 今日は家だよ? ――ん? あれ? どういうこと?」

「?」

「えっ、まさかお父さん――」


 親の心、子知らず。

 ノベルなりの計らいなのだろう。先週末、仲の良い男の子と出かけていった娘が、涙を浮かべて帰宅したら、さすがに何事かと思ったようだ。

 こういうとき、父親というのは周りをよく見ずに、とりあえず何か行動しなくちゃと思うものなのだろうか。科学者であっても。


 ローバーのAIの5つの課題も全て解き終わった今となっては、共通の目標も、相談したいことも、あいにく2人は持ち合わせていなかった。

 互いの秘密の交換にはじまり、互いの想い人を紹介しあう。そして、その想い人のために打算で協力してきた日々。そろそろ終止符を打つ時がきたようだ。

 1階ロビーの奥にあるカフェで、最後の晩餐といこう――。


 まさか研究所の1階に、誰でも入れるおしゃれカフェがあるなんて、誰も思わないだろう。手のこんだ創作スイーツと、自家焙煎のサインフォンコーヒー。知る人ぞ知る、穴場中の穴場。しかも、研究所が休みの土曜日のほうが、むしろ空いている。

 父を待つ間の暇つぶしに使ったり、誰にも会いたくない時に来てみたりと、キョウカとこのカフェとは中学の頃からの付き合いである。

 

「あ、キョウカちゃん。いらっしゃい」


 いつもの香り。いつものマスター。いつもどおり。こうして久方ぶりの来店にも関わらず、彼は「珍しいね」なんて無粋なことは尋ねない。ユキにウインクして、ニコニコ顔で2人を特等席に案内する。

 大きな窓から夕陽が差し込み、たっぷりの秋を店内に呼び込む。こげ茶で艶のあるアンティークのイスと丸テーブル。月の絵柄のレトロなシュガーポットが、すまし顔で載っている。

 2人で向かい合って座るとすぐ、キョウカは慣れた様子で「アフタヌーンセット、お願いします」と告げる。メニューを開いていたユキは、キョトンとした表情でキョウカを見ると、マスター、メニュー、そしてキョウカと、3周ほどくるくると眺めた。


「裏メニューなの。ほら、ユキくん以前『なんでも、表と裏があるんだよ』なんて言ってたよね? アハハ」

「なるほど。ハハハ」


 契約茶園のダージリンと特製ショートブレッドのセット。イギリス帰りの研究所長とキョウカだけが知る、秘密のメニュー。コーヒー専門店を装っているのは、研究所員の多くがコーヒー派だかららしい。なんか、スパイみたい。

 〈詠夢えむい六輔〉なんていうおかしな店名も、思えばジェームス・ボンド好きのマスターらしい。


「俺はさ、振られたよ」

「えっ?」

「あらかじめ、プログラムされてたみたいに。ハハ」


 乾いた笑いが、彼の落ち込みの深さを象徴していた。ティーカップが、かちゃりと小さな音を立てる。

 キョウカは、とても驚いた。振られたことにではない。彼がレネにきちんと想いを伝えたのだ、ということに。


「そっかぁ……。残念だったね……」

「キョウカさんは、上手く行った?」

「え? ……うん。まぁ、ね……」


 うつむく顔をユキに「アレ? あんま嬉しそうじゃないね?」なんて覗き込まれ、キョウカは右の頬をなでながら、あわてて是正する。


「そ、そんなことないよ。あー。うん。ホッとしてるだけ」

「そう? それならいいけどさ」


 ユキは少しだけ寂しそうな目をして呟いた。 

 そんな彼の表情を眺めながら、キョウカはバターの香るショートブレッドをほおばった。サクサクとした食感を堪能し、ざらつく前に紅茶をひとくち。

 ユキは夕陽で金色になったキョウカの長い髪を眺め、頬杖をついて「竹戸瀬たけとせさんがアメリカ行きたい理由、知ってた?」と呟いた。

 どうやら彼は、レネの渡航が見送りになったことを、まだ知らないようだ。


「もしかして、カレシ……とか?」


 彼は黙ってコクリと頷いた。

 ユキとしたことが何をやっているのやらと思いながら、キョウカは「ふふん」と鼻を鳴らす。ろくに情報収集もせず、丸腰で秘密基地に乗り込んで、最初のトラップで足をすくわれて帰ってくるなんて――。


「ホントにそうなの!? レネさんも隅に置けないなぁ……」

「ハハ……」


 彼女の涙の理由をまた1つ知り、キョウカはまたひとくち紅茶を飲んだ。


 ――レネさんのこと、もう少し調べて、ユキくんのために、手はずを整えてあげればよかったかな……? スパイみたいに?


 ユキは思いつめた表情でキョウカに吐露した。


「まぁ、とにかくさ。これで晴れて、俺たちの打算関係も終わりだね」

「アハハ。打算関係って……」

羽合はわい先輩に誤解されちゃ悪いし、もう2人で会うのはやめよう」

「えーっ。まだ手伝ってほしいこと、あるんだけどナ」


 そう言ってから、キョウカは腕組みなんてして、あれこれ理屈を考えだした。


「天文部、一緒に再建しない?」

「なんで? それこそ先輩に相談でしょ?」

「じ、じゃあさ。月面望遠鏡で何を見たらいいか、相談させてよ?」

「だから、それも先輩次第でしょ?」


 キョウカは、ボロボロとこぼれたショートブレッドの粉をかき集めるように、理由を探した。こじつけでも、すぐバレる嘘でも、なんでもいい。

 とにかく思いついた理由を、次から次にまくし立てた。

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