第2夜「秘密と秘密」

第2夜「秘密と秘密」(上)

 キョウカが夜の理科部を訪れることになったのには訳があった。

 その理由は、1週間ほど前、新学期が始まって間もない、ある夜まで遡る。


 帰宅するとすぐ、キョウカは自室のベッドに制服も着替えずに仰向けになり「さてどうしたものか」と優柔不断をくすぶらせていた。


 ――満月の夜はなんだかそわそわする。


 なんて、いつもなら軽く流していたキョウカでも、その夜、背中に感じていた嫌な予感は、月夜のせいなんかじゃないって分かっていた。


 クラスメイトの水城みずきゆきのスマホを誤って持ち帰ってきてしまっていた。学校支給の、全く同じ機種をみんなが使うので、どうしたって取り間違えが起こる。

 特に気になる相手というわけでもなかったが、スマホを開ければ彼の秘密を見てしまうようで、さすがにそれは気が引けた。


 こんな時、キョウカの頭の中では、いつも冷静と情熱の悪魔が口論する。


(学校支給のスマホだよ。どうせ大したものは出てこないって)

(相変わらず冷めてるねー アイドルの「推し」の写真とか出てくるかもよ?)

(相棒、落ち着けよ。水城くんに限ってそれはないよ)

(書きかけの中二病ポエムが出てくるかもよ? あ、もしかして興味ある?)


「てか画面ロックかけてないのがいけないんだよ……」


 自分のことは棚に上げ、言い訳するように呟きながらスマホを開けてみると、予想どおりアイコンも背景も標準のままだ。

 それでも「つまんないの」と思って迷ってる間に、いつもの自分のスマホのつもりで、指が勝手にブラウザのアイコンをタップしてしまう。


 現れたのは〈科学みらい大学 量子情報学部 竹戸瀬たけとせ研究室〉の紹介ページや〈月面基地完成 レーザー通信に成功!〉なんて5年も前の科学ニュース記事があるだけ。

 彼に隠すほどの秘密があるようには見えなかった。


 キョウカは、病に侵され余命いくばくもないとか、じつは女子高生と入れ替わるとか、そういう月夜の胸騒ぎに相応しい秘密をどこか期待していた。


 去年の秋頃「彼はだ」とクラスの女子で盛り上がった。

 その時の議論は「理系は出会いが少ないから、ハイスペックなのが売れ残ってる」だの「気になる見た目は後で補正できる」だの「口下手で奥手は利点でしかない。裏を返せば一途で真面目だからじつは恋愛向き」だのといったものだった。


 彼は女の子のスマホを前に、理路整然と「明日学校で返せばいい。自明」なんて言って、そこらに放っておいてくれてるものだろうか?

 それこそ答えは自明な気がする。


 親友のオリジナル格言が、今頃になって頭の中でこだまする。


 ――男子、三日会わざれば刮目かつもくして見よ!


 高2男子の理性が豆腐より弱いことぐらい、さすがのキョウカにだって分かっていた。クラスメイトの手に落ちた自分のスマホの、メールのアイコンが今まさに押されそうな絵が思い浮かぶ。


 キョウカが〈憧れの先輩が私だけにくれたもの〉と自分に言い聞かせているメールと、何度も推敲されたのに未送信のままの返信メール。

 実際には新入生全員に向けられた天文部の部員募集のメールだということは、キョウカにだって分かっていた。

 しかし、それでも、先輩とのつながりを感じる大切なメールなのだった。


 スマホの裏の〈2年G組 水城雪〉のシールに、わざとらしく「フン」と軽い鼻息を当てたとき、キョウカはようやくこの非常事態を認識した。


 ――まずい。まずい。まずい。絶望的にまずい! 急がないと、秘密が危ない!

 

「えっ? 私がこれを持ってるってことは、私のを水城くんが持ってるってこと?」


 キョウカは思わず声に出した。気づくのが遅すぎた。しかも相手は理系男子である。事態に先に気づいているに違いなかった。


 キョウカが電話をかけようとすると〈2年G組 證大寺しょうだいじ京華きょうか〉から着信が入る。我ながら仰々しい名前だ、なんて鼻で笑いながら起き上がり、電話に出る。背中がムズムズと痒くなり、壁に寄りかかった。


「もしもし、證大寺さん? 俺、水城だけど、わかる?」

「うん、わかるよ」


 当然、声の主は同じクラスの水城雪だった。


「あ、夜にごめんね。スマホ、俺のと間違えて持って帰っちゃったよね?」

「うん。水城くんのだよね、これ」

 

 キョウカにとってユキは別に好きでもなんでもない、ただのクラスメイトだ。しかし、ふだん彼の耳が当たっているところに耳を押し当て、彼の唇が触れてるかもしれないところに吐息のかかる距離で話しかけるのが、キョウカはなんだか恥ずかしい。

 相手も同じ状況だと思うと、余計にこそばゆい気持ちになる。


「ごめん。俺のスマホの中、見ちゃった?」

「え? 何? なにも触ってないよ」

「ホント?」

「本当だってば! 私、指一本触ってない!」

「でも、なんか電話でるの早くない?」


 鋭すぎる角度からの攻撃に、キョウカはバランスを崩し「あ、ちょっとは見た、かなぁ。ネットとか……ごめん」とこぼした。

 ユキは「あー、そっか……」と言ったきり、動揺しているのか声をつまらせてしまった。


 あーあ、これが羽合はわい先輩のスマホだったら良かったのに、と思ったキョウカは念のためスマホを裏返してみる。しかし何度見ても〈2年G組 水城雪〉のシールが居心地悪そうにしているだけだった。

 キョウカは「ちぇっ」とぼやいてからスマホを右耳に戻すと、下ろした髪の先をくるんくるんと人差し指でもて遊んだ。思い通りにいかないときのいつものクセだ。


「ていうか、私の――」と言いかけたキョウカは、まずいことになったと直感した。


 ここで「私のメールは読んでないよね?」なんて言ったら、むしろ読んでくれと言ってるようなものだ。かと言って「アレは見ちゃだめだよ。女の子のスマホなんだから」なんて遠回ししてもユキは「アレって何?」って聞くに決まっていた。


 理系男子にこそあど言葉は通じない。


 「何も触らないでおいてね」で済むのかもしれなかったが、メールを読まれる確率がゼロにならない限り、もはやキョウカは安心できなそうだった。


 さて、何と言えば良いものか。

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