第10夜「織姫と彦星」(下)
「ハッピバースデー
なんて、言えるはずもない状況のまま、運命の7月7日がやってきた。
ユキの協力もあり、レネの宿題のうち「課題3〈
またしてもキョウカはタイムマシンが無いことを呪ったが、相変わらず物理法則は容赦しない。彼女は、手作りようかん一本で勝負するしかなくなった。
――先輩は気に入ってくれるだろうか? やっぱり、やめておこうか?
キョウカにいつもの優柔不断が再発しかけたが、ここでやめたら何も言わずに手伝ってくれたユキに悪い気がした。
七夕だというのに、空には満月を少し過ぎた月が眩しく、織姫と彦星は少し迷惑そう。窓を開けるとすぐになだれ込む、湿気混じりのぬるい風。
夏がすぐそこまで来ている。
スバル以外の4人は、少し早めに物理実験室に集合し、いそいそと殺風景な部屋を飾り付けしていた。
笹を飾り、吹き流しも沢山用意した。ピンクに水色、蛍光イエローのカラフルな短冊も用意して、いくつも願い事を書き込んだ。
いつもの時間に理科室に現れたスバルは、部屋の異変に「おッ」とすぐ気がつく。そして、彼の予想と寸分たがわぬタイミングで「羽合先輩。誕生日おめでとうごさいまぁす!」という女子3人の黄色い声がかかる。
ユキに促されたスバルが主賓席につくと、ケーキもロウソクもない、誕生日パーティーの始まりだ。
「先輩、ようかん好きだって聞いたから、作ってきました。キョウカ特製、水ようかんです。じゃ~ん!」
キョウカは手作り竹筒ようかんを手提げから取り出すと、5人が囲う実験テーブルの真ん中に並べた。スバルは手に取ると、いつになくニコニコした顔で、物珍しそうに眺めた。
「ありがと。渋いね。竹なんてどこで手に入れたの?」
キョウカは、先輩が嬉しそうでよかった、とホッとした。
「あ、これですか? お兄ちゃんのツテで……」
「キョウカのお兄さん、大学生だっけ?」
水ようかんの苦労話に入りたかったキョウカだが、話題がそれていくのを阻止できなかった。
「獣医学部なんです。仲良くなった実習先の動物園の人から、パンダ用のをわけてもらって。後ろにある笹も…… アハハ」
「……」
「……」
スバルはユキと目を見合わせると、部屋を飾る笹を「ふむ」と確かめるように振り返った。カサネはキョウカを白い目で見る。アヤも呆れ顔だ。
キョウカは恥ずかしそうな顔をして、あわてて是正する。
「あ、洗って熱湯消毒もしたから、キレイですよ!」
「そ、そうだよね。ならいいんだけどさ。ハハハハ」
スバルは優しかった。
「キョウカ、ほんと、ありがとう」
スバルにとって女の子の名前を呼び捨てにすることは、星の名前を呼ぶようなもので、深い意味があるわけではなかった。
それでもキョウカは、こうして名前で呼んでもらい、天にも昇るような気持ちで彼の笑顔を見つめた。
王子スマイルからこぼれる、イタズラな白い八重歯。いつまでも眺めていたいところだったが、そんな幸せなひとときは、そう長くは続かなかった。
「あ、あの……私からも、あるんだけど、いい?」
アヤがいつになく不安そうに声をかける。準備していた時はテキパキと夜バージョンの彼女だったのに、いまそこで立ち上がったのは、昼間の気弱なアヤだった。
しかし、自身なさげな瞳の奥に、今夜はどこか緊張感が滲んでいた。
気づくと、髪型もいつもの2つ結びではない。1つに凛と束ねられ、まるで弓道の試合にでも出るかのようだ。弦で払った髪が目に入らないように?
アヤが足を踏み開いて弓を構える姿を想像して、キョウカは身震いした。
――相手は最先端のグラスファイバー弓にアルミカーボン矢。こっちは竹弓に竹矢だ。
ああ、こうやって憧れの星の王子さまのハートは、先端科学で完全武装したライバルによって、いとも簡単に撃ち抜かれるのか、とキョウカは思わずにはいられなかった。しかも相手は、幼馴染というシード権つきだ。かなうはずない。
キョウカは、ピンと引かれていく弦を思い、失恋を静かに見守った。
「スバルくん。あのね、ずっと秘密にしていて、ごめんなさい」
「ん?」
「でも、諦めきれなくて――」
あとに続くのは、誰もが予想したとおりだった。まるで何かの法則に従うように、アヤの口から自然に
「好きだったから」
――試合終了。
矢は無比の正確さで的に一直線。スバッという、矢の刺さる音だけが聞こえる。キョウカは目を閉じて、破滅のときを待つ。
どこに当たったか、結果を見るまでもない。
「陶芸」
理科室の空気も、何が起こったか理解できないようで、風ひとつ吹かない。スバルは驚いた様子でアヤの言った言葉を繰り返した。
「陶芸!?」
「ずっと、好きだったの。陶芸。いつかは自分の作品を焼きたいって思ってた。ほら、化学実験室の電気炉。あれで焼いて、お皿作ってみたんだ。どうかな?」
そういうと彼女は「ちょっと不格好だけど……」とか言いながら、ツヤのある濃いグレーの陶器の皿を、手提げから大切そうに取り出した。
表面にうっすら見える不揃いの凹凸。真円になろうと必至で
そのどれもが、この小さな皿が、アヤの手によって大事に大事に育てられたことを、克明に物語っていた。
「アーちゃん……。謝ること、ないと思うけど?」
「理科部の活動費を圧迫してたのは、私のせいなの。失敗作ばかり焼くもんだから、材料費が
「い、いや。ホント、謝ることじゃないよ。お皿、ありがとう。大切に使うよ」
少しうつむいて、メガネのフレームを右手で押さえるアヤに、キョウカが「アヤちゃんが電気炉で焼いてたのは、これだったのかぁ」と明るく声をかけた。アヤは満足げな表情で「へへへ」と照れ笑いした。
化学実験室でアヤを手伝ってたというカサネが「あ、みんなのぶんも、あるよ!」と言うと、アヤは手提げからさらに4枚、皿を取り出した。
漆黒の実験台の上に並べられた、5つのいびつな円は不揃いにゆらぎ、それが逆に心地よい味を出していた。
「これ、じつに不思議な色だね。灰色だけど茶色にも見える。材料は何?」
スバルもユキも、興味津々だ。アヤは少し得意げな表情で答える。
「これはね、月の砂。
「月の砂?」
「うん。あぁ、もちろん
理科部の部長のコネをなめてはいけない。といっても、つくばの研究所に砂を納品してる会社に理科部OBが勤めている、とかだろう。
「じゃあ、食べよう!」
竹筒から射出されたキョウカ特製の水ようかんは、5つの不揃いな月面に、にゅるりと着陸し、皆の五感をくすぐった。
子供のように「んまいんまい」と言って水ようかんを頬張るスバルを見て、キョウカはユキにウインクした。
七夕飾り、竹筒ようかん、5枚組の陶器皿。
会場は理科室で、およそ誕生日パーティーとは思えないような夜だったが、5人にはそれで良かった。いや、それが良かった。
夜の理科室は、とても明るい。
天の川の両岸でモジモジしてる織姫と彦星にはちょっと申し訳ない気持ちでいっぱいのキョウカは、この日初めて、ようやく正式な理科部員になれた気がした。
――三角関係も打算関係もまぜこぜだけど、みんなで同じ岸に居るほうが、楽しいよ。
窓辺の笹の上で短冊と吹き流しが踊り、キョウカは夜の風の行方を眺めた。
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