第1幕「上弦」
第1夜「理科部と天文部」
第1夜「理科部と天文部」(上)
夜空に月が見えないのは、自分が月にいるからだ。
そんな風に思えるほど、生まれて初めて入った夜の学校は、月面みたいに別世界。
きれいにローラーがけされ、足跡ひとつない校庭。明かりも音も消え、誰もいない教室。桜並木は、一列に並べられた望遠鏡みたいに、静かに夜空を眺めている。
誰にも出会えなくて冷たいままの夜風が、頬をこする。
元の世界に置いてきちゃった友人達を思い、
理科部が根城とする理科室の入る3階建ての
校庭は職員室から漏れる蛍光灯に照らしだされ、月面のように白く浮かんでいた。
「わぁ、なんだか月にいるみたい」
はしゃぐキョウカを、両側から2人のクラスメイトががっちり挟む。
校門の前で合流したクラスメイトの理系男子、
「フフ、證大寺さんってなかなか面白い人なんだね」
「そ、そうかな……?」
理科部所属のユキは即断即決、合理主義で原理主義。優柔不断がトレードマークのキョウカとは正反対の青年である。学年では〈マジメくん(理系)〉にラベルづけされ、男子からは割と信頼されているようである。
セルぶちメガネに清潔感のある見た目は悪くないのだが、話が続かないので女子ウケはすこぶる悪い。
「キョウカ、何のんきなこと言ってんの。さぁ。
「あー、カサネ! ちょっと名前! シーッ!」
左から親友の
もちろん、2人の間で〈キョウカは無謀にも羽合先輩に憧れてる〉なんて事前に申し合わせているはずはない。でも、ノールックでの見事な連携プレーに、キョウカはまるで2匹の異星人に別の星に連れていかれるような脱走不能を感じた。
キョウカは夜の学校に入るのは初めてだった。
静まり返った無人の教室と、非常口の常夜灯。見るもの全てが新鮮で、どんなに見慣れたものでも神秘的に感じてしまう。
「ねぇ。もう少しゆっくり楽しもうよー」
ポニーテールの毛先をくるくると指先で遊び、まわりをきょろきょろしながら、わざと大きな声でつぶやく。静まり返った夜の校庭で、キョウカの明るい声だけが小さくこだました。
両腕の2人は夜の学校には慣れている様子である。夜だからなのか、普段は口数少ないユキも「さぁ、先輩待ってるよ?」なんて饒舌である。やっぱり理系男子はよくわからないやと思いながら、キョウカは少しだけ足を早めた。
理科部は部室を持たず、代わりに理科棟3階の物理実験室を使っていた。
3人が階段を上がると、半開きの引き戸から、男女2人の口論が青白い蛍光灯の光とともに、廊下にもれ出していた。
「どうして分かってくれないんだ。さっきから何度も説明してるのに!」
「お言葉ですが、理科部の部長はわ・た・しです。あなたのことは先輩として尊敬しています。でも、今夜からは、一部員として私に従っていただきます」
どこか聞き覚えのある女の子の声。「同じ2年? 誰だろう」とキョウカが思っていると、相手の男が切り出した。
「だ・か・ら!
「だ・か・ら? 新しい望遠鏡なんて、どこにそんな予算があるんですか!?」
2年女子も一歩も譲らない。しかし男にも引き下がる気配は感じられない。
「違うんだよ! 望遠鏡じゃなくて、カメラなの、カメラ!」
「違いません! では望遠鏡を売って、そのお金で買うのではだめですか?」
「いやいや。望遠鏡につけるカメラだからさ、アーちゃん――」
たまらずユキが扉を開けて、声をかけた。
「コホン――あの、お取り込み中、すみません」
すると2人の口論はピタッと止まり、男が「ちょうどよかった」と振り向く。口論の相手は、どうやらキョウカの想い人、羽合先輩のようだ。
「あ、ユキ。ちょっとお前からも説明してくれよ。系外惑星のロマンをさ」
羽合先輩とユキは仲がよさそうだ。今も慣れた様子で「まぁまぁ。今度手伝いますから」と先輩をなだめつつ理科室に入っていった。
「部長。例の新入部員を連れてきましたよ」
羽合先輩の口げんかに続いて、突然の前フリに、キョウカはまったく状況がつかめず、ドアの前で立ち尽くすしかない。
――夜の理科部? ロマン? アーちゃん? 私、新入部員なの? 何なに、何なの!?
恥ずかしくて先輩の顔は面と向かって見られないが、さりとて口論相手の〈部長〉も怖そうで目を合わすことができない。
キョウカは「ここは牢屋なんて生易しいとこじゃない。ジュラシックパークの檻なんだ」なんて自分に言い聞かせ、目を閉じて部屋に入ることにした。
「あ、あの、こんばんは。き、今日は入部っていうか、友達に誘われて……」
お辞儀をしながら理科室に入ったキョウカは、顔を上げると驚いた。
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