第14夜「夢と現実」
第14夜「夢と現実」(上)
あっという間に夏休みが終わり、もう来週から2学期が始まる。
昼の蒸し暑さが残る夜の理科室で、キョウカとユキはラップトップを前に、緊張していた。
課題5〈
これで最後かと思うと、レネがつけた怪しすぎるネーミングも感慨深かった。竹取物語の中では、これはブッダゆかりの貴重な鉢で、インド中を探してようやく見つかるかどうかという、伝説の宝物らしい。
月面基地の方のかぐや姫からのリクエストは、それと比べたら幾分ファンシーだ。沢山の月面の衛星写真の中から、指示されたものを探す。人面岩にアポロ宇宙船の残骸。そして、
今夜は特別な夜になりそうだったので、アヤとカサネも呼ばれ、一緒に画面を見つめていた。ただ、キョウカもユキも、単に月面ローバーの訓練を手伝っているとしか、2人には伝えていなかった。当然、スバルにも内緒にしていた。
「この課題はね、月面の衛星写真から、AIで望みのものを探すの」
キョウカの説明も、もう慣れたものだ。
「プラグの抜き方や、クロスワードパズルの解き方を教えるときと同じなの。百枚くらいの写真について、私が作業をしてあげれば、あとはそのクセをAIが学習してくれる」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
これで、キョウカのクセからは優柔不断なAIが誕生し、ユキからは即断即決なAIが作られる、というわけだ。
「なぁんだ。もっとハッカーみたいに、プログラミングとか? やっているのかと思ってた」
カサネは何だってアングラ系に話を持っていきたいみたい。理科部と二股している昼の軽音部で、カサネがどんな活動をしているのか、じつはキョウカはよく知らなかった。まさか、パンクバンド?
「まぁ、月面の衛星写真をつかった一般的な画像認識タスクだね。あ! 最終結果、出たみたいだよ?」
キョウカが「どれどれ……」と覗き込むようにしてユキに顔を近づけると、彼は露骨に恥ずかしそうに避けた。
「わ! まただ! キョウカさんのAIのほうが、成績がいい」
これまで、ローバーの動作に関する課題ではキョウカの訓練したAIのほうが成績が良く、知能に関する課題ではユキのAIのほうが成績が良かった。これは、昼の2人の様子を見ているアヤとカサネから見ても、納得の結果である。
しかし、課題5はどうやらそれらと違う様子。示された画像に似た画像を探す知能問題に見えるのに、キョウカのAIのほうが得意なのは、何か変だ。
「ほら、私、優柔不断でしょ? だから、なるべく見落としは避けようと思って」
「え!? どういうこと?」
「それっぽいけど、どうなのか判断に迷うものも、とりあえずマークしておいた」
「なるほどね。今回は、そのほうが良い作戦だったのかも」
ユキは左手で頬杖をつきながら、右手で画面をスクロールして結果を再確認する。
「見逃しを絶対に許容できない場合は、キョウカさんのようにプログラムするのがいいんだ。例えば、がん検査のAI。あれも、同じしくみで動いてるよ」
「そうなの?」
「ああ。がんの見逃しはまずいからね。でも、その逆の、誤ってがんと認識してしまうのは大丈夫。だって再検査で確認すればいいから」
「ふーん。そういうもんかな」
やっぱり、優柔不断は月面基地で役に立つ。
ユキのAIは、彼の慎重な性格そのままに、誤判定を少なくしようとするあまり、見逃しが多かった。
2人のやりとりを見ていたカサネが声をかける。
「なんだか、すごいね! 2人」
「そう?」
「そうだよ! 4月からは想像つかないくらい、進化してる感じ」
「エヘヘ」
カサネに褒めてもらうのはなかなかないので、キョウカは素直に喜んだ。
「カサネ。ほんとうにありがとう。いつも相談に乗ってくれて、嫌がる私を夜の理科部に連れてきてくれて。お父さんとのことも全部。カサネがいなかったら、きっと今日は迎えられてなかったよ」
「ハッハッハ。何言ってるの。キョウカの実力でしょ? 優柔不断の時代、マジで来るかもよ!」
カサネはちょっと長めのボブを振り乱し、涙を浮かべてキョウカに抱きつく。細い腕が、バンバンとキョウカの背を思い切りたたく。「ちょっと、もー。いたいって……」と半べその笑顔でキョウカはカサネの身体を押し戻す。
「アヤちゃん。ほんとうにありがとう。アヤちゃんが部長で、ホントよかった。理科棟の夜間利用も、活動費の工面も、いろいろ考えて準備してくれたおかげだよ」
「ううん。私も、これはキョウカちゃんの力だと思う。もっと胸張ってよ」
「ありがとう」
エンターキーを押して、この課題の答案を送信すれば、レネからの宿題5問全てを解いたことになる。そうすれば、スバルへのプレゼントである月面望遠鏡の
ユキのラップトップのエンターキーに4人の人差し指が集まると、誰からともなく「せーの」で押す。
2人が訓練したAIのプログラムは、光のスピードで理科棟から研究所に送られ、いずれは研究所の屋上にあるレーザーで月面基地に送信されるのだった。
その様子を想像すると、理系男子でなくても、キョウカはわくわくした。これまでの半年あまりの苦労なんて、全部どっかに行ってしまった。
りーん、りーん、と秋の虫が季節を告げる。
天気も季節もない月面基地に想いをはせる。
そこには、2人が育てたローバーがいて、2人の教えを守って日々働いている。
たったそれだけの夢が、キョウカとユキを強くしなやかな関係で、結びつけていた。世界の全てを知ってしまったかのような、強い幸福感。
それが、2人だけの世界の終焉を意味することも、まだ知らずに。
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