第8話

 

 バスを待つ間、先生は満面の笑みで話した。

「あっちの西口のほうは、豊臣秀吉が初めて城を持ったことで有名な長浜城があるわ」

 それを聞いたたくみは、嬉しい驚きに晴れやかに笑う。

「とよとみひでよしのお城あるの! っていうか、ながはまじょうは沼津にある」

「そうね、同じ名前だけど別の城よ。沼津は北条水軍のお城なの。ここの長浜城は沼津のそれとは違って天守が復元されているわ」

「かっこいい……! 北条以外のお城みたことないから見てみたい」

「そうね、韮山城址、山中城址、小田原城、一夜城……たくみちゃんと色々見て回ったわね。そう思うと、そのどれもが北条に関するものばかりね」

「いちやじょう、ひでよしさん作ったら?」

「そうよ。小田原征伐の際に建てられたお城で、本陣として使われたの。その石垣はここ近江の穴太衆によって積まれ、野面積みという技術が使われているのよ」

「せんせーよくしってる」

「ふふん、歴女ですから。そういうたくみちゃんも立派な歴女だと先生は思うわ」

「そーかな」

「そうよ、近江のお城、見てみたいでしょ?」

「うんっ」

「ここ近江は戦国時代の要所だから、お城がたくさんあるのよ。小谷山へ行けば浅井三代の居城、小谷城址。足を伸ばして織田信長の夢のあと、安土城。そうそう、国友にも殿屋敷というお城の跡があるわ」

「せんせー目がきらきら」

「ふふ、ちょっと熱くなっちゃたわ。たくみちゃんもお城が好きだから、新しいお家は近江が良いかなって思ったの」

「せんごくじだいさいこー」

「最高よねっ」


 *


 碁盤の目のような道を走るバスの車内で、車窓を眺めているたくみは、一番後ろの席を恐る恐る見やる。

 始発のバスに乗り込んだたくみはすぐにそれを見つけていた。けれど、言ったところで誰にも見えない事も知っている。だから黙っていたのだが。それでも気になる。どうしても気になるのだ。

 それは真っ黒くて、ぶよぶよした塊だった。しかも透けて向こうが見えている。頭らしき部分にはぼろぼろの麦藁帽子を被っていて、顔は無い。


 すると、黒い塊からぶるぶるした腕のような部分が現れた。一瞬の出来事にたくみの全身の毛がぞわっとそば立つ。けれど怖いものほど見たくなるから困りものだ。横目で見ていたはずなのに、いつの間にか首がそちらを向いてじっと見つめてしまっていた。

 それはにゅるにゅると伸びてゆき、麦藁帽子に触れると、帽子をちょこんと浮かせて――

 なんと、たくみに向かって会釈をしたのだ。

 ヒュっと息を飲んだたくみは、すぐさま車窓へと首を戻した。


 黒い塊も気になるけれど、もう見てはいけないような気がするたくみは、かぶりつくように車窓を眺めていた。そして、ある建物に向かって指をさした。


「せんせ、あれ何」

 問われた先生も車窓を覗き込んで、建物に書かれた字を読んだ。

「国友鉄砲ミュージアム、だそうよ」

「くにともてっぽーみゅーじあむ?」

「ここ国友は古くは鉄砲鍛冶の集団がいたそうよ。その博物館かしらね」

「鉄砲……めちゃかっこいいね」

「撃つ道具よ、物騒と思わない?」

「ううん、ろまんだよ。行ってみたい……」

「相変わらずちゃんばらが好きね、なら、お休みの日に訪ねてみるといいんじゃないかしら、神父様に話しておくわね」

「うん、せんせーありがと」

 屈託の無い笑みに、先生は目を潤ませ。たくみの肩を抱き寄せた。

「新しいお家にはお友達がたくさんいるわ。だから、寂しくないわ」

 先生がハンカチで目元を拭うのを見たたくみは、先生の手をぎゅっと握り、手の甲をぐりぐり撫ぜて。

「いたいの、いたいの、とんでけぇ!」

 勢いつけて腕を振り、指をひらひらさせて霧散させてしまう。その刹那、一番後ろの席に座る黒い塊が一瞬痛がったことなど、たくみは気が付きもしない。すると先生は目に涙を一杯に溜めて、声を震わせて言った。

「飛んでいったわ、ありがとう」

 最後ににっこり笑えば、たくみもにかっと笑って返した。

「ほら、降りるわよ」

 先生に手を引かれるたくみは、座席を立ち上がったときに一番後ろの座席に首を向けた。すると黒い塊はまだ乗っていて、たくみに向かってゆら、と手を振り……たくみも小さく手を振り返した。



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国友鉄砲鍛冶衆の娘 米村ひお @kojiro-001

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