第11夜「記憶と記録」

第11夜「記憶と記録」(上)

 竹戸瀬たけとせ礼寧れねのアメリカ行きが10月に決まった。

 28歳で博士号取得するとすぐ、彼女は准教授として今の大学に採用された。そして、それから半年で渡米。キョウカの父の話では、彼女の業績と、研究の注目度を考えれば当然の成り行き、とのことだった。


 ユキに「どうしても確かめたいことがある」と真剣な顔でお願いされたキョウカは断れず、土曜日の半日授業が終わってすぐ、2人はお台場行きの高速バスに飛び乗った。レネの研究室に向かうためだ。

 彼には彼の、タイムリミットが迫っていた。


「お祝いに何か贈りたい」だの「ローバーの課題について詳しく聞きたい」だのと余計な回り道をせず、直球勝負なのがなんとも彼らしい。

 優柔不断な自分とはつくづく正反対で合う気がしない、なんてキョウカは思いながらも、一緒にここに来ることを断れなかった。


 ――結局、私なんかじゃ水城みずきくんを幸せにはできないんだ。


 そんなことは、始めからわかっていた。

 彼はレネさんを想う一心で月面ローバーのアルバイトにキョウカを誘い、月面ローバーの課題を解きたい一心でキョウカを理科部に誘った。それだけのことのはずだ。


 今、心のままに何か行動を起こせば、これまで築きあげた2人の関係は壊れてしまう。彼は気持ちを受け取ってくれないと、漠然とキョウカは思っていた。そうなれば、2人で解くはずのローバーの残りの課題は解けず、月面望遠鏡もどこかへ行く。


 ユキは普段どおりに振る舞っているに過ぎなかった。しかし、彼が近づこうとすればするほど、キョウカは内側に潰れ、どんどん落ち込んでいくのだった。

 キョウカは爆声ばくせいとどろかせる滝の上流に、立ち尽くしているようなものだった。もう、自分の意思では、前にも、後ろにも進めない。


 好むと好まざるとに関わらず、激しい水流は彼女の身体をどんどん淵へと引きずりこむ。もちろん、滝壺を上から眺めてみたい、気もする。でも落ちたらアウト。足を滑らすわけにもいかないから、もはや尻込みも後ずさりもできない。

 滝壺が見えるギリギリのところで、踏み留まるしかない。


 ◯


「5年前の月面基地の事故。竹戸瀬先生、論文書いてますよね?」


 4月とほとんど変わらぬダンボール箱だらけの部屋の様子に目もくれず、ユキは研究室に着くなり、すぐ本題に入った。


「あの、俺、調べたんです。先生が書いた論文も、もらったメールも。全部アプリで、チューリングテストにかけたんです。そしたら、竹戸瀬先生が確率が98%って結果が出て……」

「水城くん。もうちょっと、周りを見ましょうよ。ね。ほら、キョウカちゃんも不思議そうな顔で見ている」


 サラサラの長い髪を耳にかけ、竹色のマグカップを手に取ると、レネは冷めたカプチーノを一口飲んだ。


「――5年前ね」


 レネは、少し寂しそうな顔で、とうとうと語りはじめた。

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