第13夜「魔法とほうき」

第13夜「魔法とほうき」(上)

「花火やろうよ!」


 カサネはこうして、たった5文字か6文字の魔法を唱え、キョウカのご機嫌をとるのが上手かった。復活の呪文である。

 さすがに、中学の頃からキョウカの挫折も失恋も、一緒に弔ってきただけのことはある。なんでもお見通しだ。


「カサネ…… ほんと、花火好きだね。アハハ」


 ふて寝から覚めたら、意外なほど頭はスッキリしていたキョウカは、部屋から出てカサネに笑顔を見せた。


 よし、花火やろう――。


 花火は慰霊や悪霊退散のため。なんてのは、誰かが後に付け加えただけって、キョウカは知っていた。バレンタインにチョコを贈る理由。サンタクロースが赤い服を着ている理由。とかく大人は、理由を求める。理屈っぽいのは何も、理系クンだけじゃない。


 花火をするのに、理由は要らなかった。スバルへの恋心は今日、大空へと旅立った。花火で弔うしかあるまい。


 合宿のメインイベントである天文ハウスでの天体観測までは、まだ少し時間があった。施設の望遠鏡を使わせてもらうこともあり、細かな準備は必要ない。

 スバルは「ほんとは目を暗闇に慣らしといたほうがいいんだけどなー」なんて言いながら、花火にまんざらでもない。


 ――やっぱり、羽合はわい先輩は子供王子なんだ。花火をやらずにはいられない。


 宿泊棟を出て、昼にここまで来た道を少し戻ったところに、キャンプサイトがあった。カサネが昼のうちに下見をしておいて、水道もバケツもあることは確認済みだった。あとは花火に必要な、夜の闇だけがそこにあった。

 キョウカにとって、ユキが来ていないのはむしろ好都合だった。スバルとアヤ以上に、ユキの顔が見たくないと思っていたからである。それにキョウカは「どうせユキくんのことだ。きっと『花火? 俺はナトリウムが好き。波長589ナノメートルのオレンジ色、最高』とか訳解んないこと言うに決まってる」なんて拗ねてもいた。


 キョウカは、アヤとカサネに続いて、スバルと得居の持つ懐中電灯を頼りにキャンプサイトに向かう。お墓とか井戸とか、そういう肝試し要素は一切ない。風で揺れる柳もない。自然の暗闇、というのが本当は一番怖いものなのだ。

 2つの懐中電灯の光の外側は、街の明かりも人の手も届かない、ほんとうの闇。


 途中、キョウカは忘れ物に気付く。


「あれ? ライターって誰か持ってきた? 私、取ってくるから、先行ってて」


 そういってキョウカはきびすを返し、いま来た道を引き返す。暗闇に目がなれたせいか、宿泊棟から灯台のように光の筋が伸びて見えた。これなら、スマホのライトを付けるまでもない。

 こういうときに限ってバッタリ出くわすんだよね、なんてキョウカが思いながら宿泊棟まで戻ってみると、案の定、出会ってしまった。


「キョウカさん?」

「……ユキくん」

「よかった。元気そう」


 ユキは謝ることなんてないのに「ごめんごめん」と申し訳無さそうにつぶやいた。キョウカはフロントでライターを借りてくると、ユキの立つロビーにスキップで戻った。結局、彼の顔が見られて、嬉しいのだ。


「みんな花火、やるって。ユキくんは行かないの?」

「んー。ちょっと準備しなきゃいけないことがあってね」


 つれない返事。キョウカは、ナトリウムの炎色反応の話が出るかと思っていた。


「アヤちゃんが先輩に告白してたこと、知ってたの?」

「え!? 告白? でしょ?」

「なにそれ? わけ解んないよ。どうして教えてくれなかったの?」

「どうして、って……?」


 ユキは混乱した様子。ずり落ちたセルぶちメガネを右手でグイと戻し、辺りを見渡す。ロビーは通りがかる人もなく、山の夜の更けていく音がする。

 キョウカが閉めそこなった入り口ドアから、すきま風が入り込む。2人の間を通り抜ける冷たい空気。ユキはキョウカの顔をまじまじと見つめた。


「まぁ、そのうち分かるからさ。キョウカさん。落ち着いて!」

「これじゃあ私ひとり、バカみたいじゃない!」


 キョウカは本気でユキのことを嫌いになる一歩手前で踏みとどまっていた。ギリギリのところ。充分な量の火薬と、燃えやすい導火線がすでにある。

 ほんの僅かな火種から、あっという間に燃え広がってしまいそうな、ほんとうの瀬戸際。でも、爆発させるわけにはいかない。

 目の前にいるのは、とても大事な人だから。


「もう、いい」


 キョウカは火の消えた花火のようにしゅんとして、ユキの「ちょっと待ってよ。あのさ……」なんて言葉にも耳を貸さず、とぼとぼと宿泊棟から出ていった。


 ◯


 ――すすき、スパークラー、サーチライト、トーチ、ナイアガラ。

 5人は思い思いの花火を楽しんだ。派手に飛び散る火の粉。バチバチ、シューシュー、パチパチという爽快な音。あたりに立ち込める煙と火薬の匂い。


 カサネが花火を両手に持って振り回し「子供の頃は魔法使いになりたかったの。ラララー」なんて連呼している。遠くのフクロウと、1人缶ビールで上機嫌な得居だけが「魔法学校にようこそ!」とノッてくる。


野今のいまさん。数学です。数学をやりましょう! 誰でも、魔法使いになって、昔の数学者と勝負できますよ。オイラーにリーマン。ガウスにラマヌジャン……」


 吹き出し花火に火をつけ「いくぞー」と準備するスバルの後ろに、「わぁ、スバルくん。まってまって」と隠れるアヤ。

 幼馴染の2人にとって、今日は何度目の夏の、何個目の花火なんだろう。


 どの花火を試しても、誰の花火を見ても、キョウカにはモノクロに映った。赤に橙、山吹色、黄色、青白。あんなにカラフルに輝いていた夜空の星も、今はただの白い点にしか見えない。

 誰かの花火が輝く間、地上が夜空で、空は闇。


 最後の線香花火が消えると、天の川が空に戻る。

 地上には、星や魔法なんてないと分かる。


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