第4夜「月と地球」(下)

 全てはVRゲームのような仮想空間でのできごとだった。

 しかし、レネが「本物の月面ローバーにつながってる」なんて嘘をついていたものだから、キョウカとユキは信じ切ってしまっていた。


 レネは悪びれる様子もなく、むしろ楽しそうに説明を始めた。


「今日のはね、シミュレータ。本物は通信に時間がかかるから、ローバーはAI制御で自律走行するしかけになってるの」

「エーアイ?」


 キョウカは首を傾げた。隣のユキは黙って興味津々に聞いている。レネに興味があるのか、単に月面ローバーに興味があるのか。キョウカは少しだけ目の前の理系クンに興味がわいてきた。

 2人の様子を見ていたレネは「フフフ」と微笑むと、話を続けた。


「そう。AI。大まかな命令だけ受け取ったら、カメラの映像やセンサーの値を頼りに、ローバーが自分で判断して任務を遂行するの」

「なるほど。タイムラグがあるから、操縦しにくいですもんね」


 キョウカにはAI支援の必要性は、もう痛いほどよく分かっていた。


「このAIに、あなたたちが操縦を教えてあげるの。それが今回のバイト」

「分かりました。……あ、でも私も、たぶん水城みずきくんも、プロゲーマーとかじゃないですよ?」

「大丈夫。月面ローバーのAIは、5歳児だと思って。身支度もほとんど自分でできるし、転んでも自分で起き上がれる。だけど、家や保育園より外側の世界をほとんど知らないでしょ?」


 レネが身振り手振りで説明する様子を見て、キョウカは5歳下の弟の小さい頃を思い出す――広い公園を駆け回り、よく転んで、迷子になって、そして、よく笑っていた。

 ブランコも鉄棒も、あやとりだってキョウカが手取り足取り教えたのだ。


「月面の未知の状況に対応できるAIを作るには、あなた達が手取り足取り教えるのが有効なの。専門用語では〈教示きょうじ〉っていうのよ」

「よく分かんないけど、楽しそうなんでやってみます!」

「ありがとう」


 さすがにユキは2つ返事でOKした。まぁ、これは彼が言うところの「自明」である。しかし、普通にレネに感謝されただけなのに、とても嬉しそうにしている。


「キョウカちゃんはどうする?」

「……か、考えさせてください」

「――そう、分かった。じゃあ、きまったら、教えてね」


 キョウカは得居の「呆れてものも言えない」と言っている視線を避け、レネの優しい眼差しに逃げ込んだ。

 はやく優柔不断を治さないと、いろいろと問題になりそうだと、キョウカは少しだけ焦った。


 ○


 月面ローバーの衝突事故から1週間が経っても、キョウカはレネの手伝いをするともしないとも、決められずにいた。ユキとは、雑談まじりにあいさつを交わす程度には、打ち解けた関係になっていった。

 相手の秘密を握っている優越感と、誰にも口外しないで欲しいという緊張感が、マフィアの信頼関係のようでもあった。


 レネの研究の手伝いをしてみたい気持ちはあった。しかし、スバルとのこともあり、月面ローバーに時間を割いている場合ではない気もしていた。少老い易く成り難し。


 ――どうしようかな。


 桜の花びらと一緒に入ってくる陽の光と春風が気持ちいい昼休み、にもかかわらず、キョウカは優柔不断をくすぶらせていた。

 見かねたユキが声をかける。


竹戸瀬たけとせさんと知り合いだったんだね。この前、仲良さそうでびっくりした」

「うん。何度か家にも遊びに来てたから、年上の優しいお姉ちゃんって感じ」


 キョウカには兄と弟しかおらず、姉という存在に憧れもてもいた。


水城みずきくんさ、今度、ちゃんとレネさんに紹介してあげようか?」

「――いや、いいよ」


 こういうとき、キョウカでさえ「ちゃんと考えて言ってる?」なんて思うほど、ユキの回答は一瞬である。即断即決というよりは、もともと用意してあった言葉を、質問と同時に答える、高速データベースのような人間、というのがここのところのキョウカの彼に対する印象である。


「バイトの話もあるし、またいつでも会えるんじゃない?」

「そうかなぁ。お父さん見てるとさ、研究者っていろいろ忙しそうなんだよね」


 キョウカの父・證大寺しょうだいじのべるは、量子インターネットの研究で名のしれた研究者だった。レネはノベルの研究室の出身である。


「それに、月面基地の手伝いだって、レネさん他にも沢山の人に頼んでるんじゃないかなぁ?」

「そうかもね――いや、ゴメン。よく聞いてないで返事した」


 ユキが少し困ったような顔をしたのを見てキョウカは「ちょっと可愛い」と思ったりもした。


「それにレネさん、大事なことを後から言うときがあるんだよね。ローバーぶつけたときも、そうだったじゃん?」

「うーん、たしかに。證大寺しょうだいじさんの言う通りかも……」


 彼の即断即決データベースをフリーズさせるのなんて簡単、とキョウカは鼻をならした。キョウカは「紹介するよ!」と念押しするも、ユキは依然として「話がうますぎるし、何かトラップがあるんじゃない」なんて理系思考でいろいろと勘ぐってる様子だった。


 彼は美男子というほどではなかったが、女顔寄りの中性的な顔立ちだ。セルぶちメガネの奥の瞳は、まだあどけなさの残る少年のそれ。何でも知ってそうな顔して、意外と知らないことも多い。

 特に恋愛方面は苦手分野に決まってる、とキョウカは思い込んでいた。


「じゃあさ、代わりに、俺、羽合はわい先輩を紹介してあげるよ」

「あっ、ちょっと声大きいよぅ。名前っ、シー!」

「ハハ。なんか證大寺しょうだいじさんって結構おもしろい人なんだね」

 

 カサネとの間ならなんてことない定型文なのに、このやり取りをユキとするのは恥ずかしかった。キョウカは頬を桜色にしながら、小声で続ける。


「み、水城くん、先輩のこと知ってるの?」

「中学のとき、天文部で一緒だったから。俺は、ほら、コンピュータとか好きだったから、高校からは理科部に方針転換したけど」


 果たしてそれは方針転換なのか、とキョウカは思わなくもなかった。


――地球上の天文部と理科部は、月面基地から見たらきっと同じだよ。


 だんだん理系男子のことがよくわからなくなってきたキョウカ。ふいに〈理系男子という書物は、数学の言語で書かれている〉なんて格言を思いついて、今度カサネに披露しようと心に決めた。

 でも、こんな名言をいくつ考えついたって、理系男子の心は一向に読めるようになると思えなかった。


 ユキはキョウカの顔を覗くと、イタズラっぽく笑った。


「フフ。次の金曜日の、活動日なんだ。先輩も来るから、覗きに来ない?」

「――え!? う、うん……。考えとく」


 こうして、降って湧いたような突然のチャンス到来に心踊らせつつ、心の準備も全くできぬまま、キョウカは夜の理科部を訪れたのだった。

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